3

 寝息を立て始めた祖母を置いて、家を後にする。

 もう百歳を超え、一日の大半を眠って過ごしている祖母をチェルはいつこの世界からいなくなってしまうのだろうか、と時折不安になる。母はあまり祖母のことが好きではない。けれど無理やり魔法使いにさせられそうになった母の気持ちも、チェルには理解できる。

 ただ、もうそろそろ、その二人のわだかまりが解けてくれてもいいのにな、と思わないでもないのだ。

 何度か道を迷った所為せいか、少し開けた場所から空を見上げると随分ずいぶんと日が傾いていた。このままだと夜までに村まで戻れないかも知れない。

 チェルは足早に家を目指す。


 夜の森の恐ろしさを知ったのは、まだチェルが三歳の頃だ。歩けるようになって、それが楽しくて、ぴょんと現れた野ウサギを追いかけていたら見事、迷子になってしまった。月明かりもなく、村のように松明が炊いてある訳でもない。

 ふくろうたちの声が反響して、自分がどちらに歩いていけばいいのかすら分からなくなり、大きな石の上に腰を掛け、流れてくる涙を拭っては「おばあちゃん」と叫んだものだ。

 けれど現れたのはオオカミだった。低いうなり声を上げ、威嚇いかくするように目を光らせる。

 チェルは泣いては駄目だ、負けては駄目だと歯を食いしばり、ぎっと睨み返した。

 どれくらいその睨み合いは続いただろう。

 相手が根負けしたのか、それとも何もしないと分かったのか、急にやる気を失ったように首を振るとオオカミはそのまま行ってしまった。

 村の捜索隊の松明が見えたのは、そのすぐ後のことだ。

 最初は自分たちで探そうとしたが見つからず、結局村外れの祖母の家まで行ってどこにいるか占ってもらったらしい。

 森を歩いていて不安になると、チェルはその話を思い出す。

 あの時もしオオカミに食われていたら、自分はあのオオカミの一部になっていたのだろうか。

 人が死んだらどうなるのか。未だにチェルにはよく分からない。それを祖母に尋ねると「私もまだ死んでないからねえ」と笑われてしまった。

 考えるだけ無駄だ、ということなのだろう。


 チェルは貰った呪い袋を握り締め、平気な振りをして歩き出す。

 だが彼女の耳は馬の足音を捉えた。こちらに近づいてくる。

 そう思っている間にも馬に乗った鎧騎士が一人、また一人と姿を現し、合計四つの人馬がチェルを取り囲んでしまった。


「貴様、レイチェル・フロウか?」


 そのうちの一人が馬を降り、彼女に尋ねる。高圧的な物言いは流石にヴァーンストル卿の手下だ。


「何か?」

「貴様には殺人容疑が掛かっている。城まで来てもらおう」


 どうやらただの兵士ではなく、憲兵のようだった。


「あたしは誰も殺しちゃいないわ。人違いじゃない?」

「人違いかどうかはこちらで判断する。いいから大人しく来るんだ」


 すっと兵士の手が伸び、引っ込めようとしたチェルの右腕を掴む。それは想像以上の力でとても太刀打ちできるとは思えず、


「痛い! もうちょっと優しくしなさいよ!」


 声を上げて抗議してみるが、兵士の方には手心を加えるつもりはないらしい。

 もう一人が降りてきて縄を取り出すと、


「まだ未成年なのよ! 変なとこ触ったらあんたら全員犯罪者で訴えてやるんだから!」


 暴れる彼女をものともせず、縄を体にぐるぐるまきつけ、


「じゃ、行くか」


 片腕で抱えられると、そのまま馬に乗って連れて行かれてしまった。腕に掛けていたバスケットは地面に転がってしまったが、何とかあの呪い袋だけは落とさずに握っていることができた。


 ――今に見てなさいよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る