15

 サン・ドリヨン公には子どもが一人しかいない。その唯一の子が王子であるカミル・ノイシュタンだった。

 見た目こそ端正でやや甘い顔つきに白い肌、金色の髪、スリムな体躯と恵まれているものの、そのカミル王子は今、後ろ手に縛られ、ベッドではなく床の上で釣り上げた魚のようにピチピチと肢体をうねらせていた。


「ほんと、気持ち悪いわね」


 当然服など着ているはずもなく、パンツ一枚のままで、チェルは右手の鞭をしならせ、王子の背中の上で心地よい音を響かせる。


「まさかシンデレラだけじゃなく、王子の方も問題児だなんて……想像できなかったとは言わないけど、何というか」

「あの」

「なぁに?」

「喉が、乾きました」

「あら、そう」


 チェルはグラスに残ったワインを手に取り、それを傾けた。細い滝のようにして落ちていった赤い液体は彼の頬で跳ねると、その顔面をしとど濡らし、床へとシミを作った。


「ありがとうございます! 美味しいです!」

「ほんと、しつけがなってないんだから」

「はい! 躾がなってない豚でございます! ブヒ!」

「だからそういう態度が気持ち悪いんだっての!」


 鞭ではなく、靴先で何度もりつける。王子は「あん!」とか「おぅふ」と妙な声を出しながらもそれが気持ち良いようで、チェルが手や足を休めるともの欲しげな目線を彼女に投げてくる。それに対して無視を続けると今度はもぞもぞと足元までい寄ってきては、頬を彼女の靴に擦り付け、いい加減に我慢できなくなった彼女が蹴るのを待つ、という有様だ。

 これではどの侍女も逃げ出したくなるだろう。

 チェルも本意ではなかったが、これも自分の世界を取り戻す為と言い聞かせ、心を鬼にして鞭を奮っていた。


「ほら、これがいいんでしょう? ねえ?」

「はい! チェル様! はい!」

「ほら、ほら! もっと汚い声で鳴くんだよ!」

「ぶひ! ぶひぶひ!」


 傍から見たらどんな風に映るだろうか。少なくとも元オオカミ卿オルフはこの光景に一分と持たないだろう。そういう意味ではまだ彼の方が健全なのかも知れないが、オルフにはオルフでまた別の歪んだ性癖がある訳だから、チェルが出会う男の中には純粋に健全な男性など存在しないのだろう。


 一体どれくらい鞭で叩き、自分が口にしたこともない酷い罵声を浴びせただろう。

 流石に疲れ果てた王子は半裸の状態でベッドに横になり、寝息を立て始めてしまった。

 チェルはテーブルの上に残されていた、おそらくは彼の朝食だろうと思われるパンとスープの残りを少しいただく。そのパンはヨギに貰ったものとは比べ物にならないくらい柔らかく、ふわりとしていて、パサついていない。更にスープの方は単純に塩で味をつけたものではなく、肉やキノコ、野菜といった他の出汁が効いていて、冷えているのに不味いとは感じない。ヨギの店の残り物も普段自分が食べているものよりずっと美味しいと感じたけれど、このスープはそれらの全てを一口目で軽々超えてしまった。おそらく材料の違いなのだろう。

 これが王室の食事なのか、と妙なところで感心してしまった。


 僅かばかりお腹を満たし、一息ついたチェルはベッドで寝息を立てている、まるで子どものような無防備な王子の寝顔を見つめる。口を開かず、目を閉じたままで、ちゃんとした服を着ていれば、しっかりと一国の王子に見えるだろう。それくらい外見的なものは一般人のそれとは異なる輝きがあった。


 ――それがどうしてこんな風に歪んじゃったのよ。


 一人息子だとジルから聞かされた時にはあまり良い予感はしていなかったが、これでは一体どんな教育係が付けられ、またどんな教育を受けていたのかということが気にかかる。一国の王子、それも次期国王ともあろう人間が野放図に育てられたということはないだろうが、ああいう変態趣味をこうも大っぴらにして暮らしているとなると、先が思いやられる。

 ただ一方で、こういう歪んだ部分を持っているからこそ、この王子はチェルにしてみればくみやすい人間であるとも言えた。そもそも出会って初日で既に二人は鞭を介した実に強い結びつきを得たのだ。これから更に教育をして、やがては何でもチェルの言うがまま、なすがまま、命じるままに動くように導いていけばいい。

 そう考えると、あのシンデレラとこの王子の二人をくっつけ、物語の幸せな結末を作ることなど造作もないことのように思えてきた。


「いいわ。やってやろうじゃないの。あんたをあたしの下僕として育て上げ、この物語をちゃんとした結末ってやつに導いてやるわ」



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