11

 チェルの人生の中でちゃんとした城の中に入ったのは、これが初めてだった。

 サン・ドリヨン公の城の規模が一体どれほどのものなのかよく分からないが、それでもヴァーンストル城よりはずっと大きく、また敷地も広い。高く築かれた塀の内側に幾つかの建物が別に建てられている。おそらく食料や武器、資材を貯蔵しておく場所や、兵士たちの暮らす寮なのだろう。

 それらの間を縫うようにして伸びている階段を登っていくと、一段高い場所へと出た。


「うわぁ」


 チェルはそこに立った時に視界に入ってきた光景に、思わず声をらしてしまう。

 どれくらいの広さだろう。継ぎ目がよく分からない真っ白で綺麗な石によって囲まれた巨大な湖があった。人工の湖だ。深さはそこまでないようだけれど、それがきらきらと太陽を反射し、幻想的な光景を見せてくれている。しかもその上を回廊が走り、中ほどにガラスのような不思議な素材で造られた城が建っているのだ。

 あのオオカミ卿の無骨な城しか知らなかったら、チェルはお城という場所に冷たくて暗くて臭い印象しか抱かないようになっていただろう。


 チェルはゆっくりと、コツ、コツという木靴の音を立てて歩いていく。

 今までに見た綺麗な場所といえばアースヴェルトの森にあるエリカやチューリップ、パンジーにサルビアといった花畑だ。小川が陽光を反射し、その上をスズキやカマス、マスといった魚が飛び跳ね、水しぶきを散らす。湖に行けば水鳥が羽を休め、時に番になり、楽しそうに戯れているのを見ることができる。

 そういう自然に存在する美しさはチェルにも経験があったが、人が造ったものでこんなにも心を動かされるというのは、思ってもみないことだった。


 真っ白な道がずっとガラスの城へと伸びていく。その上を歩きながら、チェルは一瞬自分がお姫様になったかのような錯覚に陥った。不思議な感覚だ。物語の中のシンデレラも初めてここを歩いた時には同じように感じたのだろうか。

 そこまで考えて、けれどシンデレラがあの何とも形容しがたい娘だったと思い出し、妄想ははかなく散った。

 白い道は城の手前で階段状になり、二十段ほど登ると扉のない大きな柱に囲まれた入口が出現する。


「何者だ?」


 その入口には左右にそれぞれ見張りの兵士が立っており、チェルの姿を見るなり、槍に掛けた手に力を入れ、警戒をする。


「侍女長様に会うように言われて来たんです」


 彼女はできるだけ何か事情を抱えて困っているのだという様子を、伏せがちな目元とぎゅっと結んで我慢している風に見える唇、それに相手におびえ、小さく固まっているように両手を握り締め、それを膝の上にやって、やや背を曲げた。


「ヒルデガルト様か。おい、何か聞いてるか?」


 右手側の兵士がもう片方に尋ねる。


「いや」

「しかしこの娘、何かワケアリなようだしな」


 チェルは何度か兵士の顔を見上げ、それから悲しそうに目線を逸した。


「俺たちで判断する訳にもいかんだろう」

「しかもヒルデ案件だしな……関わらん方が身のためか」


 兵士は二人とも侍女長の存在に対して何か思うところがあるようだ。チェルは黙ったまま、二人の顔を交互に見つめる。


「ああ、わかった。それじゃあ中に入ったらエプロンを付けて働いている侍女たちがいるから、誰かに侍女長様に会いたいと伝えるんだ。余計な場所に入るんじゃないぞ。ただでさえ今は大事なパーティーの準備で大変だというのに」

「はい、ありがとうございます」


 チェルは深々とお辞儀をすると、二人の兵士の間を歩いていき、そのゲートを潜った。

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