第2話 Game [Round 1]

「ねぇ、瑞稀ちゃん。ちょっとだけゲームしてみない?」


 日菜が唐突に、瑞稀に対して提案をして来た。


「えっ……?良いけどーーー」


 瑞稀は日菜の提案には賛同をしたが、少し心配事があった。

 それは、


「そろそろ下校時間になるぞ……」


 そう言いながら、瑞稀は教室の正面にある、壁に掛けられた丸い時計を見た。

 日菜も一緒になって時計を見てみた。


「まだ大丈夫だと思うよ。それに、このゲームは直ぐ終わると思うから」

「……わ、分かった」


 日菜が言うのであれば、大丈夫なんだろうと考えた瑞稀は、日菜が提案したゲームを渋々する事にした。


「で、どんなゲームをするんだ?」


 瑞稀が日菜の顔を見ながら訊いてみた。

 すると、日菜も瑞稀の顔を向いた。


「フフッ、それはね?」


 日菜は一度ニッコリと笑い、一拍置いてからゲーム名を言った。


「『この子の前で「好き」って言って、起きたら負けゲーム!』」

「は、はぁっ!?」


 日菜からの衝撃的なゲーム名に、瑞稀は転げ落ちそうになった。

 瑞稀の顔は見る見るうちに林檎の様に真っ赤になり、今にも頭から湯気が出そうになっていた。


「な、何言ってんだよ!

 そ、そんなゲーム、やらないに決まってるだろ!」


 瑞稀はまた日菜とは反対の方向に、プイッと顔を背けた。


「それじゃあ私、この子の事、独り占めしちゃうよ?」


 日菜は瑞稀に少し意地悪な事を言った。

 性格が悪い様に思われる発言ではあるが、瑞稀を振り向かせるには一番効果的なのである。


「うぐっ……」


 効果があったのか、瑞稀の顔はジリジリと男の子の方を向き始めていた。

 その顔は恥ずかしいという気持ちと、男の子を取られたく無いという気持ちが入り混じり、複雑な顔になっていた。


「うぅー……!」


 瑞稀の顔は男の子を通り過ぎ、そのまま日菜の方を向いた。

 そして顔を真っ赤にし、上目遣いで日菜を睨んだ。

 そのまま数秒間睨んだ後、瑞稀は一度目を瞑りながら口を開いた。


「……そのゲーム、ウチもやるよ……」


 日菜には敵わないと思い、瑞稀は負けを認めた。


「やった!瑞稀ちゃんなら一緒にやってくれると思ったよ」


 日菜は両手で小さくガッツポーズをし、満面の笑みを浮かべた。

 そんな日菜のあどけない表情に、瑞稀は呆れを通り越して可愛く思い、自然と微笑んでしまった。


「それで、そのゲームはどうやってやるんだ?」


 瑞稀は提案者である日菜に、ゲームのルールを訊いた。


「ルールはとっても簡単!

 この子の耳元で『好き』って言葉を囁くだけ。それでこの子が起きたら負け。

 ね、簡単でしょ?」


 日菜はゲームの内容を軽く話した。

 すると、瑞稀は耳まで真っ赤にし、


「な、何が『ね、簡単でしょ?』だよ!

 ただただ恥ずかしいだけじゃないか!」


 と言って怒った。

 しかし、日菜はそんな瑞稀に臆する事もせず、寧ろ更に煽って来た。


「それじゃあ、やめる?」

「やるっ!」


 勢い余って少し食い気味に言い放つ瑞稀。

 恥ずかしくて心臓が爆発しそうではあったが、それ以上に男の子を取られたくないという気持ちがまさったのであった。


 ゴソゴソッ………


 ずっと寝ていた男の子が急に動き出した。

 瑞稀と日菜は起こしてしまったと思ったが、そうではなかった。

 今まで顔を右に向けて寝ていた男の子であったが、頭を動かし、机に突っ伏す様な体勢となり、両耳がしっかりと露わになった。


 男の子の急な行動にびっくりした二人であった。

 が、二人共同じ事を考え、同時にお互いの顔を見合った。

 そして、同じタイミングで笑いを漏らした。


「こいつ、聞く気満々じゃん」

「フフッ、凄く楽しみにしてるのね」


 こうして、ゲームの準備が整ったのである。




「それじゃあ、言い出したの私だから、私からやるね」


 日菜はそう言うと、男の子の右耳に近づいた。

 そんな日菜を瑞稀は目を丸くし、ジッと凝視していた。

 男の子に近づくと、フワッと石鹸の良い匂いが鼻腔をくすぐった。

 多分、シャンプーの匂いかな?と思いつつ、日菜は耳元で小さく囁いた。




「……す、好き」




 その時、全ての音が無くなり、日菜の囁く声だけとなった。

 3秒にも満たない時間であったが、確かに日菜の声だけが周りに響いた。

 さすがの日菜もこれには顔を少し赤くし、焦って自分の座っていた椅子に戻った。

 側から見ていた瑞稀も、何故か背筋を伸ばしながら日菜を見守っていた。


 暫く沈黙の時間が流れた。

 寝ている一人の男の子と、その正面で顔を赤らめながら俯く女の子と、それを側で見ている女の子という、異質な空間がそこには広がっていた。

 そんな沈黙を日菜が破った。


「は、恥ずかしかった……!」


 日菜はそう言いながら、両手で顔を塞いだ。

 今、彼女の手の内側に隠れている顔は、更に真っ赤になっているに違いない。


「日菜……今のめっちゃ可愛かった」

「い、今そんな事言わないで!」


 純粋に今の気持ちを伝えた瑞稀。

 しかし、日菜にとっては恥ずかしい事この上ない。


「あ〜あ、なんで私こんな事、提案したんだろう」


 日菜が後悔の念に駆られていると思いきや、急に顔を覆っていた両手を下げ、瑞稀の目を見やった。

 その顔は瑞稀が思っていた通り、とても赤くなっており、瞳には少しだけ涙が浮かんでいた。


「次……瑞稀ちゃんの番だよ」


 日菜は少しムスッとしながら、瑞稀に催促した。

 しかし、瑞稀は未だに渋っており、苦い顔をしていた。


「ほ、本当にやらなきゃダメ?」

「うん、やって欲しい」


 日菜の目はキラキラと輝いていた。

 それは、涙という物理的な輝きではなく、期待やワクワクする気持ちからであった。


「はぁー……わ、分かったよ」


 瑞稀は一度、大きなため息を吐くと椅子から立ち上がった。

 男の子を起こさない様に、ゆっくりと椅子から離れる。

 そして、男の子の左耳に近づくと、石鹸の良い匂いが瑞稀を襲う。


「……こいつ、なんでこんな良い匂いするんだよ」


 瑞稀が小さな声で嫉妬する。

 自分よりも女の子らしい男の子に、悔しく思う瑞稀であった。

 そして、慎重に慎重に男の子に近づく。

 吐息が掛かる位まで近づくと、瑞稀はか細い声で囁いた。




「……す、好きだ」




 日菜の時と同様、全ての音が一瞬だけ消え、瑞稀の囁く小さな告白だけが、辺りに響き渡った。

 しかし、その声はとても小さかった為、直ぐに他の音に掻き消された。

 だが、確かに響いたその言葉は、女の子二人を高揚させた。


「……」「……」


 瑞稀も日菜も押し黙ってしまった。

 何も無い、ただただ目の前の男の子が、気持ちの良い寝息を立てる音だけがそこにあった。


 顔を赤らめながら、瑞稀は自分が座っていた椅子に座り、椅子の背もたれに両腕を折り畳み、その腕に顔をうずめた。

 あまりにも恥ずかしく、日菜に今の顔を見られたく無いと思い、顔を隠したのだ。


 日菜はと言うと、ただ呆然と瑞稀を見ていた。

 瑞稀があまりにも美しく、そしてあまりにも可愛かったからである。


「…瑞稀ちゃん」

「なんだよ」


 瑞稀は日菜に呼ばれた為、顔を少しだけ上げて目を出し、日菜に視線を向けた。

 その目にはやはりと言うべきか、涙を浮かべていた。


「凄く可愛かったよ」

「うるせぇよ……」


 日菜が屈託の無い笑顔を瑞稀に向けた。

 そんな日菜とは反対に、瑞稀は日菜から顔を背け、再び顔を腕に埋めた。

 しかし、その顔の口角は少し上がっていた。


「それじゃあ、2周目ね」


 日菜がとんでもない発言をする。

 お互い、一周だけでも寿命が1年縮まる程緊張したのに、まだ続ける気だったのだ。

 さすがの瑞稀も顔を上げざるを得なかった。


「ちょ、ちょっと待て!まだこのゲームをやるのか?」

「うん、だって一回だけって言ってないよ」

「いや、そうだけどさ……」


 瑞稀の声は徐々に小さくなる。

 日菜に完全に嵌められ、後悔の文字が顔に現れていた。

 そんな瑞稀の気持ちを理解しながらも、日菜は再び男の子に近づいた。

 そして、日菜は右側の髪の毛を手で掻き上げた。




「君の事……ずっと前から好きだったんだ」




 日菜の可愛らしい声が、男の子の耳を刺激する。

 しかし、起きる気配は全くなく、ただただ可愛らしい寝息を立てていた。


「やっぱり起きなかったね」


 日菜はそんな事を言いながら、元いた椅子に座った。


「日菜……よくあんな恥ずかしい事を臆面もなく言えるな」


 瑞稀は日菜に対して、恥ずかしいという気持ちは無く、寧ろ関心していた。


「うん。なんだか、さっきので慣れちゃったのかも」


 日菜は椅子に座りながら、両足をブラブラさせた。


「それにね、好きっていう気持ちと共に、言葉も溢れちゃったみたい」


 そう言いながら、日菜は瑞稀に「いぃー」と歯を見せながら笑顔を向けた。

 その笑顔は太陽よりも輝いて見えた。


「それじゃあ、次はウチの番だな」


 瑞稀は日菜に催促されるよりも早く、椅子から立ち上がった。


「瑞稀ちゃん、やる気満々だね」

「う、うるさい……」


 日菜に少し揶揄からかわれた瑞稀であったが、実は内心焦っていた。


「……だって、本当に日菜に取られそうなんだもん」


 瑞稀は日菜に聞こえない程度で、小さな声で呟いた。


「瑞稀ちゃん、今何か言った?」

「な、何も言ってない!」


 日菜に少し聞こえてしまった事に焦る瑞稀と、首を傾げてキョトンとする日菜であった。

 乱れた心拍を静める為に、瑞稀は大きく深呼吸を一回する。

 そして、瑞稀は男の子に近づき、顔を耳元まで持っていった。




「ウチ……お前の事、好きなんだ」




 ゆっくりと、そして、小さく囁いた。

 繊細な声が男の子の外耳道で木霊し、鼓膜を揺らす。

 すると、男の子が「うーん」と唸りながら、再び右に顔を向けた。

 瑞稀の身体と心臓はビクンと跳ね上がり、焦って後退りした。


「この子、起きてないみたいだよ」


 日菜が冷静にその場の状況を教えてくれた。

 その言葉の通り、男の子はただ唸っただけであり、特に起きる様子は無かった。


「な、なんだよ……驚かさないでくれよ」


 ホッと胸を撫で下ろす瑞稀。

 落ち着こうと深呼吸をしようとした時、自分の心臓の鼓動が異様に早い事に気が付いた。

 瑞稀は自分が思っているよりも、ずっと緊張をしていたのと、この男の子の事が好きである事に気が付いた。

 そんな自分に、思わず顔が綻んでしまった。

 その顔に気が付いた日菜は、透かさず瑞稀に訊いた。


「瑞稀ちゃん、どうしたの?なんだか嬉しそう」

「ううん、なんでもない」


 瑞稀は嬉しさを噛み締めながらも、言葉では濁した。

 その時の瑞稀の顔は最上級の笑顔であり、釣られて日菜も顔を綻ばせた。


 暫く瑞稀と日菜はお互いの顔を見合っていたが、突然瑞稀が顔を逸らし、男の子の方を向いた。


「日菜……そろそろ起こした方が良いんじゃないか?」


 そう、今は最終下校時刻が迫っている最中さなかなのである。

 なんだかんだで焦っている瑞稀とは裏腹に、日菜は至って冷静であった。

 いや、寧ろこの状況を楽しんでいた。


「うーん、もう少しこのままにしてあげよ」


 日菜が衝撃的な言葉を発する。

 そして、耳を疑う様な発言が瑞稀の耳に入った。


「それより瑞稀ちゃん…第二回戦、始めようか」

「えっ……?」


 瑞稀は素っ頓狂な声しか出なかった。

 あまりにも驚き過ぎて、少し変な顔をしているのが自分でも分かるくらいに。

 そんな瑞稀のあまり見た事の無い顔を見て、日菜は思わず手で口を覆いながら笑った。


「瑞稀ちゃん、凄く変な顔してるよ」

「いやいや、日菜が変な事言うからだろ!」


 驚きを隠せない瑞稀の声は、次第に大きくなった。

 日菜はそんな瑞稀に、シーっと人差し指を口に当てて静かにする様促した。


「あ…ご、ごめん」

「大丈夫だよ」


 自分の声が大きくなっている事に気が付かなかった瑞稀は、素直に謝った。

 そして、二人で男の子の方を見てみる。

 可愛らしい寝息を立てながら、スヤスヤと寝ている男の子。

 起きそうな感じはこれっぽっちも感じ取れなかった。


「気持ちよさそうに寝てるな」

「そうだね。なんだか、こっちまで眠くなっちゃいそう」


 可愛らしい男の子を微笑ましく眺める二人。

 このまま時が止まれば良いのに……。


「ねぇ、本当に続きをやるの?」


 この場にメスを入れたのは瑞稀であった。

 瑞稀は不安がっており、もう一度日菜に質問した。


「うん、勿論やるよ」


 瑞稀とは反対に、やる気満々な日菜。

 どうやら、何か企んでいる様子であった。


「瑞稀ちゃんはやらないの?」

「うぅ……」


 このゲームの始めの様に、日菜は再び瑞稀を煽り始めた。

『やりたくない』『恥ずかしい』という気持ちと、『こいつを取られたく無い』『もっと気持ちを素直に伝えたい』という気持ちが、瑞稀の頭の中で拮抗し渦巻いていた。

 しかし、日菜の一言で瑞稀は動いた。


「それじゃあ、この子を独り占めしーーー」

「分かったやる!」


 日菜の質問に、瑞稀は食い気味で答えた。

 瑞稀の頭の中では、『素直な気持ち』が勝ったのだ。


「フフッ。瑞稀ちゃん、やる気満々だね」

「……日菜には言われたく無い」


 こうして、日菜が提案したゲームのラウンド2が始まるのであった。

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