6

 自分の家から祖母の家まで歩くよりは、ずっと街は近かった。ただ蛇行するなだらかな坂をゆるゆると降りていき、一つの橋を渡る頃には、日が傾き始めていた。

 橋の上で一旦足を止め、チェルは空を見上げた。山を背に、茜色に染まっていく空は、違う世界なのにどこかアースヴェルトのそれを思い起こさせた。

 あまり母親のことは好きではなかったが、それでも母の作るキノコのシチューは絶品で、自分でも一度挑戦してみたことがあるのだけれど、どうしてもあの味にはならなかった。おそらく隠し味があるのだ。けれど母は決してその秘密を教えてくれない。薬師をしているということもあるのだろうが、自分の技術を秘匿ひとくしておくことが価値だと、そう思い込んでいる。

 橋を渡るとぽつりぽつりとレンガ造りや木造の建物が増え始め、石畳に整備された道路に変わった。

 人の姿もあり、それぞれ夕方からの店の準備に忙しそうだ。

 チェルは開店準備をしていた大衆食堂の一つに顔を出す。


「あの、すみません」

「お嬢ちゃん、うちはまだやってないよ」


 お腹の大きなおばさんが忙しなくテーブルを拭きながら答える。薄暗い店内でカウンターの上に置いたランタンだけが明るい。


「いえ、ちょっとお尋ねしたいんですけど、お城ってどこにありますか?」

「はあ? あんたよそ者かい? あ、そうか。ひょっとして、城の侍女にでもなろうって口だろう。けどねえ嬢ちゃん。あんたみたいな子どもはあそこじゃ雇ってくれないよ。何でも今の侍女長様? だか何だかがえらく厳しい人でさ、教養だけじゃなく、見た目から姿勢から家柄までを吟味して雇うかどうかの判断をしてるって言うんだから。まず子どもは雇っちゃもらえないわ」


 この世界で一体幾つまでが子どもなのかは知らないが、それでも見た目だけでそう判断され、子どもとして扱われる。チェルの暮らしていた村だけでなく、行商人や見回りの兵士、旅の人間など、誰と出会ってもそういう扱いなので、慣れてはいたが、こういう時はもう少し大人っぽく見えるような外見が欲しいと、切に願ってしまう。


「小さいけれど、これでも立派な成人女性なんです」


 少しだけ意地を張ってみたけれど、


「背伸びしたところでお嬢ちゃんはお嬢ちゃんだよ。アタシらのことは何とかだませたとしても、氷の彫像のようだと評される侍女長様の目はどうしようもないと思うわよ」

「すみません」

「まあ、どうしても働きたいってのなら、お嬢ちゃんなら花屋か仕立て屋の手伝いでもすることだね」

「あ、でも、働きたい訳じゃないんです。あたし、ちょっと王子様に用があって」


 王子、という言葉におばさんは動きを止めた。


「あんたの目的はあの王子かい……」


 彼女は王子様ではなく王子と呼び捨てにした。


「そうよ。あの王子よ」


 だからチェルはわざとそれを復唱する。


「なるほどね。そっちの仕事を探しているって訳か。全く、近頃の若い子は金の為なら自分から売り込むっていうのかい」


 おばさんのチェルを見る目の色が変わってしまった。オオカミ卿とはまた違った、あまり民衆に評判のよくない王子なのだろう。それも街の食堂のおばさんが王子と呼び捨てにするほどの何か曰く付きなのだ。男としては期待できないし、シンデレラ同様、物語の重要人物としても期待できない。


 ――どうしてこんな奴ばかりなのよ。


 そう女神に愚痴ってやりたくなったが、視線を合わせなくなったおばさんから何とか城の場所を聞き出したいチェルは、よく分からないが「そういう目的で王子に会いたい」のだとうそぶいた。


「色々と聞いているわ。あたし、これでもそういうことには自信があるのよ。他の女には負けない、特別なものを持っているの」

「へえ、そうかい」


 興味がなさそうな声だ。おばさんは手荒くテーブルを拭き終えると、ランタンに棒状のものを突っ込み、それに移した火を、壁の燭台へと移していく。店内が明るくなり、それとは反対に窓の外には暗がりが落ち始めた。


「城に行くのはいいけど、もう夜だから明日にしな。今からじゃ城に着く前に盗賊かオオカミに襲われちまうよ」

「盗賊は知らないけど、オオカミなら一匹知り合いがいるから大丈夫よ」

「あんた、オオカミと友だちなのかい? おかしなことを言う娘だねえ」

「友だちじゃないわ。敢えて言葉にするなら、下僕かしら」

「流石に王子に取り入ろうって娘は肝が座ってるわ。あんた、ところで今夜泊まるところあるのかい?」

「ある訳ないわ。だってあたしは家なし子ですもの。でも、野宿は少し慣れてるから平気」


 よく母と喧嘩をして、一晩を外で過ごしたものだった。アースヴェルトの夜は短い夏季の間なら比較的過ごしやすい温度と言える。ただそれ以外となると毛布一枚程度ではとても凌げないほどに冷えるので、冬季から春に掛けては野宿での死者も珍しくはなかった。


「アタシはね、これでも面倒見が良すぎるヨギって言われててね、流石にあんたみたいなお嬢ちゃんをいくら夏場とはいえ、夜に一人で放り出しておくほど、人でなしじゃないよ。店、少し手伝ってくれたら、今晩くらいは泊めたげるよ。何なら飯もつけよう。どうだい?」


 意外な申し出に驚いているチェルを見て、おばさんは不器用なウインクをしたのだった。


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