9
翌朝、ヨギから途中で食べなとパンまで貰い、チェルは城へと向かった。
彼女に教わった道では橋を渡った先で一旦山道を抜けた方が近道だということだった。シンデレラの屋敷の前を通る道だと、かなり迂回して城が立つ丘の裏手に出ることになるそうだ。
ゆるゆると流れる川の反射を左手に見ながら、チェルは野道を進む。しばらく行くと右手側から雑木が増え、やがて野道も林に呑み込まれ、木漏れ日の中を歩くことになった。
「あー、あー、あー」
ヨギの店を出て、どれくらい歩いただろう。まだ城までの行程の半分にも満たないところだったが、急に右腕にしている腕輪が震え、声が響いた。あの自称女神の声だ。
「なに?」
「やっと繋がったというのに、何だか冷たくない?」
「そ?」
「いやあねえ、こっちだって色々と大変だったんだから。急にクレイア姉様が来るし……まあ、それはあなたたちには関係なかったわね。ともかく、やっと通信できる場所を見つけて、今なら色々と話せるわよ」
確かに腕輪から響く声は普通に目の前で話しているように聞こえた。
「もう今更遅いわよ。シンデレラには会ったわよ」
「あら、そうなの? いい子だったでしょう、シンデレラちゃん。灰かぶりなんて可哀想な名前付けられちゃうんだけれど、シンデレラって言葉の響きは何だか凛として綺麗じゃない?」
いい子、と女神が言った娘のことを、チェルは今一度思い出す。あの他人に対して怯えた目と表情。しかも痩せている所為で目玉だけがやたらと目立ち、それがまた不気味さに拍車を掛けていた。事前の説明では魔法使いに着替えさせてもらったらひと目でそれと分かる美人だと言っていたのに、あれではどう化粧で誤魔化したところで壁の花が精々といったところだ。
少なくとも舞踏会で王子が踊りのパートナーとして手を差し伸べたいとは思わない。
チェル個人の評価では使用人の中でも最低ランクに位置し、名前すら覚えない程度の人物だった。
「どうかしたかしら?」
「いえ。それよりこれから王子に会うんだけど、王子はどういう人物なの?」
あまり期待はしていないが、それでも事前情報があるのとないのとでは評価も大きく異なる。
「イケメンで、多くの女子たちの理想を具現化したような存在よ」
「その、イケメン、ていうのは?」
「ああそっか。チェルちゃんのところには存在しない言葉だったわね。とにかくものすっごい容姿が整った、それこそ人形のように格好良いということよ」
現実のシンデレラの容姿があれだったので、チェルは半笑いになりながら「へえ、それは良いわね」と感情一割で頷いておく。
「ただ、物語の中では重要人物なんだけれど、そこまで詳しく描かれている訳じゃないから、いまいちイメージしづらいのよね。でもだからこそ、そっちの世界で現物に出会ったら、チェルちゃんだって恋に落ちちゃうかもだわ」
「それはない」
「あらどうして? チェルちゃんだって年頃の女の子じゃない。恋の一つや二つ、するでしょう?」
チェルは他の子たちのように、恋や結婚に対する憧れがなかった。そもそも恋はするものじゃなく落ちるものだ、と彼女たちは語る。けれど、実際の結婚はといえば仕事の都合や家の都合、貴族であれば政略的なものとして行われる。田舎の村でもそれなりの土地持ちであれば見合いという形式もあるが、チェルのような特に家業も何もない家の娘なんかは自分の意思とは無関係にどこかに嫁に出され、そこで只働きの使用人としてこき使われるのが落ちだった。
「だからこそ憧れるものなんじゃないの、全てを投げ捨てて一緒に生きたいと、そう思えるような恋に」
「全てを捨てた先に待っているものが幸福だなんて、誰が決めたのよ。駆け落ちしたって結局お金に困る未来が待っているとしか思えないし、仮に逃げた先で上手く生活基盤が整えられたとしても、その時の気持ちがずっと続くとも思えない。そんな不確かなものに懸けるのって、恋とか愛という言葉で誤魔化しているただの無謀じゃないかしら」
「チェルちゃん。あなたって本当に醒めてるわね。一体どこでどう間違って、赤ずきんがこんな子になってしまったのかしら」
あんたの所為だ――そう言おうとして、しかし世界が壊れた原因は女神に責任がある訳ではなく、まだよく分かっていないのだと思い出し、溜息一つで済ませた。
「恋の方はどうでもいいけど、一つ確認しておきたいことがあって」
「何かしら?」
「あたしたちの任務はシンデレラと王子が結婚すればいいのね?」
「そうよ」
「それがどんな形であれ、シンデレラと王子が結婚すればいいのよね?」
「そうだけど……どんな形って、結婚にそんな色々あったかしら」
「それは気にしないでおいて。少し考えがあるから」
これから出会う王子がどんな人物か分からないが、流石にあのシンデレラよりはまともだろう。少なくとも容姿は悪くないはずだ。性格に関してはヨギから妙な評判があることを小耳に挟んでいたが、大衆の王族に対する評価なんてあることないこと好き放題言っているだけのことが多いから、実際に会って確認するまでは、そういった噂は宛てにならない。事実、あのオオカミ卿ですら、問答無用でチェルを殺してしまうような野蛮人ではなかった。話せば分かる相手ならチェルはたとえどんな人物であろうと、言葉で籠絡する自信があった。
「わかった。それじゃあ、何かあったらまた連絡して下さい」
「いつでも繋がるようにしてあるならね」
「大丈夫よお。ちゃんと屋敷の窓枠のところに座ってるから」
それは少しバランスを崩すとよく分からない闇の中に落ちてしまうんじゃないだろうか、という心配が浮かび上がったが、言葉にはしないでおいた。
「じゃあ」
と連絡を終わりそうになったところで、
「あー! あー! あー!」
再び女神が大声を出した。
「何よ?」
「あの、オルフさんは一緒じゃないのね」
「そうよ」
「お花を摘みに行ってるのかなあ?」
「その謎の首輪で分からないの? 別行動してるだけよ」
右腕がどうにかなった上に一緒にいると面倒だからシンデレラの家に置いてきた、とは言わなかった。
「気になるなら連絡してみればいいじゃない。もう首輪の方にも繋がるんでしょ?」
「そうなんだけど……」
何か歯に物が挟まったような口ぶりだ。
「また直ったら連絡してみるわ。とにかく、何があるか分からないから気をつけてね」
不穏な言葉を最後に、ブツ、と耳障りな音を立てて彼女の声は聞こえなくなった。
そこから五分ばかり歩くとチューリップに似た花が沢山咲いている広場を見つけたので、ヨギから貰ったパンを食べながら軽く休憩を取ることにした。乾燥してパサパサしていたけれど、口に入れると香ばしい小麦の香りが広がり、川で汲んだ水と一緒に彼女の小さなお腹を満たしてくれた。
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