眠り王子と秘密のゲーム

齋藤 リョウスケ

第1話 Reasons

 キーンコーンカーンコーン!


 教室で先生の帰りの話が終わり、放課後を知らせるチャイムが響き渡る。

 教室では「さようなら」や「じゃあね」などの別れの挨拶が飛び交ったり、これから何処か寄り道をしようと相談する会話で賑わっていた。


 しかし、その賑わいは長くは続かない。

 部活に行く生徒や家に帰宅する生徒が、次々と教室を出て行く。

 それに比例する様に、教室内の賑わいも小さくなった。


 ……いや、賑わいが小さくなった理由はそれだけではなかった。


 今日一日の最後を締めくくる国語の授業の時、急に眠気に襲われた。

 それもそのはずである。

 座っている席が窓辺である為、日光の温かさが全身を包み込み、眠りの国へといざなおうとしていたのだ。

 授業はなんとか最後まで聞けていたが、帰りの先生の話はもはや子守唄になっていた。


 チャイムが鳴った瞬間、目は完全に閉じてしまい、身体を机に突っ伏してしまった。

 辛うじて聞こえていた声も、段々遠くから聞こえる物となった。

 そして、誰かが「また明日」と言った瞬間、全ての音がフェイドアウトし、深い眠りへと落ちたのだ。




「ごめん、日菜ひな。忘れ物を取りに行くのに付き合わせちゃって」

「ううん、大丈夫だよ。瑞稀みずきちゃん」


 ガラガラガラッ!


「あれ?あいつまだ寝てるよ……」


 教室に入って来た人は、瑞稀と日菜の二人だった。

 入って早々、開口一番に口を開いたのは幼馴染の瑞稀である。

 陸上部に所属しており、無駄の無い筋肉と少し日に焼けた肌がとても健康そうだ。


「ふふっ、お日様に当てられて、ずっと寝てるのよ」


 もう一人は中学からの仲である日菜だ。

 図書委員を務めており、普段は物静かな女の子である。


「それにしても寝過ぎだろ……。もうそろそろ最終下校時刻になるぞ」


 瑞稀は呆れ顔をしながら、いつまでも寝ている男の子に近づいた。

 日菜もそれに続く様に、瑞稀の後ろに付いて行った。


「おーい、そろそろ起きろ!先生に怒られるぞ」


 瑞稀は寝ている男の子の肩を、少し乱暴に揺らした。

 それを見た日菜は、


「ちょ、ちょっと待って!瑞稀ちゃん!」


 両手で瑞稀の腕を掴み、肩を揺らすのを止めさせた。


「ど、どうしたんだよ、日菜?」


 急に掴まれた瑞稀は、少し戸惑いながらも日菜に訊いた。

 すると、日菜は人差し指を口の前に立て、しーっのポーズを取った。


「もう少しだけ寝かせてあげよ」

「いや、でも時間がーーー」

「少しだけなら大丈夫だよ」

「……分かったよ」


 日菜の押しに負けた瑞稀は、はーっとため息を吐きながら、渋々と男の子の前の席に座った。

 そして、日菜もニコニコ笑いながら、男の子の右斜め前の席に座った。

 男の子は顔を右に向けて寝ていた。


「……この子の寝顔、可愛いね。瑞稀ちゃん」


 日菜は男の子の顔と、瑞稀を交互に見比べながら話した。


「……ん。そ、そうだな」


 瑞稀は椅子の背もたれの上部分に肘を付き、頬杖を突いた。

 そして照れている顔を隠すかの様に、窓の外を眺め始めた。

 しかし、その顔は窓に反射しており、日菜には少し見えていた。

 日菜はそんな瑞稀を可笑しく思うと同時に、可愛らしいと思い、つい「フフッ」と笑ってしまった。


「な、なんだよっ!」

「ううん、なんでもないよ」


 少し笑った日菜に瑞稀は少し怒ったが、日菜は少しも怯えずに微笑んでいた。

 そんな日菜がちょっと気に食わなかったのか、瑞稀は頬杖をやめて、椅子の背もたれに両腕を折り畳み、その上に顎を乗せた。


「なぁ、もう良いだろ?もう起こして帰ろうよ」

「もう少し…もう少しだけこの寝顔を見させて」


 日菜は男の子の寝顔をジーッと見つめていた。

 いや……正確には『凝視』していた。

 そんな日菜にも呆れ始めた瑞稀は、仕方なく待つ事にした。

 目の前にある男の子のつむじを見て、愛(いと)しいと思ってしまった自分を悔しく思いながら……。


「ねぇねぇ」

「何?」

「瑞稀ちゃんって、いつからこの子の事、好きになったの?」

「は、はぁっ!?」

「しーっ!」


 あまりにも突然過ぎる日菜の話に、瑞稀は思わず椅子から飛び上がった。

 その音が少しうるさかった為、日菜はまた人差し指を口に持って行った。

 思わず立ってしまった瑞稀は座り直し、一度大きく深呼吸をした。


「……そ、そんな事聞いてどうするんだよ」


 瑞稀は恥ずかしさから、口籠もりながら日菜に聞き返した。


「私たち、最近になってお互いにこの子の事が好きだって知ったでしょ?やっぱり、ちょっと気になっちゃって……」


 日菜は話しながらも男の子の寝顔を見ていたが、その口調は次第に暗くなって行った。

 瑞稀は日菜の顔を見てみると、やはり暗い表情をしていた。

 そんな日菜の顔を見て、瑞稀は心の中で一つの決心をした。

 そして、ゆっくりと子供に語りかける様に話し始めた。


「……ウチは小さい頃から好きだったよ。こいつとは幼馴染だから、『大きくなったら結婚しよう』なんて言ってた時もあったな」

「へぇ〜、瑞稀ちゃんにもそんな時があったんだね」

「う、うるさい!茶化すなら話さないぞ」

「あー、ご、ごめん。そんなつもりは無かったの。ごめんね」


 瑞稀は腕を組み、顔を日菜とは反対の方を向いた。

 そんな瑞稀を日菜は急いで宥めた。


「……ん、良いよ、許す。」

「ありがとう」

「続きを話すよ。それから小学生に上がったウチは、こいつに好きっていう気持ちを、素直に伝えられなくなって来たんだ」

「…うん」

「でもね唯一、伝えられる日があったんだ」

「それって、いつ?」

「………バレンタインデー」


 瑞稀が小さい声でバレンタインデーと一言だけ言うと、顔を真っ赤にさせた。

 顔から火が出るとはよく言ったものだ。

 そんな瑞稀を余所に、日菜は一つ思い当たる事があり、一人感心していた。


「そっか、瑞稀ちゃんのお菓子作りが得意な理由って、ここから来てたんだね」

「うん……多分、そうだと思う」


 瑞稀は恥ずかしさからなのか、顔を俯かせていた。

 しかし、表情は何故か暗かった。


「でも、そのバレンタインデーも学年が上がるに連れて、怪しくなってきたんだ」

「……何かあったの?」

「ううん、特別何かあった訳じゃないんだ。

 ただ、こいつの反応が上がるに連れて薄くなって行ったんだ。

 その時は、一人相撲をしている様な感覚だったね」

「……」


 話していく内に、瑞稀の声が少し震え始めた。

 そんな瑞稀を日菜は何も喋らず、ただひたすらに瑞稀の話を聞いていた。


「それから徐々に、こいつから気持ちが離れて行ったんだ。

 だけど、やっぱり離れられなかった」


 瑞稀の声色がさっきと比べて、少し嬉しそうであった。


「日菜、ウチが中学三年の時、陸上の大会で怪我をしたの覚える?」

「……うん、覚えてるよ」


 いきなりの質問に一瞬虚を突かれた日菜である。だが、とても印象的な出来事だった為、直ぐに応える事が出来た。


「本当に悔しかった。

 悔しくて悔しくて仕方なかったけど、あの時の私は皆んなの前では強がってたんだ」

「……うん」

「そんな悔いの残った大会の帰り道。

 ウチが悲しみに暮れながら帰る途中、家の近くの公園を通った時に、誰かがウチを呼ぶ声がしたんだ」

「もしかして、その声ってこの子?」

「うん…当たり」


 瑞稀は照れ隠しなのか、人差し指で頬を掻いた。


「ウチはその声がこいつだって分かって、直ぐ公園に入ったんだ。

 そしたら、ベンチの前でたった一人、こっちを向いて立ってたの。

 どうしてかウチは自然とこいつの前まで行ったんだ。

 前まで来たのは良かったんだけど、どうしたら良いか分からなくて、ウチがあたふたしてる時に、こいつが急に頭を撫でてきたの。

『お疲れ様。最後まで頑張ったね』て言いながらね。

 気が付いたら、ウチはこいつの前で泣いてたんだ」


 瑞稀はもう一度、背もたれに両腕を折り畳み、その上に顎を乗せた。


「……あの時は悔しい気持ちじゃなくて、嬉しい気持ちで泣いてたな」


 瑞稀は口を隠す様に、今度は腕の上に顔を置いた。

 それはあの時を思い出し、照れ臭さと口角が上がっているのを隠す為であった。

 日菜が瑞稀の頬を見てみると、ほんのり赤くなっており、耳まで赤く染まっていた。

 いつもはカッコいい瑞稀が、今はとても可愛らしい顔をしていた。


「瑞稀ちゃんはその時に、この子の事をまた好きになったんだね」

「う、うん……そう言う事に、なるな……」


 瑞稀は最後、ごにょごにょと口籠もりながら喋っていた。

 そして、本人は自覚していないのか、瑞稀は足をブラブラと揺らしていた。

 落ち着かないのだろう。

 そんな珍しい瑞稀の一面を見た日菜は、驚くのと同時に親友として嬉しく思えた。

 その嬉しさが堪えきれなかったのか、片方の手をグーにし、それを口元まで持っていき、思わずフフッと微笑んでしまった。


「今の瑞稀ちゃん、とっても可愛い」

「なっ!?」


『可愛い』という、普段言われない言葉を掛けられた瑞稀は、何故か反射的に椅子から離れた。


「ウ、ウチが可愛い訳っーーー!?」


 瑞稀は『可愛い訳ないだろ』と言い掛けたが、直ぐに手で口を覆い、最後まで言うのを止めた。

 そして、静かに座り直した。

 椅子に座ったのと同時に、口を覆っていた手を下ろした。

 隠れていたその顔は、夕日に照らされているのも相まってか、美少女そのものであった。

 そんな美しい瑞稀を見て、日菜は思わず息を呑んだ。


「……ほ、ほら、ウチは言ったぞ。次は日菜の番」


 瑞稀は口を尖らせながら、次が日菜の番である事を促した。


「えっ、あ……そ、そうねっ」


 瑞稀に見惚れていた日菜は我に返り、次が自分の番である事に少し焦った。

 日菜は心を落ち着かせる為に目を瞑り、大きな深呼吸を一度した。

 そして目を開き、数秒置いてから話し始めた。


「……私がこの子の事を好きになったのは、中学二年生の頃なの」


 日菜は男の子の顔を見ながら話した。

 男の子の顔は純粋無垢な顔立ちをしており、とても可愛らしい寝顔であった。

 日菜は自然と微笑んでしまった。


「この子とは中学一年生の時から一緒のクラスでね、席が隣同士だったの。

 人見知りな私だったけど、唯一話せる男の子だったわ」


 日菜はここまで話すと、表情を変えた。

 その顔は真剣なものであった。


「……瑞稀ちゃんは中学二年生の頃、学校の行事でスキーに行った事覚えてる?」


 日菜は男の子の顔から視線をはずし、今度は瑞稀の顔に視線を移した。


「うん、覚えてる」


 瑞稀も日菜の質問に答える為に、視線を日菜に向けた。


「あの時、私全然滑れないのに、誤ってスキーの管理区域外に行っちゃったの」


 日菜は瑞稀の顔から、膝の上に乗っている自分の手に視線を落とした。

 その手は何故だか、少し震えていた。

 まだ、彼女の中ではトラウマなのかもしれない。


「スキーなんて初めてで、どうしたら良いか分からなかった。

 分からなかったけど、これ以上進んじゃいけないと思って、わざとその場に転んでその場に留まろうとしたの。

 でも、私の身体は止まってくれなかった。

 止まるどころか勢いを増していったの……」


 日菜の声は次第に小さくなり、陰りを帯びていった。

 そんな日菜の話を、瑞稀は静かに聞き入っていた。

 今ここで話に割り込んではいけないと感じたのだ。


「やっと止まった時には、もう自分が何処にいるのかなんて全く分からなくなってた。

 怖くなった私はその場から動こうと思ったけど、下手に動くとまた滑りそうだったから、やっぱりその場で救助を待ってたの。

 とても寒かったし、身体中が痛かった。

 もう、ここで私死んじゃうのかなって考えてた」

「……日菜」


 その声は今にも泣きそうな声であった。

 瑞稀の口から思わず「日菜」という、2文字が溢れ出た。


「そんな時にね、暗い事を考えないで、楽しい事を考えようと思ったの。

 だから、家族や友達の事を思い浮かべてたの。

 勿論、瑞稀ちゃんの事も。

 でも、一番最後に思い浮かんだのがこの子だったの」


 日菜は震えていた自分の手をギュッに握りしめた。

 そして手を開いた時、その震えは止まっていた。


「それで私、何故かこの子に願ってたの。『私を助けて』って」


 日菜の言葉にはもう、先程の暗い印象は無かった。

 寧ろ、とても明るく希望に満ち溢れている様に伺えた。


「そしたらね、誰かが私の名前を呼びながらこっちに来てたの。

 意識が朦朧としてたけど、今でもはっきり覚えてる。

 この子が一人で助けに来てくれたの!」


 日菜は視線を自分の手から、男の子の顔に向けた。

 まだ二人が居る事に気がついていないその顔は、変わらずに可愛い寝顔であった。


「それから私、気を失っちゃって……目を覚ましたら自分が泊まる部屋だったわ。

 その時は夢でも見てる感覚だった。

 でもね、その後あの子に会った時、『僕が君の分まで怒られたから安心して』て、言ってくれたの。

 その言葉で、あの出来事は本当にあったんだって理解したし、本当に本当に嬉しかった!

 その時に、この子の事が好きになったの。

 ……あ、勿論、学校の先生やインストラクターの先生にはちゃんと自分から謝ったよ」


 日菜は瑞稀の方を向き、男の子に向けたのと同じ微笑みを瑞稀にした。

 それは、『今はもう大丈夫』と言っている様な微笑みであった。

 それを察したのか、瑞稀も自然と笑みを浮かべた。


「ウチ、知らなかった…。

 日菜があの時遭難したって話は知ってたけど、まさかこいつが助けてたなんて」


 瑞稀は男の子の旋毛つむじを見ながら話した。


「……お前、意外と男らしい所あったんだな」

「うん、あの時のこの子、本当にカッコよかった」


 二人はそれぞれそんな事を言い、暫く無言で男の子を見つめた。

 そして、同じタイミングでお互いの顔を見合った。

 二人共一瞬驚いたが、なんだか面白く、クスクスと笑い合った。

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