『ブランコ』


「これは友達から聞いた話なんだけどね」


 小学生の頃の話だ。

 近所に深夜になると勝手に揺れるブランコがあって、幽霊かもしれないから見に行こう、と誘われたそうだ。

 誘ってきたのはMくんと言って、友達とは同じスイミングスクールに通っている友人だった。


 幽霊が見たい、というよりは、夜中に遊びに出るという行為自体を楽しんでいるようだった。

 友達は最初は渋っていたが、ビビっているのだと笑われて、つい『行く』と答えてしまったそうだ。


 約束の日の深夜。友達は無事に、家を抜け出すことに成功した。

 普段から問題を起こしたこともなかったので、まさか両親も家から抜け出すだなんて考えてもいなかったのだろう。


 夜中に一人で外に出る、というだけでも十分に恐ろしい。

 これ以上怖い思いをする必要なんて少しもないのではないだろうか。


 そんな風に考えつつも、ここで帰れば次に会った時に馬鹿にされるに違いない、という思いだけで、友達は待ち合わせの公園近くまで向かった。

 そうして辿り着いた待ち合わせ場所には、Mくんの他にもう一人、彼の兄が一緒に居た。

 お兄さんはMくんの二つ年上で、六年生である。それを見た瞬間、友達は若干面白くない気持ちになったそうだ。


 Mくんは兄が一緒だから平気だっただけじゃないか。自分は一人で怖い思いをしながら来たのに、と。


 だが、ここで喧嘩別れでもして、親に言いつけられたりした日には堪ったものではない。

 友達は黙って二人に付いて例の公園へと向かった。


 その公園は、古くなって修繕も出来なかった遊具が撤去され始めていて、最近では遊びに行く子供も減っているような所だった。

 残っているのはブランコと砂場くらいである。中心に設置された街灯も、夜にはぼんやりと中央を照らすくらいの光量しかない。

 こうして夜中にやってきてみると、随分と寂れた印象だった。


 古びたフェンスに囲まれた小さな公園に辿り着いてすぐ、友達はあることに気づいた。


「ねえ、誰かいるよ」


 横に並んだMくんに聞こえるか聞こえないか、という声量で囁いて、友達は公園の中のブランコを指し示した。

 声を潜めたのは、子供がこんな時間に出歩いてるのを見られたら不味いと思ったからだ。 


 ブランコには、五十を越えたように見える男性が座っていた。

 地面から足を離すことなく、無理に足を畳むようにして低いブランコに座ったまま椅子を揺らしている。


 ほんとだ、とMくんも呟いたので、友達にしか見えていないということもないだろう。

 三人は公園の入り口から、ブランコを揺らし続けるおじさんを眺めていた。


 友達は思った。

 Mくんが見た幽霊というのは、このおじさんが揺らした後のブランコをたまたま見かけただけではないだろうか。


 原因が分かると、大したことはないように思える。

 大人がブランコで遊ぶなんて変かもしれないが、変だと思われると考えたからこそ、誰もいない夜に来たのかもしれないし。

 友達は一人で納得した後、この考えをMくんに伝えようとした。


 その時にちょうどおじさんが立ち上がらなかったら、多分そのまま言葉にしていただろう。


 おじさんはブランコの椅子の上に立っていた。

 立ち漕ぎでもするつもりなのかと思ったが、どうも違う。


 おじさんはいつの間にか、ロープを手に持っていた。

 揺れるブランコの椅子の上でバランスを取ったおじさんは、上部のポール目掛けてロープを投げて通すと、おもむろに輪っかを作り始めた。


 友達とMくんは、ただぼんやりとおじさんの動きを見ていた。

 輪っかを作り終えたおじさんは、その穴に首を通すと、じっと三人を見つめ返して、大袈裟なほどに両腕を使って手を振り、そうして、揺れるブランコから足が離れかけた瞬間、


「帰るぞ」


 Mくんの兄が、二人の手を取って急いでその場を離れたそうだ。

 それまで何かに魅入られるように動けなかったのが嘘のように、手を取られてからは必死になって走ったという。


 不思議なことに、その後、公園で死亡者が出たという話を聞くことはなかった。


 子供には聞かせられないことだから、と伏せられていたのかもしれない。

 あるいは、あのおじさんは本当に幽霊で、三人で見た時にたまたま姿が見えただけだったのかもしれない。


 どの理由かも、どんな理由かも分からなかったが、友達もMくんも、昼間だろうと二度とその公園には近づくことはなかった。


 ちなみに、友達は夜中に抜け出したことをこれ以上ないほどに叱られたそうだ。




「────怖かった?」

「……そうだな、怖かったよ」


 しっかりきっかり怒られている友達には微笑ましさも抱くところだが、勝手に外に出て怒られる年代の子供が遭遇している、と考えると尚更怖いとも言える。

 この『おじさん』の一番怖くて嫌なところは、今まさに自分が首を吊ろうとしている光景を、誰かに見せたがっている点である。

 あと、それを子供のための遊び場でやろうしているところも。大分、いやかなり、結構、最悪である。


 迷惑にならずに済む方法を探して失敗した身としては、最後の最後まで誰かに迷惑をかけないと気が済まない精神性そのものが、どうも恐ろしいもののように思えた。

 その衝動が直接他害に向かないだけマシ、ということかもしれないが。

 でもなあ。行き過ぎた自傷行為を見せつけることは、ある意味では他者への加害であると言えるんじゃないだろうか。


 これがもし、友達とMくんの二人だけで行っていたとしたら、そのまま決定的な瞬間を見せられてしまったかもしれない。

 そんなことがあれば、並のショックでは済まなかっただろう。

 恐らくはおじさんの目論見通り、公園やブランコというものにもっと強いトラウマを抱いていたに違いない。


 お兄さんが付いていてよかったな、と何処にも存在しないお兄さんとやらに感謝の念を送っておいた。

 話の中では一番年上だとしても、まだ小学生である。弟たちをきちんと守った功績は素直に讃えるべきだろう。

 一緒になって夜中に抜け出している点については反省した方がいい、とも思ったりはするが。


「……ま、そもそもが嘘の話だしな」


 ぽつりと零した呟きは、全く持って口に出すつもりのない思考の切れ端だった。

 音にし終えてから、自分が何を言ったのか理解して、状況を判断して、結果として隣のベランダの様子を目だけで伺う程度には、無意識だった。


 仕切り板の向こうからはみ出ている管状の口は、じっと俺を見下ろすような形で止まっていた。


「………………」


 そのまま、しばらく無言で見つめ合ってしまった。いや。向けられる管には口しかないのだが。


 隣人は、俺が自分の話を信じないことを望んでいる。怖がらせるために怪談を語っているだけで──というより、怪談という方法で俺を怖がらせることを楽しみとしているので、実害としての恐怖を与えることは望んでいない。

 ただ、同時に、限りなく真剣に聞くことを求めてもいる。同じ話を聞いたと気づかないだけで機嫌を損ねることもある程度には。


 嘘だもんな、というスタンスが何処まで許されるのかは、きっと聞き手としての俺の態度がそれなりに関係しているだろう。聞き流しているような響きに聞こえてしまったのなら、かなり不味い気がする。

 さて。今の俺の呟きは、果たして許される範囲か否か。残念ながら、俺にはちっとも判断がつかない。

 分かるのは、くにゃりと曲がった管の先が、目玉も出していないのに俺を見つめているという事実だけだ。


 自分の吐き出した言葉の意味を相手がどんな風に受け取るかなんて、人間同士ですら分かりゃしないのだ。人間以外となんて尚更無理難題に決まっている。

 まあ、それでも俺は、あの人とこいつ、どっちと『お話し』しますか、と聞かれたら、こいつを選ぶような気がしているのだが。


「…………付いていったお兄さんが偉かったよな」

「初めから行かない方がもっと偉いよ」

「……真っ当な指摘をするなよ、可哀想だろ」


 沈黙が痛いので間を埋めるために感想を口にすると、至極まともな言葉が返ってきてしまった。

 行かない方が偉いなんて分かりきってるんだからわざわざ言うんじゃない。もしくは、そもそもそんな話にするんじゃない。

 あらゆる意味での同情を込めて若干お兄さんを擁護した俺に、隣人は小さく喉を鳴らした後、笑いの名残の残る声で言った。


「止めても行っちゃうから、困っちゃうね」

「まあ……そうしないと進まなかったりするだろ、怖い話って」


 どんな時でも正しい対処法が取れれば一番いいかもしれないが、そう簡単に上手く出来るようなら、あらゆる事柄──例えば社会だとか人間だとか俺だとか──はこんな形にはなっていないだろう。

 そもそもが、判断を誤った結果が残るからこその怪談なんじゃないだろうか。誤った上で、なんとかなった話だけが残るのだから。

 言ってしまえば、もっと深いところで誤ったような結果は、そもそも怪談としても残らないのだ。

 語るものが居ないのだから、当然の話である。


「小学生にしてはしっかりしてて、偉かったんじゃないか。俺が同じ目に遭っても、そんな風に対処出来る気がしないな」

「そう? タカヒロはしっかりしてるから、大丈夫だよ」

「………………そう見えるなら、まあ……有難いよ」


 どうにも本気で言ってそうだったので、シンプルにリアクションに困ってしまった。

 なんだか褒められているような響きにも聞こえるのだが、気のせいということにしておこう。

 こいつが今言った『タカヒロ』が何歳を想定しているのか、あんまり考えたくはないからだ。……小学生と比べて褒められてもな。


 ふとスマホを見ると、バイトまでそう時間がなかった。

 隣人は、それなりに俺の生活リズムを把握している。視線をやれば、「いってらっしゃい」と挨拶を残して自室へと引っ込んでいった。


 妙に朗らかな音色のそれに、俺は毎回、歯切れ悪く「おう」だとか「ああ」だとか返している。

 いや、だって。いってきます、なんて返すのもちょっと違う気がするし。



 さて。

 バイトは平穏無事に、何事もなく終わった。

 その代わり、その日の夢にはブランコに乗ったおじさんが出てきた。


 ……同じ目に遭いたい、などとは一言も言った覚えはないんだが。



 ちなみに、ちゃんと逃げられはした。


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