7

「はい、おつかれ。あんた、なかなか接客の筋いいじゃないの」


 店を開いてから次々と入ってくる客は、結局閉店まで途切れることはなかった。

 最後の客を見送って店の入口のドアを閉めようとすると、どこからともなく不気味な鐘の音が響いてくる。それほど大きくはなく、近い場所のものではないようだ。


「どうしたんだいチェル?」


 いつまでもドアを閉めない彼女を見に出てきた店主のヨギは、鐘に耳を澄ましているチェルを見て小さな笑みを浮かべた。


「この鐘、ちゃんと聞こえるんだね。これはね、お城で鳴らされている十二時の鐘さ。アタシらはこれを合図に店仕舞いをするようにしているんだけど、何故十二時なのか、どうして鳴らしているのか、それについては誰も知らないんだよ」


 そういえば女神から聞いたシンデレラの物語の中にも十二時の鐘の話は登場していた。日中、何度か鳴らして時間を知らせるというのはチェルが暮らしていた村でも行われていたが、わざわざ夜中の十二時を選んで鳴らすというのはどういう考えなのだろう。それとも元々は十二時くらいに外が暗くなる地域だったのだろうか。

 祖母からずっと北の方では夜が明るいのだと聞いたことがある。

 通り沿いの店はどこも明かりが消え、賑わっていた繁華街にも静寂が戻りつつあるのが分かった。

 チェルはドアを閉め、鍵を掛けると、ヨギに聞きながら店の後片付けを始めた。


 カウンターにはいくつか客に出した料理の残りが皿や鍋に置かれていたが、後でそれをご飯にすると言われて、チェルは楽しみにしている。

 全部で十あるテーブルの上から茶碗や皿を下げ、台所に運ぶと、布巾を濡らして、それぞれテーブルと椅子を拭いていく。その間にヨギは床を箒で軽く掃き、ゴミを一箇所に集めていた。テーブルを拭き終えると、チェルは踏み台を持ってきて、瓶から洗い桶へと水を汲む。そこに腕まくりをした手を差し入れると、ひんやりとして心地良い。けれど気持ちよくなる為に水を汲んだ訳ではなく、チェルは次々と汚れた茶碗や皿を浸けてはわらを束ねたものでゴシゴシと擦り落とす。この辺りの文化はチェルが暮らしていた場所とそう違わない。ただチェルの家では母親が薬を作った後に出る灰を、ときどき洗う時に混ぜて使っていた。そうすると擦るだけでは落としづらい汚れが綺麗になるのだ。

 ここにはそういったものはなかったから、全ての食器類を水で洗い終えると、ヨギに言われた通り、全てをカウンターとテーブルの上に並べ、乾燥させておくことにした。

 テーブルの一つにランタンを置き、残ったスープとパン、豆のサラダでご飯にした。


「この肉は燻製くんせいですか?」


 ヨギが特別に奥の部屋から持ってきた紐で縛られた肉の塊は、ナイフで切り分けて、皿に二枚だけ置いてくれたのだけれど、それを口に入れると単純な肉の味だけでなく、何かフルーティーな香りが口いっぱいに広がった。それに塩味も利いている。


「燻製を知ってるのかい。そうだよ。これはね、羊の肉のハムだよ。この地域では比較的羊が安く手に入ってね、それでアタシの店でも自家製ハムを出しているのさ」


 チェルたちの村ではハムよりも圧倒的にソーセージの方が多かった。特に豚肉を腸詰めにして燻製にしたものが多く、保存食としてよく利用されていた。ハムは塊で作り、ソーセージは肉を一度挽いて細かくしたものを腸に詰めて作るらしい。チェルは店で売られているものを買ったり、貰ったりしたことしかないが、ヨギによれば意外と簡単に作れるという。


「アタシもね、元々は広いお屋敷の使用人の一人でさ、それこそ朝から晩まで掃除をして、つくろいものをして、洗い物をして、暮らしていたのさ。けどね、そこで料理長をしていた男に色々と教わって、まあ男と女で多少あったんだけど、そういう話はチェルちゃんにはまだちょっと早いかしらね。ともかく、料理っていうものを初めて知ってね。美味しいものってさ、食べた人を幸せにするじゃない。だから誰かを幸せにできる人でありたいとか思って、ちょうどここが空いてたから、思い切って店を始めることにしたのよ」


 ヨギのコップには白く泡立つ液体が入れられていた。彼女はそれを二口ほどで飲み干し、緑色の瓶から残りを注ぐ。おそらくお酒なのだろう。チェルには葡萄ジュースを出してくれていた。


「その料理長の人とは結婚しようと思わなかったの?」

「うん、それがね」


 彼女は薄暗い天井を一度見てから、微笑し、こう教えてくれた。


「身分がさ、違い過ぎたのさ」


 チェルのいた世界とこの世界でどれくらい文化の差があるのか分からないが、それでも彼女の言葉からは、やはり世界が変わっても超えられない身分格差というものが横たわっているらしい。ヨギが言うには侍女や召使い、料理人、給仕、メイド、執事、掃除婦など呼び名は様々だが、大きく分けると使用人には三つ、ランクが存在するという。

 一番上のランクは家族の世話をする侍女や使用人、あるいは秘書官だ。これは雇い主に一番近い位置で仕事をするということで、他の使用人たちとは大きく扱いに差があり、出かける際にも連れて行ったりする為、普段から見た目や服装にも気を遣うことになる。

 二番目のランクは家の管理や子どもの躾を任されている使用人たち。あるいは料理番についてもここに入れられることが多い。使用人たちの中では最も数が多く、一般的なランクと呼べる。

 そして最低ランクに位置するのが、使用人見習いやゴミの処理、家畜の世話、し尿処理に他の使用人たちの下働きをする使用人だ。

 彼女は当時、料理長の指示で働くキッチン当番の一人でしかなかった。本来であればそんな風に料理長から色々と料理について教わるなどということはないが、それはヨギが唇に人差し指を立てる男女の仲というものなのだろう。

 たとえ使用人同士であろうと、結婚となればそれぞれの身分を気にすることになる。もし自分よりも低い相手と結婚することになれば、必然的に自分のランクも落ちて見られてしまうし、周囲の扱いもそういう風に下げられてしまう。酷い場合には離職や降格、減給といったこともあったそうだ。


「それでも結婚したい、という意思を貫こうとは思わなかったの?」


 チェルからすると馬鹿みたいな慣習だと思うけれど、何も言わずにただ首を横に振っただけのヨギにとっては、破ることの叶わない理なのだろう。

 その日は店の奥で、床の上に薄い布を敷いて眠った。

 チェルは寝床に就き、ぼんやりとだけれど、シンデレラの物語はそういう身分差を打ち破るという物語でもあるのかと、妙なところに感心しながら、夢の森へと入っていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る