第二部

『お祭り』


「友達から聞いた話なんだけどね」


 これは、いつの話だったか覚えていないのだという。


 もう日も沈み切った後の、一人の帰り道。友達は、通りがかった公園でお祭りをやっているのを見かけた。

 周りの建物に隠れてしまっているような印象の、こじんまりとした公園だったそうだ。


 提灯の灯りも、吊るされた位置が少し低く、植えられた木々のせいで遠目にはほぼ見えないような状態だったという。

 本当に、たまたま目に留まらなければ、きっと気づかないで通り過ぎてしまっていただろう。


 友達はそのひっそりとした雰囲気が妙に気になって、少し覗いてみようか、と思った。

 けれども、車止めの手前まで近づいていったところで、違和感を覚えたそうだ。


 公園内に、誰もいないのである。

 お祭りの準備が終わっていない、という訳ではなさそうだった。


 小さな公園内には賑やかな色合いの屋台が詰め込まれるようにして四つ並んでいて、それぞれが十分すぎるほどの明かりに照らされている。

 天幕には見慣れた作りの文字で、わたあめと焼きそば、りんご飴、ヨーヨー釣りなどと書かれているのが見える。


 そのどれもが、つい先ほどまで店主が立っていたに違いない形で放置されていた。


 公園の中央には小さな櫓まできちんと用意されているのに、誰一人見当たらない。

 変だな、と思ったその時、後ろから声がかかった。


「混ざるんだったら、お写真撮りますよ」


 振り返ると、小さなデジカメを手にしたお爺さんが立っていた。少し腰の曲がっている、穏やかな顔立ちのご老人である。

 声音もとても柔らかくて、いたって親切のつもりで声をかけてくれたのは理解できた。


 ただ、かけられた言葉の意味は今ひとつ掴めなかった。

 こちらから撮ってほしいとお願いしたならまだしも、わざわざ知り合いでもない人間の写真を撮ろうと声をかけるものだろうか。


 町内会か何かの祭りで、撮った写真をまとめていたりするのかもしれない。

 あるいは、知り合いか誰かと間違えているということもあり得る。


 理由は何にせよ、写真を撮ってもらうつもりはなかった。

 遠慮しようとした友達に、お爺さんは穏やかな笑みを浮かべながら片手の人差し指を上へ向けた。


「ちょうど、彼処が空きましたから」


 指し示されたのは、ぶら下がっている提灯の内の一つだった。

 視界に映る中で一番近くにあったそれを見上げた友達は、そこで、赤く灯る提灯に、人型の紙が貼られているのに気づいたそうだ。


 真っ白い紙を、手足を伸ばした人間の形に切り抜いてある。

 いわゆるヒトガタというやつだ。提灯よりも、少し小さいくらいのサイズだった。


 友達が気になったのは、そのヒトガタの頭部に、顔写真が重ねてあることだった。

 四十代に見える男性の首元までを写しているもので、雰囲気としては証明写真に似ている。


 義務的な笑みを浮かべる顔が貼り付けられたヒトガタには、赤いインクで大きくバツ印が書かれていた。


 少し奥を見ると、ぶら下がっている提灯には、同じようにヒトガタが貼られている。

 視認できる限りでは、それらにもやはり顔写真が重ねられていた。初めに見た写真とは異なる人物で、全てにそれぞれ違う写真が貼られているのだろう、と推測できた。


 内部の照明に照らされて少し透けている写真を見上げていた友人は、それからすぐに気づいた。

 お爺さんが指した一番手前の写真以外には、バツ印はついていなかった。


 友達は出来る限り素早く、それでいて強い拒絶には聞こえない程度の勢いで、「大丈夫です」と口にして、その場を離れたそうだ。


 お爺さんは、友達を引き止めるようなことはなかった。

 不安になった友達が何度か振り返って確認する間も、ただじっと佇んで、小さなデジタルカメラを抱えたまま此方を見つめているだけだった。


 友達はそれ以来、その道は絶対に通らないようにしているという。




「────怖かった?」

「あー……うん、そうだな。怖かったよ」


 得体の知れない場所に引き込まれそうになる、というのは単純な恐怖である。

 これが何かしらの怪奇現象だったとしても、現実にちゃんと行われている祭りだとしても、どちらにせよ怖い。


 お爺さんがなんだか妙に親切な態度なのも恐ろしい。

 悪意でやっていたとしても、善意でやっていたとしても、優しげな態度で来る時点でかなり嫌だった。


 ただ、気になる点がひとつ。

 これはどうも季節モノな話の気がするので、夏に聞いた方が怖かったのではないだろうか。


 今は三月半ばである。

 俺の勝手な印象として、お祭りというのは夏にやるものというイメージだった。

 それを言ってしまえば怪談というのがそもそも夏の風物詩であるので、今更でしかない話だったが。


 加えて言えば、普段はいつの年頃か教えてくれるのに、今回はぼやかしてくるのもちょっと気になる点である。

 まあ、おそらくこの点に関しては気にしない方がいい筈なので、忘れることに決めた。


 そうして、あれこれと思考が逸れていった結果、俺の答えはやや歯切れ悪く響いた。

 少しの間が空く。手遊びのように六本指を揺らしていた隣人は、何か思うところがあったのか、問いかけを言い直した。


「怖くなかった?」

「いや。ちゃんと怖かったぞ」


 主軸とズレる部分を気にしてしまったのは事実だったが、これは確かに心からの言葉だった。


 怖いか怖くないかで言えば間違いなく怖い。友達は無事に逃げられたが、もし仮にそのお爺さんとやらが勝手に写真を撮ってきて、同じようなヒトガタに使われたりした場合、それで呪いだなんだがあるかもしれないのだ。

 呪いとは要するに、遠隔の実害である。実害は誰だって怖いだろ、普通に。

 そもそも、顔写真をそんな風に使われるだけでも大分嫌だ。


 そんな実感を込めて告げたのだが、隣人にとっては当初の俺の反応が気になったらしい。

 あまり納得した様子がなかったので、俺は仕方なく、軽い世間話的なトーンを心がけて、言葉を続けた。


「でもほら、祭りって夏って感じがしないか?」

「? 春にも秋にも、冬にもやるよ」

「……あー、まあ、そう言われたらそうか。なんつったら良いかな……」


 実際にやっているかどうかではなく、俺のイメージの話である。まあ、人間同士でも印象の共有なんて難しいので、隣人と擦り合わせるのは更に難しいだろう。

 祭りって聞くと季節感が夏になっちゃうんだよ、と雑に説明した俺に、隣人は納得したようなしていないような、なんとも言えない声音で「そっか」と呟いた。


「じゃあ、お花見の話もしていい?」

「……おう、今度な」


 いつぞやの家の話のように、そのまま始まりそうな気がしたので、先に断っておいた。

 仕切り板の向こうで、宙にはみ出ている管状の口がゆらゆらと揺れている。今すぐ話したかったのだろうな、とは察したが、機嫌を損ねた時の気配はしなかったので、あえて気づかないふりをしておいた。


 生じた沈黙を誤魔化すためにカップに口をつける。

 二口ほど飲み込んだところで、まだ自室に戻るつもりはないらしい隣人から問いが足された。


「タカヒロは夏のお祭りが好きなの?」

「いや……好きとか嫌い以前に、あんまり行ったことないんだよな」


 ただ、なんとなく祭りというのは夏にやるものだと思っている。単純に、俺があんまり行事とか祭事に詳しくないだけだが。

 そもそもが、人混みは苦手な方だ。楽しむよりも先に気分が悪くなってしまうのが嫌で、前にハヤトに誘われた時にも断った覚えもある。


 そんなようなことを軽く零した俺に、隣人は少し残念そうに呟いた。


「美味しいのにね、お祭り」

「…………まあ、りんご飴とかはちょっと興味あるよ」


 形容詞の選択が若干おかしかったような気がしたが、俺は半ば受け流すようにして話を続けた。


 隣人が一体何を元に美味しいと称しているかは知らないが(知りたくもないが)、お祭りというのは実際あらゆる意味で美味しいものなのは確かである。

 焼きそばとか特に、屋台で売ってる方が美味そうに見えるもんな。実際はあんまりそうでもなかったりするのに。


 ハヤトに買ってきてもらった焼きそばの味を思い出していたところで、隣人がぽつりと呟いた。


「でも、最近は夏だととっても暑いから、やだね」

「あー……確かに。異常だよなあ」


 同意してから、少し遅れて素直に驚く。

 怪異(こいつ)でもそんな風に思うのか。いや、でも、逆に隣人の方が気温の変化には実感があるのかもしれない。

 少なくとも俺よりもずっと長生き──と言っていいかは分からないが──なのだから、今より涼しかった頃の夏も知っているだろうし。


 今年の夏も暑くなるんだろうな。先を思って、うんざりした気持ちで溜息を吐いた俺に、隣人は一転して明るい声で告げた。


「そうだ。夏になったら、タカヒロが怪談|話(はな)してよ」

「俺が?」

「うん。面白いの探してみてね」


 嫌だよ、と言おうと思ったのに、拒否する暇もなかった。

 なんだかとっても楽しそうな、どうにも無邪気な声で言われたせいで、強く拒絶するのは悪い気がしたというのもある。もしかしたらそれこそが狙いなのかもしれないが。


 しかし。

 こいつに語るための怪談を探す、というのは、なんとも危うい行為に思える。


「……いや、でも、面白いのを見つけられる自信がないからさ、」

「じゃあ、つまんなくてもいいよ」

「………………」


 前方に向けていた視線を、そっと左側へと向ける。

 戻るつもりなど一切なかった先ほどとは違って、今度はあっさりと、管状の口は仕切り板の向こうへと姿を消していた。

 穏便に断れるだろう機会は逸してしまった、ということだけは理解できた。


「またね。次はお花見の話聞いてね」

「…………おー」


 どうやら拒否権はないらしい。

 あらゆる意味で夏が来てほしくなくなってしまった。


 溜息を吐くと逆によくない気がしたので、隣人が窓を閉める音を聞きながら、カップの中身と一緒に飲み込んでおいた。


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