第25話 九郎義経『後鳥羽天皇』流す。

文治5(1189)年1月 奥州平泉高館 衣川館

九郎義経 (31才)



 田辺からの帰路も、三浦半島の三浦家を隠密に訪ねたり、陸奥の各地に寄り道して、師走になってやっと平泉に帰り着いた。

 途端に、我が衣川館は姦しく変身を遂げた。

 母上 常盤御前の周りには、いつも俺の妻 郷や弁慶の妻 小夜、朝経の母 八重姫、侍女頭の陽炎ほか、多数の侍女達が邸内を闊歩しては、キャーキャー歓声を上げているのだ。


 だが俺の予想に反して、調理場の者達も下働きの下女や庭師、馬の厩舎の者らも嬉しそうに応対しているのがせない。

 調理場の者達にとっては、やれ、お四つだ、お八つだと騒ぐ女衆はうざいはずだし、女性が嫌う虫が出る庭や、馬の糞の臭いが籠る厩舎など、来られた方が困るはずの者達が、楽しそうに話しているのだ。俺には、実に不可解だ。


 それに昼時ともなれば、相も変わらず藤原家当主秀衡、国衡、忠衡、弟らと、彼らの妻子や侍女達、藤原家の重臣らがやって来る。

 各地の状況を報せ、向後の施策を、協議しに来ている者らも多勢いて、俺の衣川館はまるでどこかの総合売場デパート特売バーゲンセールような混雑だ。


 板張りの机大広間テーブル食堂に運び込まれる料理を横目に料理調の中国二世、金鳳鸞が説明する。


「え〜本日は松の内も明けましたので、中華の献立にございます。着物を汚さぬよう前掛エプロンをご使用ください。」


 既に我が館の食事形式は、自分取分ビュッフェ形式が定着している。

 料理長の説明が終わるな否や、料理に盆を持った行列が並ぶ。行儀の悪い侍女らが、味見をしながら姦しく料理を盛っている。

 あ〜ぁ、あんなにその料理を山盛りにして、後の料理が食べられなくなるぞっ。まったく、学習しない奴らだ。


 近年は、平泉周辺で、生姜、大蒜、山椒、紫蘇、茗荷みょうがなど日本古来や既に中国伝来の調味料を栽培している。

 これに辛味の野菜や酸味の柑橘類を加えて、奥州藤原家の特有の味を生み出しているのだ。

 中尊寺の僧侶達は『御曹司、これは皆、薬種薬膳ではありませぬかっ。』と、驚きありがたがって、でも遠慮なく持ち帰っていたけどね。


 その影響で、奥州各地には、一膳飯屋や立食い屋台の文化が根付きつつある。

 金銀銅などの鉱山の開発により、奥州貨幣を造幣して、有料報酬の庸ならぬ賦役を行って、領内での貨幣経済を浸透中だしね。

 奥州各地の町や村々では、週一の市も立ち、賑わいを見せているとのことだ。




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文治5(1189)年1月 京都 後白河院の御所

後白河法皇 (64才)



 前年夏に後白河院は出家して法皇となった。

 行家の謀略に乗り、兄頼朝と俺の仲を裂こうとしたことを詫びてのことだ。

 これに対し頼朝は、後白河法皇の幽閉を解き院政の再開を許していた。

 その背景には、各地の武士が謀叛人の所領と決め付けて神社・仏寺の所領を押領したり、本家・領家への年貢を納入しないなどの非法行為が多発していたことが要因であった。

 頼朝自身も関東の荘園領主、知行国主であり荘園公領制の崩壊は望まず、武士の引き締めを図る必要があったのだ。

 おまけに、平家の荘園、所領を放置している間に、貴船神社の荘園に吸収されているという見過せない事変も起きていた。



 院政を再開した後白河法皇は、二つの難問を抱えていた。

 一つは、平家が安徳帝を神鏡剣璽と共に西国に連れ去り、都に帝が不在であること。

 二つ目は平家が去り、政を実行させるための現実的な力が失われていることである。


 新帝の即位対象の尊成親王(後鳥羽天皇)は平家所縁の生まれであり、安徳天皇に代わる「新主践祚」問題が浮上していたが、後白河法皇は神器無き新帝践祚と安徳天皇に期待を賭けるかを卜占に託した。結果は後者であったが、既に平氏討伐のために新主践祚の意思を固めていた法皇は、再度占わせて「吉凶半分」の結果をようやく得たという。

 法皇は九条兼実に勅問し、天子の位は一日たりとも欠くことができない。

 また、継体天皇は即位以前に既に天皇と称しその後剣璽を受けた先例があると勅答した。

 その後にも左右内大臣らに意見を求め、「神若為レ神其宝蓋帰(神器は神なので(正当な持主のもとに)必ず帰る)」と述べて、神器なき新帝践祚を肯定する内容だった。

 そのようにして、安徳天皇が在位のまま後鳥羽天皇が即位したため、以後は両帝の在位期間が重複してる現状だ。


 また、政を現実に執行させる武力としては、

平家と義仲を追討し、奥州の俺に朝敵であると突き放され、頼朝に頼る他に道はなかった。

 頼朝が義仲を討ったことで、先に保留していた頼朝への恩賞問題が再審議され、平将門の乱における藤原秀郷の先例に倣って正四位下に越階させ、藤原忠文の先例に倣って「征夷将軍」に任じるべきだとの意見が上ったが、将軍に任命するには節刀を授けるなどの儀式や、将軍の下に付ける軍監、軍曹を任命する除目が必要であるとの意見があって纏まらなかった。

 しかし後白河法皇は、頼朝に頼る他なく、頼朝に征夷将軍を叙す決意を固め、頼朝の意志を確認すべく使者を遣わした。



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【 義経side 】


 そして、兄 頼朝は俺に協力を求める使者を寄越した。

 

『此度、朝廷より使者が遣わされ、儂に征夷大将軍として政を支えよとのことだ。

 いろいろ懸念はあろうが、儂に力を貸してほしい。』


 そんな内容の文だった。


「ほう、兄は父上を裏切りなさり、法皇の下につかれるのか。我が父上は、朝敵として討たれたのであるぞ。

 それは、解かれてはおらぬし、朝敵となした張本人が法皇ではないか。

 征夷大将軍とあらば、朝敵を討つ武士。

 これでは、兄は俺の仇となりまするな。

 

 それに、帝は九州におわす。偽の帝を立てて政をなそうなどとは、天に背く暴虐の所業。

 帝位を奪う真の朝敵とその者に組する者共。

 この九郎義経がその首、父の仇として跳ねてくれましょうぞ。

 お使者殿、兄には、そう伝えてくだされ。」



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【 頼朝side 】


 九郎から返答が来たわ。いちいちもっともな言い分よ。それに、母上からも一言あったわ。


『父親の無念を晴らせぬなら、出家して坊主になり、坊主の鬼武丸に戻りなさい。』とな。


 そうだな、父上の名誉を回復せぬまま、協力などできぬわな。それに偽の帝か。

 もし儂が倒されれば、後世、儂は朝敵よ。

 九郎と戦って勝てるか。奴は儂にはない忠臣と民らを味方に付けておるぞ。

 それに、我が母上もな。誠に厄介なことよ。



………………………………………………………



【 後白河法皇side 】


 頼朝に遣わした使者が帰った。


「頼朝殿の返答は、帝に背く朝敵には加担できぬ。そう言われましてございます。

 それに我が父は、朝敵にござると。」


「なんとっ、義朝のことは如何ともし難いが、我らを朝敵と申したのか。」


「はい。それから、義経殿より神器剣璽を無きまま即位した先例は、記紀のどこにも記述なく公卿はこのことで、皇統を歪めるなど気が狂ったのではないかと伝えよと、言っているぞと、頼朝殿に言われました。」


「九条兼実、どうなのじゃ。もしないとすれば我らは、皇統を歪めた大罪人となるぞ。」


「は、はい、確認をば、致しまするっ。」



 結局。神器剣璽を無きまま即位した先例は、

“ 記紀 ”の、どこにも記述がなかった。

 そんな重大事は、隠しおおせることではなく、新帝の践祚は無効となった。

 大失態、大混乱である。後白河法皇の院政は再び機能麻痺に陥ってしまった。

 ちまたでは、院のお粗末さに呆れる声が満ち溢れ、いつ神罰が降るのかと話題になった。



【やったね、後世の学者さん達。研究成果を、突きつけて、皇統の歪みを糾してやったよ。

 あなた達の指摘を俺が伝えてやったよ。 

 さて、どうなるのかな。天皇の歴代位が一つ減ることになるのかな。】



 その後頼朝は、北条時政を代官として千騎の兵を率いて入京させ、頼朝の憤怒を院に告げて交渉に入った。  

 諸国の騒乱を鎮めるためとして『守護、地頭の設置』を認めさせた。

 さらに『天下の草創』の具申と称して、院の近臣の解任、議奏公卿の朝政の運営、九条兼実への内覧宣下という、3ヵ条の廟堂改革要求を突きつけた。

 議奏公卿は必ずしも親鎌倉派という陣容ではなく、院近臣も後に宥免により復権したため、兄頼朝の要求が満たされた訳ではないが、九条兼実を内覧に据え、院の行動を抑制する効果はあった。

 内覧ないらんとは令外官の役職で、天皇に奉る文書や天皇が裁可する文書一切を先に見る者だ。


 守護、地頭は、諸国では騒乱が多く、その度に東国武士を派遣して鎮定することは諸国の疲弊につながる。そこで、朝廷に対し諸国の国衙、荘園に守護地頭の設置の許可を願い出るのがよいと、頼朝の腹心の大江広元が献策した。


 地頭じとうは、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。

 在地御家人の中から選ばれ、軍事・警察・徴税権を担保し、土地や百姓を自己の物とした。


 守護しゅごは、武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。

 令外官である追捕使が守護の原型であって、設立当時の任務は、在国の地頭の監督である。


 頼朝の諸国守護権が公式に認められた当初の兄頼朝の実質的支配地域は、東国の奥州を除く地域で、畿内以西の地域では朝廷や寺社の勢力が強くて、朝廷の命で守護職が停止されたり、大内惟義が畿内周辺7ヶ国の守護に補任など、朝廷の干渉が行われ続けた。



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