『写真』
「友達から聞いた話なんだけどね」
高校生の頃の話だ。
当時、仲間内に『道端の写真にいたずらをする』のが趣味の奴がいた。
例えばガラス戸の付いていない掲示板に貼られたポスターやら、電信柱に貼られたペットを探す張り紙やらに落書きをしたり、勝手に連絡先を塗り潰したりする。
あまり趣味のいい遊びとは言えない。
だが、そいつは自分が面白いと思えばなんでもやる奴だったから、止めても無駄だった。
飽きて別の遊びに興味が移るのを待つか、自分たちが怒られないで済むように無関係を装うか。対応としてはその程度のものだった。
真剣に言い合ってまで止めてやろう、なんて奇特な奴はいない。マジになるのはダサい、というやつだ。
ただ。友達は一度、『行方不明の子』を探す張り紙に悪戯をした時だけは怒ったそうだ。
結局やめなかったようなので、友達はそいつとは距離を置いたらしい。
高校は意図して離れた場所を選んだから、友達の妹のことを知る奴は一人もいなかった。
知らないのだから真剣に受け止めなくたって仕方がない。まあ、知ったとしても悪ノリが過ぎて茶化すような空気になったかもしれないが。
ともかく、友達はその当時の仲間とは離れて、別のグループの奴と過ごすようになった。
これ以上嫌な思いをして仲の良かった奴を厭う羽目になるよりは、嫌いになる前に距離を取った方が良いと思ったのだ。
その悪趣味な友人──Fとしよう──は、それからも懲りることなく悪戯を続けていたそうだ。
冷めた態度を取られたことでムキになった、というのもあるかもしれない。
高校生にもなって馬鹿みたいな話だが、どうにもそういう馬鹿をやらかす奴だったのだ。
それからしばらくした、とある日。
Fが随分と怒った調子で、席に座る友達の元までやってきた。挨拶もそこそこに、肩を突き飛ばしてきたらしい。
何すんだよ、と声を上げたが、Fは「お前の仕業だろ」と喚くばかりで碌に説明をしようとはしなかったそうだ。
お前の仕業だろ。
陰湿な嫌がらせして。
サイテーだな。
Fは、そんなような言葉を捲し立てていた。
何を言っているのかさっぱり理解できない。あまりにも分からないものだから、段々此方の怒りは収まって来てすらいた。
そうして、友達が本当に何も分からずに呆けた顔をしていると、Fは苛立ちのままにカバンからクリアファイルを叩きつけた。
膨らんだクリアファイルから、無数の写真が飛び出て広がる。
その全てが、Fの写真のようだった。
分からなかったのは、写真に写る人物の顔が、全て丁寧に塗り潰されていたからだ。
油性ペンなどではなかったそうだ。もっと粘ついていて、例えば、真っ黒い泥を擦り付けられたような跡である。
何十枚と並ぶ黒く塗り潰された写真は、かなり異様な光景ではあった。
「いや、」
困惑のままに写真を見下ろす。
「俺じゃねえよ」
ごく真っ当な弁明だった。
それはそうだろう。ばら撒かれたそれの中には、どう見ても三歳前後のFらしき写真もあったのだ。
それこそ家族のアルバムにでも入っているような写真を、わざわざ持ち歩く筈もない。
あの一件以来交友もないので、友達がFの家に上がることだってない。
一体どうやって、全くの他人である人間が、自宅で仕舞われているような写真に悪戯をすると言うのか。
困惑のままに呟いたものの、Fには聞き入れる様子はなかった。
「××な訳ないって、分かってんだろ。もう戻ろうぜ」
「やめとけよ、おかしいってお前」
「家族にちゃんと謝れば良いだろ。××は関係ないじゃん」
友人たちも口々に言って、なんとかFを宥めようとしていた。
結局、散々喚いて疲れたらしいFは、写真をそのままにして教室を出ていってしまった。
聞いたところによると、Fの写真がこうなっていたのは一週間ほど前のことらしく、アルバムを見た母親にこっぴどく叱られたらしい。
状況が状況なので、F以外に犯人はいないと見做された。
高校生にもなって何やってんのよ、と怒鳴りつけられ、小遣いも減らされ、話を聞いた父親からも渋い顔で説教されたそうだ。
至極真っ当な対応だと言えるだろう。
思い出の写真なんて大切なものだ。管理状況によっては、元の写真はもう取り戻せない恐れもある。
気の毒に思ったが、犯人扱いされたことは素直に不愉快だった。
そのあと妙な噂まで流されたが、あまりにも突拍子のない言い掛かりだった為、信じるものはいなかったそうだ。
当然だろう。勝手に家に上がり込んで、その上アルバムのFの写真を全て丁寧に塗り潰すなんて、どう考えても不可能である。
恐らくだが、Fは悪戯がどんどんエスカレートしていった結果、『手を出してはならないもの』にも落書きをしてしまったのだろう。
それが何かは分からない。喚いているFはあまりに支離滅裂だったし、到底事情を聞けるような空気ではなかったし、そもそも聞きたいとも思わなかった。
ともかく。その時点で、Fと友達の間に芽生えていた友情は取り返しがつかないほど崩れてしまった。
良いところもあるやつだったのに、と懐かしむことが、今でもたまにあるそうだ。
ただ、記憶を辿る度に、どうにも気になる点があるらしい。
顔が全く思い出せないのだ。
付き合いが無くなって、時間が経ったから忘れてしまった、というのもあるかもしれない。
そう思った方がよほど自然だ。恐らく、事実は違うのだろうけれど。
卒業アルバムでも、Fの顔は塗り潰されていた。
最初は学校にあれこれと問い合わせがあったらしいが、じきに何処からも来なくなったらしい。
Fとはそれきり口も聞かなかったが、共通の友人曰く、今でも印刷した写真に関しては、時折顔が塗り潰されているそうだ。
「────怖かった?」
「んー、まあ。やっぱり、触れたらいけないものってあるよな」
絶賛、
とりあえず、影響が印刷した写真だけで済んで良かったよな、と思う。いや、済んではいないんだが。話を聞く限り、デジタル画像なら大丈夫そうだし。生きてはいるし。
そもそも、軽率に手を出したら不味いようなものに悪戯をして、その程度で済んでいるだけでかなり幸運なんじゃなかろうか。
そんな風に思って一人頷いていた俺の視界に、にゅ、と何かが差し出された。
緩く反った、ハガキサイズの紙である。ちなみに、裏側を向いているので俺からは『写真』は見えていない。まだ。
「あげる」
「…………受け取らんとダメか」
「怖い?」
くふくふと掠れた笑い声が響くので、俺は何だか悔しくなってそれを引ったくった──というのは虚勢であって、正しくは指先で摘んでそっと受け取った。
だってよ。小道具を出してくるのはずるいだろ。
そういうのは一番のズルじゃないか。写真が出て来たら怖いに決まってるだろ。
「見る?」
くふくふ、きしきし。楽しげな笑い声が響いている。
見る必要なんて微塵もない。そんなことは分かり切っている。
だが、俺はある種の意地だけでもって、それを捲った。
写真は暗かった。
薄暗い畳の部屋の中で、白っぽい足が立っている。
上半分が現像に失敗したのか真っ暗で、ろくに見えない。故に、あまり怖くもない。
「Fくんの写真じゃねえのかよ」
思わず突っ込んでしまった。
それはそうか。Fくんは架空の存在なんだから、架空の存在を撮った写真が出てくるはずもない。
……いや、違うな。顔が塗り潰されているのだから、誰だろうと関係が無いはずだ。
適当に顔を塗り潰した偽物の写真を、Fくんとして出すことだって出来る。
その方が怖いと思うんだが、どういう訳か、俺の手元には話とは無関係の写真があった。
「……これ、何の写真なんだ?」
「足」
「いや、足なのは分かる」
そんなんは見れば分かる。誰が見ても分かるくらいには足だ。
俺が見る限り、少年の足だろう。膝の辺りまで肌が見えているので、短パンか何かを履いている筈だ。
畳の部屋で立っている、少年の写真。それ以上の情報はない。
「足だよ」
どうやら、これ以上答えてくれるつもりはなさそうだった。
はあ、とか、うん、とか、適当に相槌を打つ内に、就寝の挨拶になる。
「おやすみ、タカヒロ」
「ああ、おやすみ」
写真を手にしたまま、部屋へと戻る。そのままゴミ箱に手を伸ばしたところで、俺は一旦動きを止めた。
これはどう見ても、保管しておきたくない類いの写真だ。だが、保管しておくことに意味が生じる写真ではある。
例えば、あいつが急に『前にあげた写真どこ?』と聞いて来た場合、捨てていればアウトである。
もしかしたらセーフになるかもしれないが、そんなギリギリのストライクゾーンを攻める気にはなれなかった。
写真を片手にうろうろと室内を彷徨ってから、とりあえず、キッチンの使っていない棚に入れておく。
普段目につくようなところには置きたくなかった。
心霊写真というのは、別に写真自体を怖がる必要はないのだという。
持っているだけで呪われるような写真は、存在しないのだと、有名な怪談師も言っていた。らしい。本当に。
害獣だって、写真で見たら可愛いもんである。
だからつまり、怖がるべきは捉えられた『現象』なのだろう。
写真はあくまでも、写真でしかないと言うことだ。
俺はその日、いつもより家鳴りに怯えながら眠った。
◇ ◆ ◇
さて、数日が経ち。
やってきたクリスマスの朝、俺は無事に隣人からのプレゼントを受け取った。
睡眠薬まで使って寝たのだ、いい子っぷりは充分と言えるだろう。
起床した俺はのろのろとベランダへ出ると、洗濯物を干す用のポールに雑に引っ掛けていた靴下を取り、室内へと持ち込んだ。それなりに重たい。
人生初のプレゼントである。寝起きのせいか、怯えと期待が8:2くらいだった。
このままのぼんやりした気持ちで受け取らないと、一生取り出せない気がする。
そう思ったので、俺はなるべく意識しないように努めつつ靴下を漁った。
結論から言おう。
餅だった。
もう一度言おう。
餅である。
鏡餅をもらった。生餅である。おそらく。
見慣れないので正しく捉えられているか分からないが、俺の目が正しいなら、餅であった。
ご丁寧にも、ちょっと良さげな紙に包まれている。
「………………」
まさか、食べ物を貰うとは思っていなかった。
あげるのは駄目だと言われた訳だが。貰うのはどうなんだ。本当にどうなんだ。
きりっと冷えた冬の旭光の中、俺はでっかめの鏡餅を抱えて、しばらく困惑していた。
十分ほど考えてみたが、どうすれば良いかさっぱり分からない。
仕方がないので、俺はやや狼狽えながら神藤さんに相談した。
ちょうど、年内最後に顔を合わせよう、というタイミングだったのだ。
実物を見せた方が早いかと思って餅を持参した俺に、神藤さんは困惑しながらしばらく餅を確かめ、『餅だね……』と呟いた。
とりあえず、『素手で触るとカビが生えやすいからよくないよ』という言葉を頂戴した。
アルコールで消毒しておくのも良いらしい。まあ、これの場合はお酒とかの方が良いかもしれん。
風通しの良い場所に置いておいて、年が明けてから十一日に食べる──そうだが、当然、此処で疑問が生じる。
これ、食べてもいいのか?問題である。
鏡餅というのは神様をお迎えして、送り出した後にお下がりの餅を食べて息災を願う、というものである。
俺はそもそも正月らしい正月を過ごしたことがないのでピンと来ないのだが、ともかくめでたい行事だ。
そんな行事を、隣の謎のヤバい怪異から貰った餅で行っていいものだろうか。
さっぱり判断がつかなかったので、毎度のようにお兄さんに連絡を取ってもらった。
「ここまで頻繁に連絡を取るなら、直接やりとりしてもいいだろうにねえ」
神藤さんは何処か呆れた調子で呟きながら掛かってきた電話に出ると、通話口で大笑いするお兄さんの声から耳を遠ざけた。
笑ってらっしゃる。俺がそこまで隣人と仲良くなっているのが、お兄さんには面白いらしい。
眉を寄せたまま、あれこれと言葉を交わした神藤さんは、溜息混じりに呟いた。
「一先ず、置いておいても問題はないそうだよ。飾り方も、まあ普通で良いって」
「そうですか。ええと、よかったです」
良かったかどうかは定かではない。そのため、若干どころではなく妙な顔になってしまった。
「食べていいかはよくわからないんだけど……年明けに帰ってくるって言うから、その時に直接見て貰えばいいんじゃないかな」
「えっ、あ、はい。じゃあ、その時に」
予想していなかった言葉に思わず声がひっくり返ってしまう。
縮こまった俺の様子から何やら察したらしい神藤さんは、ちょっと困ったように微笑んでから言った。
「安心して、悪い人じゃ…………いや、よくない人ではあるけど、悪い人と言うほどでもないから」
果たしてそれは安心しても良いものだろうか。
疑問はあったが、俺はとりあえず笑顔で頷いておいた。
どんな人だとしても、あいつより悪いということはないだろう。何より、神藤さんのお兄さんであるのだし。
ちなみに、神藤さんからはキーケースを頂いてしまった。
俺も娘さんへのプレゼントでも用意しておけば良かったかもしれない。
来年は用意しておこう、と思ってから、ちょっと笑ってしまった。
来年のことを考えている。
何とも不思議な気持ちだった。
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