21
侍女の朝は早い。
「チェル、あんたまだ寝てんの? さっさと目を開けなさい」
「あと五分……」
「そんなこと言ってたらおヒル様にまた酷い説教されるわよ」
おヒル様。ここの侍女たちは誰もが侍女長ヒルデガルトのことを陰でそう呼んでいた。
「大丈夫よ。昨日まで隣国に大臣の付き添いで出かけてたんだから、流石に今朝はまだベッドの中じゃない?」
「そんな一般的な疲労の概念があの人に通じると思ったら大間違いなんだから。もうね、アタイらとは世界が違うの。たぶん、血がワインでできてるとか、そういう類の圧倒的な差があるんだから」
ジルは既に着替えを済ませてしまったようで、彼女に無理やり上半身を起こされ、両手を持ち上げられる。侍女は皆、城から支給された制服とエプロンを着用する義務があり、チェルはその中で一番サイズの小さいものを更に裾上げして与えられていた。ジルがその制服を頭から被らせる。紺地のワンピースになっていて、両腕を通すとすとんと肩まで落ちてくる。腰に縫い付けられたリボンを背中側で結ぶのだが、これが一人では難しい。
「あんた何やってんの?」
「ごめん。お願い」
「一人で慣れとかないと、色々大変なのよ」
「分かってます」
ジルに結んでもらったが、侍女歴五日目のチェルにはまだまだ覚えること、習得することが多すぎて、そこまで手が届いていないのが現状だ。
「さ、顔洗ったら、まずは食事の準備からよ」
侍女たちは四角く区切られた部屋に木製の二段ベッドを詰め込んで、そこで寝泊まりをしている。今のところチェルを含めて五十人ほどが働いているそうだが、ジルが来た頃には倍ほどいたと言っていた。
「あの、一つ思うんですけど」
「何?」
「どうして何でもかんでも侍女のあたしたちがやるようになっているんですか?」
この世界の使用人というものについてはよく知らないものの、それでもチェルの知識の範囲では料理には料理用の、洗濯には洗濯用の使用人を置くものだ。当然そこには
「そうよねえ。アタイもそれは感じてるんだけど、どういう訳かあのおヒル様は侍女に万能性を求めるのよ。自分が何でも出来るからかしら」
「何か別のところに目的があるんじゃないですか?」
「何よ、別の目的ってさ。ただの侍女から
「それ以上って、何があるんです?」
暗い通路をジルが持つ小さな燭台の明かり一つで歩いていく。
「それこそ誰かに見初められて貴族の愛人になるか、あるいは王族の
「正妻、正妃にはなれないんですか?」
「あんた何言ってんのさ。身分が違えば結婚なんてできないのよ」
「誰が決めたのよ?」
「誰って……誰なんだろうね。アタイに聞かれても知識ないんだから知らないわよ。ともかく、身分違いの恋なんてしたら、もう駆け落ちするくらいしか一緒に暮らす道はないわ。でもね、その駆け落ちした先に必ずしも幸せが待っている訳じゃないのよ」
長い通路を何度か曲がり、今度は階段を登り始める。ジルから教わったが侍女たちの寝室は地下二階から三階に造られているそうだ。仕事中は部屋に戻ることはないし、食事も台所の隣の部屋で慌ただしく取ってしまう。だから寝室には本当に眠る為だけに帰っていた。
「そりゃあね、王族や貴族との駆け落ちなんてものはロマンチックに語られるわよ。アタイだって憧れるしさ。けど、身分という後ろ盾もなく、財産だって捨てて出ていく訳だから、二人には愛情以外の何が残るってのさ? 何もない、しかも大抵は若くて未熟な二人による駆け落ちなんてものはね、よっぽど恵まれてないと野垂れ死にか、貧乏に耐えかねて
「何だか実感ある話だけど、知り合いにいたの?」
「いいえ。先日ここを辞めてった侍女の受け売り。そういえばあの子もどうして自分たちは貴族や王族になれないのかって
今の話がこの世界の、いや、チェルの世界でも常識的な身分と結婚の考えだろう。だとすれば、女神が言っていたようにシンデレラは王子に見初められただけで簡単に結婚することができたのだろうか。
「さあて、まずは何から始めればいいかしら?」
「見りゃ分かるだろ! さっさと芋の皮剥き始めやがれ!」
階段を上り、城の一階奥のブロックの西の隅にある調理場を二人が訪れると、その顔をきつく
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