6

 激しく台を打ち付ける木槌の音でチェルは我に返った。

 牢屋の壁に強か背中を打ち付けた所為で、どうも頭がぼんやりとしてしまっている。

 改めて自分がどこに連れて来られたのか、周囲を見回した。

 天井が高く、煌々こうこうと火が焚かれている。

 ちょうど二階の位置に手摺てすりが設けられた立ち見席があり、役人らしき仕立てのいい同じ緑色の服を着た男たちがぞろぞろとこちらを覗き込んでいる。左右には兵士たちが並び、出入り口を塞いでいる。後ろは壁で、チェルは自分の目の高さまである木製の台を前にして、両手、両足を縛られた状態で立たされていた。当然そこから繋がった縄は背後に立つ兵士の手によってしっかりと持たれ、逃げることなど不可能だ。


「いいか」


 と、地響きかと思うような低い声がチェルの前方から聞こえてきた。

 一段高くなったところに手摺の付いた豪奢ごうしゃな椅子があり、それにどっかりと腰を下ろした長身の体躯の男が、足を組んでこちらをつまらなさそうに見ていた。その男の格好ときたら、短髪に彫りの深い顔はたくましさと厳つさを感じさせ、あごおおう髭を撫で付ける仕草がまた、チェルからすると気持ち悪い。しかし何より最悪なのは胸元からお腹までを露出させていることだ。裸の上にベスト状の真っ赤に染めた毛皮を着ている。パンツも膝上までで、光沢のある何かの革が使われていた。履いているくるぶしから先を覆う靴も革製のようで、貧乏人たちが履く木靴とは履き心地も歩き心地も大きく差がありそうだった。


「お前が何故、ここに呼ばれたか、理解しているか?」

「ここ、というのはどこのことでしょうか」


 チェルの言葉に男は眉をひそめる。


「そもそもあなたは誰で、今何について話をしようとしているのかしら」

「おい、小娘!」


 男の脇に控えていたちょび髭の役人が声を荒らげたが、その顔面を男の大きな左拳が襲った。


「そうか。お前はわしに会うのは初めてか。わしを知らんとは不幸と言うべきか、それとも運が良かったと考えるべきか」


 その態度、周囲の役人や兵士たちの様子から、チェルには既に想像が付いていたが、知らない振りを通して笑みを浮かべる。


「どうせならこのまま知らないで、さっさとおさらばしたいところね」

「知らないままあの世に逝きたいと言うのなら、それでもいいが、どうする?」


 男の目は揺るぎない。その言葉が冗談ではないことは周囲の者たちの様子に頼るまでもなく、チェルにも分かった。


「そういう選択肢は残念ながら今この場には存在しないらしいわね。直々に自己紹介していただけるのかしら、ヴァーンストル侯爵様」

「知っていたか」

「知ってはいないわ。ただあなたの顔に私はオオカミ卿と皆に恐れられているヴァーンストル侯爵ですと書かれているから、それを見たまでよ」

「皆が儂を恐れている、と? そうなのか?」


 二階から見ていた役人の一人が、笑い声を上げた。

 息を吸う間もなかっただろう。

 脇に控えていた役人から剣を受け取ると、軽くひと投げし、その役人の胸元を貫いてしまった。

 傍にいた二、三人は巻き添えをくって血を浴びたが、周囲にいた者たちがすぐにその不敬な輩を外へと運び出してしまう。


「儂を恐れる者など、ここには一人を除いていないようだ」

「その一人というのは、あなた自身かしら」

「えらく弁の立つ小娘よ。名は何と言う?」

「あら、呼びつけておいて名前を知らないとはいい加減なものね。レイチェル・フロウ。みんなはあたしをチェルと呼ぶわ」


 ――フロウ。


 その名前に、ヴァーンストル卿は片目を細め、唸る。


「よもや、森の魔女の娘か」

「森の魔女がどの魔女か知らないけれど、あたしのお祖母ちゃんはかつて大魔法使いと呼ばれたことがあると言っていたわね」

「ローサの孫娘なのか。そういえばそのオレンジの燃えるような赤髪に、小生意気な口の利き方。あやつによく似ておる」

「あら、お祖母ちゃんのお友だちだったの。それは失礼したわ。でもねえ、あんたのことお祖母ちゃんから聞いたことはないのよ」


 卿は何か言おうとしたが、何故か思い留まり、小さく舌打ちをした。


「ともかく、チェルとやら、お前がここに呼ばれた理由は分かっているか」

「だから知らないって言ってるでしょ」

「お前には殺人容疑が掛けられている」

「あたしは人殺しなんかしてないわ」

「だがな、証人もちゃんといる。それもお前が殺したところを目撃した、というのだ」


 それは妙な話だった。そもそもおかしいことだらけなのだ。ひょっとすると誰かに嵌められたのだろうか。


「殺されたのは城に出入りしていた行商人の二人だ。自分の仲間が殺されたと、残りの一人が言っておる」

「証人よ、入れ」


 脇の役人が声を掛けると、右手側の入口から兵士によってその人物が連れてこられた。


 ――あいつ。


 それは祖母の家に行く途中にチェルを攫おうとした三人組の一人だ。あの猫背男。確か名前はライスとか言った。


「行商人をしております、ライスと申します。私とグレンダ、バングの三人で主にアースヴェルトを中心に煙草や酒を運んで生計を立てておりました。ちょうど森で一休みしていたところ、二人の姿が見えなくなり、声を聞いて駆けつけると、この小娘がグレンダとバングをナイフでこう、切りつけていたんでございます」


 猫背男は動きを再現するように、屈み込んで右腕を何度も振り下ろす。


「驚きましたよ、そりゃ。だってグレンダもバングも私より背丈も大きく、腕っぷしもいい二人だ。それがこんな小娘にやられるなんて、到底考えられない。けど、見たんです。この小娘が、不思議な術を使い、二人を動けなくしているのを」


 魔女だ。魔女の娘だ。

 そんな囁きが二階から響く。


「なるほど。流石にローサの孫という訳だ。このように証人も証言もある。おまけにここには殺害に使われたそのナイフもある」


 脇に控えていた役人がまだ血が黒くこびりついて残っているひと振りのナイフを取り出して、卿に渡した。彼はそれを宙に放り上げながら、チェルを見て、口元に笑みを浮かべる。


「何か言いたいことはあるか?」

「そのライスって男の証言が正しいかどうかは、誰が判断するの?」

「ここは儂が国王ローゼンボルグ陛下より預かるヴァーンストルの城よ。その法廷において嘘の証言をするということは許されない。その意味が分かるな?」

「けど、嘘をついていることの証明ができないなら、いくら嘘をつくなと言ったところで意味なんてないじゃない。もし嘘が嘘と証言できないのなら、適当に証人や証言をでっち上げて無実の人間を簡単に罪人にすることができるわ。あんたが言っているのはそういうことよ」

「おい、ライス。お前は儂の前で嘘をついている、というのか?」

「いいえ、とんでもございません。ここは正式な法廷の場。神に誓って嘘の証言など、いたしませんよ」


 自分の右の掌を見せながら、ライスはうやうやしく頭を提げる。

 その堂に入った仕草がまた、チェルを苛立たせた。


「それに」


 ライスは続ける。


「そのナイフがこの魔女の持ち物だという証拠もございます」

「ほお」


 顎を持ち上げると、卿はそのナイフをライスの足元へと放り投げた。軽い音を立てて転がったそれを拾い上げると、ライスはナイフの血がべっとりと付着したヒルト(つば)の部分から、何か小さい切れ端を手に取る。それは変色してしまっているが、ある植物の花びらだと分かった。


「エリカです。あの森には途中にエリカが沢山咲いているところがありましてね。その娘、ちょうどそこを通った後に、俺の仲間をやりやがったんですよ。それが証拠に」


 ライスはチェルに近づくと、その背中側に垂れた真っ赤なフードに手を突っ込んだ。


「ほら。こんなに沢山エリカの花びらがあります」


 掴んだ手を開くと、ひらひらと五枚以上の小さいピンクの花びらが舞いながら落ちた。


「あの場所を通った人間が他にはいないようですから、必然的にこの魔女の娘が犯人ということになりましょう」


 二階で見ていた役人たちは拍手をし、歓声を湧かせた。

 椅子にふんぞり返っているオオカミ卿も満足げにこちらを見ている。

 万事休すだった。


「という訳だ。何か異論はあるか?」

「この男が真犯人よ。あたしは嵌められたの。というか、意趣返しでしょ? こいつはね、あたしを攫おうとしたのよ。そうよ。行商人なんて真っ赤な嘘で、本当は人攫いなの。そちらの方こそ裁かれるべきでは?」


 焼け石に水だとは分かっていた。けれどこのまま屈する訳にはいかない。


「人攫いとな。それはそれで悪いことだな。だが、人殺しの弁を誰が信用するものかな?」


 卿とライスが目線を合わせる。

 どうやら全てが最初から仕組まれていたことのようだ。考えたのはライスなのか、それともヴァーンストル卿自身なのかは分からないが、今ここでどんな言葉を並べたところでチェルが無罪を勝ち取るのは不可能だろう。


「何も言えぬか。そうだろうな。では判決を下すとしよう。殺人を犯した者は死刑と決まっているが、二人も殺した上に、何度も斬りつけるという残忍極まりない殺害方法ゆえ、お前には拷問の後で死刑にした上、晒し首としよう。良いな?」

「いいわけないでしょ、何言ってんのよ」


 強気で言い放ったチェルの右頬が、背後にいた兵士によって殴りつけられた。


「これにて判決とする。では解散」


 閉廷の声で、会場内は一気にざわつき始める。


「おい。さっさと来い」


 ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべているライスを睨みつけていたチェルは、兵士により強引に引っ張られた。これから拷問が待っている。チェルの頭はそれを如何にして切り抜けるかに全ての知恵を集中させた。


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