『霊感商法』
「あのね、これはイノヒラの話なんだけどね」
思わず顔を上げた俺に、隣人は特に気に留めることもなく話を続けた。
数年前。ここら一帯で霊感商法が流行ったらしい。
霊感商法というと、身近な不幸を祟りだ霊障だと宣って、除霊のために高価な品を売りつけるようなものだと思うかもしれない。
この場合は違った。超常の力を使った、霊能マッチポンプ商法である。
狙った人間を呪っておいて、すっかり参ったところでそれとなく近づき、呪を祓うなどと言って金を取っていたそうだ。
件の霊能者は、元は四国の何処かで拝み屋だか祈祷師だかをやっていた男だった。
力は確かだが性根があんまりなもので、地元で随分とやらかして、勘当されて関東地方まで逃げてきたらしい。
結局こちらでも金に困って、自身の力を使って碌でもない手法で金を稼ごうとした訳だ。
霊障による体調不良は、医学で説明のつくものが多い。肉体に害を及ぼす理由が異なるだけで、症状はあくまで身体に由来するからだ。
けれども、症状は同じでも原因が異なるのだから、治療には別のアプローチが必要になるのだという。いくら診てもらっても、どうも良くならない。これまで予想もしていなかった不調なので、当然不安も募る。
そういった状況になったところで、無料か、あるいは格安で治療を持ち掛けて、上手く行けば──行かないはずがない訳だが──報酬を貰うのだそうだ。
半信半疑だろうと症状がぴたりと止むものだから、言われた通りに金を払ってしまう人間も相当数居たという。
まあ、真っ当に受けた治療の芽がようやく出たのだとして、払い渋る者も居た訳だが、そういう人間には改めて掛け続けてやればそれで
いずれは『助けた』人を信者化して、新興の宗教団体を立ち上げるのが目的だったようだ。
そんな中。とある小さな鋳造加工会社の社長は、呪詛──と便宜上呼ぶことにする──をかけられた、と察してすぐに、知り合いの霊能者へと連絡を取った。
それが伊乃平さんだ。二人は飲み友達で、社長は彼が
何分小さな会社だから、社長が倒れでもすればあっという間に傾いてしまう。妻子を始め、従業員にも苦労をかける訳にはいかない。
頭を下げる社長に、伊乃平さんはなんとも軽い調子で引き受けたそうだ。
今ならちょうど良いのが居るから、と言って。
そうして、伊乃平さんはこのマンションにやって来たらしい。
大家さんと何の縁があるでもなく、ふらっとやって来たかと思ったら管理人さん伝に連絡を取って、どう言いくるめたか知らないが、社長と共に七階に来た。
「ずいぶん変なのが来たなあ、と思ったよ」
隣人は、何処か懐かしむように呟いて、続けた。
伊乃平さんは七〇一号室に来ると、端的に言ったそうだ。
「こいつの声を貸してやるから、あんたをちょっとの間『吉水 喝一』にしてほしい」
こいつ、と指された社長は、青白い顔で俯いていた。
ヨシミズ カツイチというそうだ。漢字が知りたいと思ったので尋ねると、それは勘弁してくれ、と社長の方から口を挟まれた。けれども漢字が知りたかったので、聞いた。教えてくれないなら駄目だった。
伊乃平さんはしばらく社長を宥めた後に、漢字の方も教えてくれた。なので良いよと言った。良いことになった。
良いことになったので、隣人は少しの間『吉水 喝一』になった。
よって、社長はいっときの間、何でもない者になったし、『吉水 喝一』にかかるはずだった呪詛は
あまり覚えていないが、三日もかからなかった。本当に、ちょっとの間だ。
もう一度戻ってきた伊乃平さんは、丁寧に礼を言って、作法に則った謝礼を用意して、それから『吉水 喝一』を戻したそうだ。
声は謝礼に含まれているから、借りたままでも良いのだという。
件の拝み屋だか祈祷師だかがどうなったのか。
隣人は全く知らないそうだ。
「イノヒラ来るんでしょ?」
語り終えた隣人は、にょろ、と管状の口を伸ばして、聞こえの良い声で尋ねた。
慣れないなりになんとか体裁を整えて餅を飾った日、俺はこいつに伊乃平さんが来ることを伝えた。
伝えようと思って話した、と言うよりは、世間話として零しただけなのだが。
その結果、隣人からは伊乃平さんの話を聞かされた訳だ。
今回のは怪談というより思い出話のようだったが、俺からすればどっちも同じようなものだった。
「……ああ、年明けに来るってさ」
「寝てる時にしか来ないからね、やなやつだね」
言葉の内容とは別に、隣人はなんだかちょっと面白がるような声音だった。
少なくとも悪感情を持っているようには見えない。
今の話が本当に聞いた通りなら、伊乃平さんのおかげで『声』を得た訳だから、ある程度好ましくは思っているのかもしれない。
ところで、それ以前は声を持っていなかった、ということだろうか。よく分からない。が、別に深く知りたくもなかった。もはや、何処が藪だかも分かっていない状態である。
加えて言えば、聞きたいことは他にあった。
「なあ、お前って、伊乃平さんとは友達じゃないのか?」
これまで聞いた限り、伊乃平さんは明らかに霊的なことに強い人である。
わざわざ普通の人間を友達にするより、そういう人を友達にした方が、こいつにとってもよっぽど過ごしやすいんじゃないだろうか。
俺の問いには、大した間も空けず、あっさりとした言葉が返って来た。
「イノヒラは友達いないよ」
質問の答えとしては妙な角度から返って来た気がするが、気になるのはその声質の方だった。
心底不思議がるような響きだった。
赤信号は止まれだよ、と同じような類の言葉だ。
赤信号は止まれだし、青信号は進めだし、伊乃平さんには友達はいないのだ。
そのくらいに、当然の事実を述べる響きだった。
「…………そうなのか」
「うん」
しっくりくるような来ないような、なんとも言えない感覚だった。
誰もが知っている常識のような気もしてくるし、いやでも伊乃平さんが友達だと思わなくとも伊乃平さんを友達だと思っている人はいる訳だし、こいつが『友達』の意味をよく分かっていないだけかもしれないし、そもそも社長さんは伊乃平さんの飲み友達だったんじゃないっけ?とも思った。
けれどもやっぱり、断言された以上、伊乃平さんに友達はいないのだろう。
あ。……いや、まさか。
「えーと……その社長って生きてる?」
「知らない」
「……そうか」
年が明けて、伊乃平さんに会ったら聞いておこう。
社長が亡くなったから『友達がいない』訳じゃないですよね?と。
そんなことを考えている内に、隣人は、ううん、と眠たげに呻いた。
どうやら、そろそろ眠りにつくらしい。
これはつい先日聞いたことなのだが、隣人は年末年始は『おやすみ』するそうだ。
十二月末から、大体一月の七日辺りまで、外に出ずに眠っているらしい。眠る──という表現が正しいのかは分からないが、その間は話も出来ないし、俺を呼ぶこともないそうだ。
伊乃平さんが年明けに帰ってくるのは、これを知っているからなんだろう。
「またね、タカヒロ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
全くもっていつも通りの挨拶だった。良いお年を、などと言われていたらどうリアクションしたものか迷っていたので、何処か気の抜けた声で返す。
隣のベランダから、俺の部屋の窓を開ける時と同じ音がして、隣人が部屋に引っ込むのが分かった。
よっぽど眠かったんだろう。
ここ最近、あいつの方が部屋に引っ込むのを見送る回数が増えているような気がする。
もう、見張らなくとも逃げないと思われているのかもしれない。
随分と好意的に思われているようだ。
ただ、あいつのような存在の持つ『好意』が、人にとってはどういうものになるのか、俺には予想が出来ない。
それを考えると、やっぱり俺は気を抜けないでいる。まあ、こんなマンションだから、緊張感を持つのは悪いことではない。
あんまり気を張っていると疲れてしまうので、自室くらいではリラックスできるといいのだが。
……いいのだが。
「………………」
振り返った俺は、室内に足を踏み入れてから、不恰好に膨らんだ布団を見下ろして、そっと後ろ手に窓を閉めた。
目を逸らさないまま鍵をかけて、カーテンを閉める。
しばらく眺めていたが、一向に引っ込む気配はなかった。まあ、目の前で動かれてもウワッと思うから、動かないで居てくれていい。
……うーん。
こいつはどうして許されているのだろう。
澄江由奈は、話しかけようとしただけで怒られていたのに。
考えたところで答えの出る疑問でもなかったので、俺はとりあえず、先に風呂に入ることにした。
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