10

 サン・ドリヨン公爵の城は見晴らしの良い丘の上に築かれていた。

 周辺を高く積み上げた石造りの塀が取り囲み、その内側で幾つもの尖塔が伸びているのがチェルにも見える。城の表玄関までは真っ直ぐに地道が伸びていて、結構な傾斜を歩いて登らなければならなかったが、徒歩の彼女はまだマシな方だろう。二台ほど連なった荷馬車を引いた行商人らしき集団は、四人掛かりで馬車の後ろについて、掛け声と共に必死に押していた。

 チェルはそれを横目に坂を登っていく。


 城の入口の門扉は五メートルはあっただろうか。その上に見張りの兵士がいて、用がある者はどうやら下で声を掛け、開けてもらわなければならないようだ。おそらく他にもっと小さな裏口があるのだろうが、近くには見当たらない。チェルの前には鎧を着た兵士の集団と、行商人らしい痩せた髭面の男性、それからボロボロになった服を着た若い男性が並んでいた。


 五名ほどの兵士は明らかに城の関係者で、特に問答もなくすぐに扉が開けられた。両開きになった重く大きな扉がゆっくりと動いていき、一人が通れる程度の隙間ができると、内側から兵士が一人だけ出てきて、早く中に入るようにと指示する。その兵士は兵士集団が入り切るまで次の行商人や若い男性が勝手に中に入らないように見張っていたが、行商人が声を掛けると何かを持っているかと尋ね、髭の男は一枚の木の札を取り出して見せた。どうやらそれが許可証のようで、兵士に続いてその行商人も中に入っていった。

 続いてボロを着た青年の番になったが、


「何か仕事を恵んでくれんですかね」

「そういうのはここではやってない。悪いが街に戻ってそっちで探すんだな」


 担当の兵士は軽く首を振ると、右手で追い払うようにしてそう言った。

 どうも簡単には中に入れてもらえないらしい。

 チェルはどうしたものかと考えるが、すぐに彼女の番が回ってきた。


「ここは子どもが遊びに来ていい場所じゃないぞ?」


 やはりここでも彼女は子ども扱いだ。


「でもお母さんが、パパがここにいるって」

「何だと?」

「あたしのお母さん、これです」


 悲しい気持ちになると自然と涙が滲む。いつでも涙を流せるようにしておきなさいとは、祖母の教えだ。魔法使いの理には涙の効用についても書かれていて、特に女性が男性の前で流す涙というのは簡単な魔法よりもずっと強い力があるものだそうだ。

 瞳を潤ませながら彼女が手にして見せたのは、ヨギの店で拾っておいた動物の骨の欠片だ。


「困ったなあ。本当にここに父親がいるのか?」


 チェルは涙を拭う振りをしながら、こくりと顎だけ動かす。


「名前は分かるか?」


 首を横に振る。


「じゃあ、君のお母さんの名前は?」

「ポリム」


 それは女神の名前だった。流石にそれと同じ名前の人物というのはいないはずだ。


「どこかで聞いたような気がするなあ。ともかく、子ども一人じゃ帰す訳にもいかんか。なあ、おい! ちょっと!」


 担当の兵士は中に声を掛ける。別の兵士が出てきて、二人は小声で相談を始めたが何度も「どうする?」「どうしよう」という声が漏れ聞こえるだけで、一向に中に入れてもらえそうにない。

 そのうちにも馬車を押していた行商人集団が玄関前に到着する。


「おい。さっさと開けてくれ。こっちはまだまだワインやら果実酒やら持ってくるよう言われてるんだ。一体何往復しなけりゃならんのだか」

「ああ、すまんな。今すぐ開けるから待ってくれ」


 何度も出入りしているのか、その行商人集団の一人が札を手にしながら渋い顔で兵士に詰めている。

 チェルは涙を滲ませた目で兵士や行商人たちを見上げていたが、


「じゃあ、中に入って、侍女長のヒルデガルト様にでも聞くんだな」

「ありがとうございます」


 渋々といった表情を見せた兵士に頭を下げると、チェルは荷馬車を受け入れられるほどに大きく開いたドアの間から中に入った。


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