25
大量の洗濯物を終えてそれらを籠に詰めると、今度は城の三階まで上がり、南側のバルコニーに張ったロープにそれらを一枚一枚広げては掛けていく。この城の構造上、一階では周囲に築かれた城壁の陰になり、なかなか乾かない為だ。それでも以前は一階、それも城の建物の裏手に干していたとジルから聞かされた。
「アタイが来た時には既にこっちに干せるようになっていたんだけどさ、口うるさいだけじゃなく、そういう細々とした改革もあのおヒル様が全部やってくれてるのよ。確かにあの人とてつもなく有能なのさ。でも有能だからってみんなに好かれる訳じゃないからね。人間関係ってのは難しいところよ」
ジルと二人で持ってきた籠の分は終えてしまい、後から来た分も手伝って終わると、ようやく軽い食事を取ることが許された。
とは言っても侍女の食事などパンとスープ程度の実に質素なものだ。
「こういうところは改革してくれないんですね、おヒル様」
一階の台所の隣のただ広いだけの使用人たちの食堂で、乾いたパンと具のないスープを二人並んで食べながら、チェルは王子の部屋でつまみ食いした残り物の味を思い返していた。
「あの人自身が食べることに興味ないみたいだからねえ。一体どんな人生歩んできたのやら」
それはチェルも気になっていた。
おそらくシンデレラの世界の理には、物語に特に必要のないお城の使用人や兵士、他に暮らしている貴族のことなんて一切書かれていないだろう。それは言い換えれば、どんな人物がいてもおかしくないということだ。物語に影響を与えさえしなければ、どんな
物語には登場しないけれど、本来であれば、彼らの生活を支えている多くの人間がその世界で暮らしているはずだ。
この世界が歪んでいるとして、その歪みは果たして彼ら、無関係に見える人間たちにまで及ぶものなのだろうか。チェルは自分の右腕の腕輪に視線を向けるが、隣でスープを飲み終えたジルが大きな欠伸をしたのに気づいて、そっと腕を膝の上に仕舞った。
軽い休憩を挟んで食堂を出たところで、ジルは別の侍女に呼ばれて行ってしまった。
今、城は何かの準備で普段以上の忙しさがある。けれどそれが何かはジルもよく分からないと言っていた。
周囲を見て、誰の姿もないことを確認すると、チェルはランタンを手にし地下のワイン蔵へと足を向ける。一本、瓶によく分からない名前が刻まれているワインを手にし、今度は別棟の最上階、王子の部屋への
あの日以来、他の侍女経由でチェルが呼びつけられることはあった。けれど泥酔していることが多く、
今日はできれば少し王族についての話を聞き出したかった。舞踏会がいつ開かれるのか。また、王子と一般庶民の娘の結婚について、可能なのかということを一体誰が決めるのか。それが知りたいのだ。
息も絶え絶えになりながら螺旋階段を上り切ると、チェルは王子の部屋の木戸の下を、足先で三度、
「はい! チェル様!」
すぐに中から元気の良い返事が聞こえ、自分で開けることすらせずに、戸は自動で開いた。王子が開けてくれたのだ。
「入るわよ?」
「どうぞどうぞ」
確認の必要はないのだけれど、それでも自分が問いかけたことに対してどういう反応をするのかを見ることで、チェルは王子の従順度を測っていた。
部屋の中はいつになく綺麗にされている。ベッドも乱れていない。
ただ王子が服を抜いで上半身を露出させている以外は、汚れているものは見当たらない。誰かが掃除をした直後なのだろうか。それにしては階段で誰にも出会わなかった。
元々この塔は当初、罪を犯した貴族や王族の幽閉の為にと建設されたものだそうだ。それがどういう経緯で今、王子専用の建物として使われているのかは分からない。ただ護衛や警護の観点でいえば、一番下の入口の前に番兵を立たせておけばそれで事足りるので、ある意味、理に適っているとも言える。ただし侍女が
「チェル様。今日は何をして遊んでくれるのだ?」
「遊びに来たんじゃないわよ。ちょっと聞きたいことがあってさ」
ベッドに座りながらそう言うと、床の上に正座をした王子は泣きそうな瞳をチェルに向け、ぐっと唇を結ぶ。
「ほんっと、面倒な性格してるわね」
その言い方が気に入ったらしく、王子は
「聞きたいことというのはね、舞踏会のことなのよ」
「毎月やらされる、あの面倒なパーティーのことか?」
彼にとっては無価値な木靴は床に放り投げられ、出現したチェルの小さな指の五本揃ったその爪先へと、その真っ白な両手十本の指が蜘蛛の足のように
「ああ、そうだ。本当、面倒なんだよ、あの形ばかりの社交場はさ。親父たちは貴族や近隣諸国との交流を深めているつもりなんだろうけど」
王子の指は爪まで綺麗に切り揃えられていて、それが部屋に置かれたランタンの明かりを反射しながら、チェルの足の指、一本一本をガラス細工でも扱うようにして、慎重に触れていく。
「親父たちは自分らがいいように鴨られてるっていい加減気づけよなって、いつも思いながら、仕方なく付き合ってやってる。俺さ、ダンスは苦手だし、貴族同士のお喋りも全然趣味合わない奴らばっかで楽しいと感じたこと一度もない」
そう力説したが、王子の趣味と合う人間などそうそういないだろう。
「だからチェル様ぁ、今月の舞踏会、俺と一緒に抜け出してここで遊びません?」
「今月のはまだなのね?」
「そうだけど」
つまりそれが王子とシンデレラの最初の出会いになる予定なのだ。
チェルは王子の舌が自分の右足に近づこうとしたので、思い切り彼の鼻頭を蹴り飛ばす。
「となると、何とかそれまでにあのシンデレラの方も準備を整えてもらわないといけない訳か……」
鼻血を垂らしながらもにんまりとした王子は「しんでれら?」と口走っていたが、まだチェルは彼にその話をしていない。
「ところでさ、舞踏会間近になるといつもこんなにお城ってバタバタしてるの?」
「俺はずっとここに閉じ込められてんだぞ? そんなもの知るか」
「そうよね。ごめんなさい」
謝罪の気の全くないチェルは彼の顔面に足の裏を乗せ、微笑んだ。
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