『知ってる人』


「友達から聞いた話なんだけどね」


 小学生の頃の話だ。

 友達の学校近辺では一時期、妙な不審者が出ていたらしい。


 日頃から、『知らない人について行ってはいけません』とは言われていた。

 けれどもその不審者は、毎回知ってる人の顔をしているのだそうだ。


 声をかけられた生徒が言うには、両親や親戚、あるいは担任や友達の保護者といった、『身近な大人』の顔をしていたらしい。

 ただ、体格が元の人間と異なるので、すぐに変だと気づいて、ついていくような子はいなかったそうだ。


 身体つきは一八〇センチを超えている痩躯の男性なのに、お母さんの顔をしていたりする訳だ。

 そうして少し離れた場所で何やら一言だけ言って、じっと立って待っているらしい。


 保護者からの連絡を受けて、学校は一先ず『知ってる顔の人にはついていってはいけません』と、不審者情報の手紙を配布した。

 どう考えてもおかしかったが、警察に対応してもらっても状況が改善しなかった以上、出来る対応はこのくらいしかなかったようだ。


 奇怪な不審者は、生徒達の間ではあっという間に妖怪だとか都市伝説だとかと同じところに分類された。


 複数人で帰るのが大事だ、という話が、いつからか当然のように広まったそうだ。


「多分、一人を相手にしないと顔が決めらんないんだろうな」

「騙すつもりなのに頭が悪いから身体は無理なんだよ」

「能力が低いのかもね」


 仲間内の何人かは、得意げに拙い分析をして楽しんでいた。


 口裂け女に出会ったらポマードと言うように、カシマさんの問いかけに正しい答えを返すように。

 『知ってる人』には複数人で居れば遭わないし、ついて行かなければ何も問題はない。

 そんな風に、『知ってる人』は対応さえ間違えなければ追い払える怪異として扱われた。


 教師陣や保護者の方は頭を悩ませていただろう。

 生徒たちが楽しんでいるだけの噂話ならいいが、実在する上に、どう考えても人間ではあり得ない類の不審者だ。

 ついていかなければ問題はない、なんて解決法も、何処までが本当かすら分からないのだし。


 友達も、何度か先生たちが集まって会議をしているところも見たらしい。

 まあ、最初のお知らせ以外に対応らしきものがあった記憶は無いそうだが。


 そうこうする内、噂と注意喚起が回ってから、二月ほど経った。

 幸いにも、友達はその不審者に遭遇することはなかったそうだ。


 その時期になると、『会った』と主張する奴の大半は嘘だった。

 お調子者は必ず『知ってる人にあったよ』と言い出したし、噂好きの女の子たちは数人集まればくすくすと笑いながら『知ってる人』の話をした。


 本当に遭った奴と、そうでない奴を見分けるのは割と簡単だ。

 『知ってる人』に声をかけられた時に何と言われたのか、誰一人として思い出せないのだ。

 嘘をついている奴はそこに適当な台詞を入れる。だから分かる。

 まあ、分からないふりをしていた奴も居たかもしれないが。

 怖い台詞があった方がそれっぽいものだから、大抵の生徒は他の怪談話から拾った台詞をそこに差し込んだ。


 『知ってる人』が本当は何と言っているのか。それを知った奴は、無条件で英雄になれる。

 友達のクラスでは、そんな空気が流れていた。



 その当時、友達にはよく一緒に帰っていた男の子──Sくんという幼馴染が居たそうだ。

 趣味が違うせいか、付き合いの長さの割に二人で遊ぶことは少ないが、別に仲が良くない訳でもなかったという。

 家も斜向かいで、最後まで一緒に帰れるので、この頃は都合が合えばずっと一緒に帰っていた。


 そんなSくんがある日、友達にこっそりと教えてくれた。


「あのね、『知ってる人』がなんて言ってるか、ぼく、覚えてるんだ」


 友達は最初、素直にびっくりしたらしい。

 それは、Sくんの言葉自体にではなく、Sくんがそんなことを言い出すことに、だった。


 Sくんは友達の知る限り、随分と気弱な男の子だった。

 怖い話なんて大の苦手だし、不審者に出会ったら真っ先に親や先生に泣きつくタイプだ。

 こんな風に、何処か誇らしげに教えてくれる筈がない。当然、嘘だと思った。


 この間は一緒に帰れなかったから、冗談でこんなことを言い出したんだろう。

 笑いながら茶化そうとしたところで、Sくんは嬉しそうな声で言った。


「『いいよーって言って』って言うんだ」


 友達は反射的に、聞かない方がいい、と思ったそうだ。


 これは聞かない方がいい話だ、と確信した。けれども、どうやって話を遮ればいいのか、当時の友達には分からなかったらしい。

 聞きたくはないが、口を挟めない。そういう空気だったのだという。


 Sくんはいつになく興奮した様子で、ランドセルの肩ベルトを握りながら続けた。


「『いいよーって言って』って言われるの。知ってる人に。それで、いいよー!って言うと、いいことになるんだ」

「いいこと?」

「いいよーって言ったら、いいってことでしょ? 僕がいいよって言ったから、いいことになったんだ」


 全く説明になっていなかったので、よく分からなかった。

 でも、何か、いやなことを聞いている、という意識だけはあった。


「だからね、今はお母さんがいるんだ!」


 Sくんは本当に嬉しそうだった。心底、喜びに満ちた声だった。これまでに見たこともないほどに明るい笑顔だった。


 彼はそのまま、友達の言葉を聞くことなく自宅の門へと駆けて行ってしまった。


 だからね、の意味はやっぱり、さっぱり分からなかった。

 その方がむしろ有り難かったかもしれない。


 Sくんのお母さんは、半年前に出て行ってしまった、と聞いている。落ち込みようが凄かったから、友達もよく覚えていた。

 最近ようやく元気になって、安心していたのだが。


 喜んで駆けて行った門の奥には、Sくんのお母さん──らしきものが立っていたそうだ。

 女性にしては随分と背の高い、痩せばった男の身体に、確かにSくんのお母さんの顔がついていた。


 随分と、優しい顔をしていたそうだ。





「────怖かった?」

「……おう、怖かったよ」


 都市伝説って怖いよな。俺が子供の時には何が流行っていたか、もう忘れたが。

 きさらぎ駅とかだったかな。そもそも輪に入れてもらったことがないから……この話やめとくか。切ないもんな。


 いいよー、って言って、とお願いしてくる怪異か。

 まあまず、よくない・・・・んだろうな。何も。何一つよくないんだろう。

 許可を求めるタイプの怪異なんて、タチが悪いに決まっている。ブラウザのプッシュ通知許可を悪用した詐欺ぐらいには悪い。


 ただ、この場合は、Sくんにとっては本当に良かった、ということも有り得るパターンだ。

 俺の予測が正しいなら、その『知ってる人』は、顔を使っている内に、その顔に縁のある人間から『了承』を得ようとしている。

 Sくんは『いいよ』と言ったから、『いい』ことになったのだろう。

 おそらくは、顔を使ってもいい・・ことになった。


 元の母親が戻ってきた訳でないだろうが、Sくんにとってはそれでも十分だったんだろう。

 ……これ、どちらかというとSくんが成長して中学生とか高校生とかになってからのが怖くないか……?


「……その友達は、Sくんからその後の話聞いたりとか、してないのか?」

「うーん。どうだろう」


 何となく先の方が気になって尋ねた俺に、友人は緩く唸った。

 別に濁すつもりはないが、特に答えを用意している様子でもない声だった。


 架空だと思っているのに尋ねてしまうのは、単に大多数にとっては良くない存在でも、Sくんにとっては良いものになったんだといいな、と願ったからに過ぎない。


 白いワンピースの女と遭遇してからも、俺は変わらずこいつの話を創作だと思っている。

 ただ、これはあくまで感覚的なものでしかないので、本当は違うのかもしれない。

 本能的な忌避感によって受け入れられていないだけ、ということも有り得る。


 何にせよ、深追いしても良いことはなさそうなので、俺は今日も話半分くらいに聞いている。

 半分な上で、ちょっと気になったので聞いてしまったりしている。


「せっかくならさ、そのまま仲良くやっててくれたりしないかな」

「なかよくぅ?」

「……いいこと・・・・になったんなら、その後もずっと良い方が良いだろ?」

「うー……んん?」


 隣人は、何だかよく分からない味のものを食べたみたいな声で唸っていた。

 まあ、十中八九良くないことは俺だって分かっているので、リアクションについて思うところはない。多分、というか間違いなく、Sくんの家は碌でもないことになっただろう。

 でも、俺が勝手にハッピーエンドを願う分には自由だ。


「ずっと仲良かったら、怖くなくない?」

「…………そりゃお前、そういう時は、『そんなお母さんと仲良いSくんが怖いね』って話にするんだよ」


 身も蓋もねえこと言いやがる、と思ったせいで、つい呆れのままに口にしてしまった。

 仕切り板越しに、くふくふと楽しげな笑い声が聞こえる。


 しばらくして、細い金属音みたいな笑い声に変わったところで、笑い混じりに呼びかけられた。


「タカヒロ」

「何」

「いいよー、って言ってよ」

「………………」


 仕切り板の端から、ぐにゃりと曲がった目玉が俺を見つめていた。

 知らず、眉間に皺が寄る。ベランダ用のサンダルで、板を軽く蹴っ飛ばしておいた。


「やだよ」


 乾いた喉から、なんとか声を絞り出すようにして吐き捨てる。

 それを聞いた隣人はと言えば、やはり、くふくふきしきしと笑って、なんだかご機嫌に挨拶をして去って行った。


 隣の部屋の窓が閉まる音を聞いてから、俺はその場で盛大に白い溜め息を吐く。


 特に意味もない、揶揄いの類のそれである。

 あるいはお遊びのそれである。でも、乗っかったら最後なのは間違いがない。


「…………全く、碌でもねえよな」


 寒空の下で用もないのに立ってるのも馬鹿らしいので、俺はさっさと室内へと戻った。

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