16

 突き出た顎に流し込もうとした豆のスープが、そのあまりの不味さに喉まで届かずに垂れてしまい、オルフはテーブルに置いた布を手にして自分で口を拭おうとした。


「オルフ様、それは私が」

「いえ、わたしが」


 けれどその布を姉妹二人で奪い合うようにして取ると、わざわざ二人掛かりで彼の口を拭いてくれる。だがそれもゴシゴシという表現がお似合いな、何とも雑な拭き方だ。オルフは鼻を鳴らし、添え木が括り付けられた右手で「あっちに行け」とやると、姉妹は小さく頭を下げ、壁際まで後退した。

 まだ右腕が痛む。けれどオルフの心を痛めている問題はそこではない。


「シンデレラはどうした?」


 食堂に姿が見えるのはデボラ、エルマの姉妹の他、切り分けたパンにバターを塗っているバルバラの三人だけだ。


「台所の掃除か、洗濯か。ともかく手を汚しているところでしょうから、とてもここには呼べませんわ」


 答えたのはバルバラだ。壁に立っているエルマは小声で「だっていつも灰かぶりですもの」と笑い、それを姉にたしなめられては口を押さえていた。


「今一度尋ねるが、何故使用人をクビにした?」


 それはシンデレラから聞かされた話だった。

 昨夜、露骨なバルバラたちの誘いを断り、客室に戻ったオルフだったが、床に入ったところでシンデレラが部屋にやってきた。彼女はオルフを魔法使いにより呪いを掛けられた侯爵だと偽って紹介してしまったことに、心を痛めていたのだ。それを何度も謝罪し、直接彼女が手を下した訳ではないもののそれでもオルフが腕を痛めたのは自分に責任の一端があると言っていた。

 母親と義姉あねたちの自分への態度の豹変ひょうへんぶりには正直いい気はしないものの、彼にとっては些末さまつな話で、特別気にするようなことはないと言ったのだが、それでも体がよくなるまではこの屋敷で休んで欲しいとお願いされた。オルフは元々シンデレラを一から教育し直すつもりだったからそれについては好都合だったのだが、彼女の継母ままははたちがずっと自分にべったりと付いてくるようではどうにもやり辛い。

 そもそも、何故使用人に任せればいいようなことをシンデレラたちは自分でしているのだろうか。その疑問の回答がこうだった。


「継母と義姉が来てから少しずつ使用人を辞めさせていったのです。先月には遂に最後の一人をクビにし、仕事は全て私一人に押し付けられるようになってしまいました」


 それは単なるシンデレラへの嫌がらせとしてはどう考えても行き過ぎだった。だから何か事情があるはずだと言ったのだが、彼女は全くそういう風には考えていない。ただ自分のことが気に入らず、この家から追い出すつもりで嫌がらせをしているのだと、そう思い込んでしまっている。

 オルフはそこまでやると自分たちも辛い思いをすることになり、シンデレラを追い出す前に自分たちが困ってしまうだろうと言うのだが、彼女には何故継母たちが困るのかが理解できなかった。


「気に入らない使用人だらけでしたので、それならと全部まとめて出て行ってもらいましたわ。お陰で随分ずいぶんとここが過ごしやすくなりました」


 バルバラはオルフにそう答えて笑みを作る。それはただの強がりや見栄には思えない。


「風通しは確かにいいようだが、侍女の一人もいないとなると着替え一つ取っても困るだろう。そもそも使用人の質と数というのはその家にとってステータスを評価する基準となるものだ。新しく雇い入れる予定はあるのだろう?」

「いえ」


 彼女は笑みを絶やさないまま、否定する。


「お主は娘たちに貧しくあれと、そう教育するつもりか?」

「そうではありません。デボラもエルマも、ちゃんとシンデレラを使っているでしょう。相手が使用人であろうとなかろうと、本来上に立つべき人間というのは決まっております。それはオルフ様もよくご存知かと思いますが、自分よりも下の者を見極め、普段の生活の中でしっかりとその差を相手に理解させて、自分の思うように操るというのが、上に立つべき者が身につける技術ではありませんか?」

「それが全てではないが、そういう能力は大事だ」

「流石オルフ様。よく分かっていらっしゃる。ですから、これは私のデボラとエルマ、そしてシンデレラへの教育なのです。別にしばらく使用人がおらずとも、私どもが死ぬ訳ではありません。それより大事なことを学ぶ良い機会だと思いましたので、このようにしております」


 それがバルバラの本心とは思わなかったが、オルフは「分かった」と頷きを見せておいた。

 何を考えているのかはおいおい見抜いていくとして、オルフはまだ半分以上残る味気のない、臭みがそのまま口に広がる豆のスープを前に、どうこれと向き合おうかと、目元を歪ませた。


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