7

「大人しく待ってろ」


 鉄製のドアを開け、兵士によって中に蹴り飛ばされる。もうその手荒い扱いに慣れた、とは言いたくないが、ある程度の諦めはついていた。

 チェルは薄暗い部屋の中、自分の上半身を起こして何があるのか確認する。ドアに開けられた小さな窓越しに廊下から漏れてくる明かりしかなく、チェルが座り込んでいるところまでも光は届かない。それでも壁には鎖やら棘のついた板やらが掛けられ、奥には木と鉄で出来た何かの装置が幾つか並んでいるのは分かった。

 その上、臭いが酷い。鼻が曲がるどころではなく、ここに閉じ込められているだけで意識が遠くなってしまいそうだった。

 立ち上がり、ドアを押してみる。外側にかんぬきがあるだけの簡素なものだが、チェルのような軽い娘が体を当ててみたところでびくともしない。入口以外には窓すらなく、ここが城のどの辺りになるのかも分からない。

 さて、どうして抜け出したものか。

 チェルは右手で握り締めた呪い袋をいつどのタイミングで使うべきか、それを考えていた。


「すでに娘は中に入れております」

「そうか。もう良い。下がれ」


 ドアの向こう側で声がした。閂が上げられ、ドアが開く。

 その隙きに逃げ出そうと開いたところに体を押し込むも、


「おっと。元気の良いお嬢さんだ」


 入ってきた巨漢の男によって簡単に弾き返され、部屋の中に戻されてしまう。

 その手にした松明を、男は燭台に置いた。部屋と男の顔が明るく照らされる。

 ヴァーンストル卿だ。

 三メートルはなかったが、実に二メートル近い巨躯で、床に座り込んでしまったチェルが見上げると石煉瓦を積み上げて組まれた見櫓みやぐらのようだ。


「チェルとか言ったな。儂は拷問が好きだ。何故か分かるか?」

「そういう変態趣味だからでしょ」

「そう。その目だ。儂を睨みつけるその生意気で強がった目が、何より好物なんだよ。本当はこう思っているだろう? 今から何をされるのだろう。痛いだろうか? 苦しいだろうか? それを自分が耐えることができるだろうか? そこに隠れているのは恐怖心だ。人間の恐怖ほど美味しい感情はない。そう思うだろう?」


 顎髭あごひげがふさふさとしている。それが喋る度に上下するのだが、チェルはそれが獣の柔らかい毛並みのように思えて、くすり、と笑ってしまう。


「何がおかしい? それともその態度も強がりか?」

「ヴァーンストル侯爵様。いえ、敢えてここはオオカミ卿と呼ばせてもらうわ。あんた、小さい頃に虐められてたでしょう?」

「何?」

「いつも自分の相手が恐れてくれると思ったら間違いよ。恐怖してくれないと今度は逆に不安になるでしょう? それはね、あんたが本質的には弱者だからよ」


 卿は壁に掛けてあったむちを手にし、床を叩いた。部屋に緊張した空気が走る。


「儂のことを弱者と、そう言うのか?」

「そうよ。あたしを見下ろすその目。それは強者が弱者に対して向けるものでなく、相手が自分を恐れていないかと警戒している眼差しなのよ。だって考えてみれば分かるでしょう? もし自分に自信があるのなら、そんな風に相手を値踏みする必要ないんだもの。あなたは何故そんな風に他者を気にしているのかしら」

「小娘よ」


 オオカミ卿はわざわざチェルの前にその身を屈め、顔を顎から舐めるように見上げ、こう続けた。


「儂を前にしてふるおののかないところは褒めてやろう。その上この儂を弱者と罵った。それはもう強気ではなくただの無謀だ」

「あの、一つ言っておいてあげるけど」


 チェルは立ち上がり、両足を開いてケツを床近くまで下げて自身の体を低くし、必死に見上げようとしているバカ面の領主様の情けない姿を見下ろす。


「そんな格好で言っても何の説得力もないんだけど」


 両手首を縛られた状態で上下にぶんぶんと振り回し、大笑いする。


「何を!」


 声を荒らげて立ち上がると一気にチェルの倍ほどになったが、もうそこには威圧感も威厳も最初にあった威勢すら、微塵みじんも感じられなくなってしまった。


「あははは。何こいつ。これのどこがオオカミ卿なのよ。単純ですぐ相手の言葉に乗っていいように自分が弄ばれていることにすら気づかない、図体ばかりデカくてオツムのよわーい、可哀想なヤツじゃないのさ」

「もう許さんぞ!」


 鞭を手にしていた右腕で壁を叩き、その鞭を投げ捨ていると、代わりに今度は掛かっていた中からノコギリ状になった大きく刃の湾曲した剣を手にした。それを振り上げ、チェルに向かって振り下ろす。だが彼女は軽快にそれを避け、地面を叩く金属の甲高い音が響いただけだった。


「拷問はどうしたの?」

「そんなものはもう要らんわ! 貴様をさっさと血と肉塊に変えてやる!」


 部屋は狭い。逃げる場所は限られている。けれど、卿が手にした大きな刃は明らかにこの部屋でふるうには不向きだった。

 チェルは何度か躱しつつ、自分の背を壁へと近づけていく。


「ねえ、あんたさ、呪いって知ってる?」

「もう貴様の戯言には付き合わんわ!」

「あら残念。折角あたしが魔法使いの理の秘密を教えてあげようっていうのにさ」

「魔法など、儂には必要ないわ!」


 卿の奮った刃がチェルの頭上を掠めていく。大事な赤い髪の毛が数本、傷んだだろうか。


「呪いというのはね、魔法ではないの。つまり魔法使いではない人間にも扱うことができる。あたしはね、一応あの大魔法使いローサの孫娘だけど、残念ながら魔女の素養はないのよね」

「それがどうしたというのだ?」

「そんなあたしでも呪いなら扱えるっていう話。こうやってさ」


 大きく振り被ったオオカミ卿の目の前に、ずっと手で握っていた呪い袋の紐を引きながら口を向けてやった。


「そんなもので儂に何ができるか!」


 袋に込められた呪詛があふれ、卿を襲う予定だった。

 けれど袋の中から出てきたのは呪いなんて代物ではない。


「な、何なの?」


 漆黒の風だ。

 そうとしか表現できない何かが、恐ろしい勢いで噴出する。


「何をした! 小娘!」

「ごめん。あたしも、よく知らない」

「何だとお!?」


 その闇は見る間に卿を覆うと、まるでオオカミがひと呑みするかのようにして、すっぽりと彼を取り込んでしまった。

 からん、と手から落ちた剣が床で跳ねた。

 チェルはただただ驚いてその光景を見ていたが、とにかく自分が助かると感じ、その場から逃げようと背を向ける。

 だが前に一歩踏み出したところで、


「待て!」


 フードが掴まれた。


「もう! だから赤頭巾なんて嫌だったのよ! 離せ、こいつ!」


 見れば闇から伸びた卿の腕だけが、彼女の背中に外していたフードを掴み、そのまま引きずり込もうとしていた。


「やめてよ!」

「このままで済むと思うな! 貴様も!」

「あんたと同衾どうきんなんて絶対ごめんだから!」


 とは言うものの、踏ん張るところがない。卿の力は想像を遥かに上回って強く、チェルの小柄な体ごと持ち上げると、そのまま渦巻く闇の中へと腕ごと吸い込まれてしまった。


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