第24話 九郎義経『母上行幸』侮るべからず。
文治4(1188)年11月 四国 土佐国
九郎義経 (30才)
俺は貴船神社の荘園経営の1年目を見届けると、後のことは宮司殿と養父上に丸投げして、平泉帰宅の途についた。
今回は、簡単ではない重大この上ない任務がある。
以前からの約束、否、ご下命とも言うべきを受けた母上の平泉行幸だ。泣きそう。
京の都から、福原の大輪田泊までの道行きは奥州大山屋『謹製』の牛車でのろのろと、前後に侍女やら護衛の山伏やら、大名行列のごとく続いて行った。
この時代は、道が天然穴ぼこの悪路であり、馬車では馬が小型で馬力がないから、力のある牛車を使う。
乗り心地が良くないから、
大輪田泊の湊からは、伊勢大山屋の商船で、寄り道だが四国の土佐湊へ向かった。
四国の様子を見るためだが、母上はのりのりである。船酔いの怖さを知らないのが怖い。
土佐湊に着くと、立派な城が出来ていた。
時代がだいぶ早すぎたが、土佐高知城の場所に石垣と高櫓がある二階建ての城を造らせた。
城の名は、亡き兄上の名
迎えに来た夜須行宗に、城の大広間に案内されると100人以上の者がいる。
俺と母上を上座に座らせると、行宗が口を開いた。
「御曹司、常盤御前様、ようこそおいでくださりました。
本日、ここに参集しました者は、皆御曹司の臣下となることを誓った者達でございます。」
「そうか、皆、聞いてくれ。
俺は羽黒山で1年、季節の移り変わりと共に修業をした。そして、この世の摂理を思うた。
生きとし生けるものが共存し、生命の尊さを知り、互いに尊重し合う人の営みとなるべきがこの世の真理と知った。
だが、権力という欲に溺れた者が罪無き人々を禍に巻き込み、戦禍を撒き散らしている。
誠に儚ないことだ。俺は、罪なき民らが死にゆく様を、ただ眺めていることはせぬ。
人は一人では弱き生きものだ。しかし、皆で力を合せ、他者を思いやる気持ちを持って立ち上がれば、大いなる力となる。
一同にお願い申す。俺と共にこの国の民らを救い、安寧の暮らしができる国造りに、皆の力を貸してほしい。」
「「「 · · ははぁっ。」」」
「私からも、皆様に一言、言うて置きまする。
九郎は貴船神社で、お告げを受けた不思議の子なれば、必ずや世に安寧をもたらすと信じておりまする。
しかし、そのために仇討ちなどと人を殺め、恨み事の因縁を重ねることはお止めくだされ。
皆様も敵となる武士達にも、妻子がおり、亡くなられた後には、哀しみと苦しみの生涯しか残り得ませぬ。そのこと、胸の奥に秘め置いてくだされ。」
「御母堂様の言われよう、今なら我ら理解できまする。
この四国に御曹司が齎してくれました豊かさと民らの笑顔、我らは、このような世を望んでいたのだと知りましてございます。」
「僣越ながら、御曹司に申し上げまする。
今ならば、四国が一丸となって、平家を倒す絶好の機会にございまする。
この上は、御曹司の国造りのため、御曹司の武威を全国に知らしめることが上策かと存じまする。
そのためには、この河野通信、先駆けとなり平家の軍勢を蹴散らして見せましょうぞ。」
「通信と申したか、そなた、我が母上の言葉を聞いておらなんだのか。
平家は都を捨て、九州の地で暮すことを選んだのだ。少なくとも今は安寧に暮しておろう、四国と同じようにな。
それを、わざわざ壊してなんとするのだ。
その方は、須佐之男にでもなるつもりか。
ならば、我が母上は天照大神なるぞっ。
その方の暴言許すまじ。我が臣下となること適わず。この場を立ち去り伊予に帰るがいい。
その方が平家と事を構える時、我らは背後から攻めて遣わすっ。」
「えっ、えっ、それはっ。」
河野通信の周囲の者らが刀に手を掛け、通信を討とうとするのを制して城から追い出した。
このあり様を噂で流して、伊予国の河野家の領民が、どう出るか見ものである。
周り中が敵となってしまい、他領の豊かさを眺めるだけになるのであるからな。
『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず』
始計とは、戦争に向かう心得や事前の準備。
戦争は国家の一大事。国民の生死、国家存亡にも関わるのだから細心の注意を払い、検討に検討を重ねばならない。【 孫子の兵法 】
「九郎様、河野の領地には正条植えは教えましたが、塩水選は教えておりませぬ。水車や新式農具の貸出しも控えておりました。
あ奴は、前々から訝しきところありましたもので、差別してございます。」
「さすがだっ、夜須殿。なにも訝しき者まで、味方に引き入れる必要はない。裏切らない信頼の置ける、真の味方を集めてくれ。
その後は、俺の役目だからな。」
「ははっ、向後は訝しき者は除外致しまする。
ご心配をお掛けして申し訳ございませぬ。」
「夜須殿。希義殿を救けようとしてくれたこと九郎から聞きました。希義殿の母御由良御前様には、私も大変お世話る。になりました。
由良御前様も、希義殿に誰もお味方がなかったと聞けば、哀れと悲しまれるところでした。
夜須殿、ありがとうございまする。」
「もったいないお言葉っ。この行宗、ずっと、ずっとっ、無念でおりました。
しかし、九郎様が現れなされた時、希義様が生き返って来たかと、思いましたぞ。
希義様が無念を晴らすために、生まれ変わりなされたのかと。
その落ち着いた佇まい、優しげな眼差し、口にされる民を想う言葉。某には九郎様が希義様に生き写しに見えまする。」
母上は、母御由良御前様の気持ちを思い図ったのであろう、目には涙が溢れていた。
そして、行宗殿も堪えきれずに泣いていた。
………………………………………………………
『うふふ、私は九郎の天照大神なのですね。
九郎は瓊々杵命かしら。あらまあっ、私は、お婆ちゃんじゃないわっ。九郎の子が瓊々杵命よ。早く、瓊々杵命を作らせなくちゃねっ。』
俺は、母上の妄想の呟きを聞かなかったことにした。先が思いやられる四国行幸だった。
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文治4(1188)年11月 四国沖 紀伊水道 海上
九郎義経 (30才)
四国土佐湊の次は、我が水軍の前線基地。
紀州熊野の田辺湊だ。弁慶の生まれ故郷でもある。
我が母上と来たら、初の船旅のはずなのに、外海の荒波に揺れる甲板で、揺り椅子に座り、日向ぼっこを楽しんでいる。
周囲の護衛侍女達は、俺が船酔い対策で作った
俺が作った縦横揺れ無縁
足場の甲板がどう傾いても、重心である座った場所は一定の位置をうごかないのだ。
俺って、稀代の天才発明家じゃねっ?
そんな、後部甲板の風景を尻目に、俺は船の前方の操舵室にいる。
この『伊勢大山屋』の商船 伊賀丸の船長は顔馴染みの伊賀助だ。
「伊賀助。瀬戸内の海賊達の、船や武器はどうなのだ。」
「御曹司、この船と比べれば、ちゃちなもんですぜ。大型船でもこの船の半分しかねぇ。
船は箱底で、外海になんか出られやしねぇ。
武器は火矢ぐらいですぜ。鉄板で囲ったうちの水軍の敵にはならねぇなっ。」
伊勢大山屋の商船は、鉄板の装甲こそないがいざとなれば、大型の
「御曹司っ、御母堂様がお八つを所望ですって。小腹が空いたそうですっ。」
最近とみに、母上の息子使いが荒い。お四つ(10時)とお八つ(3時)は、必須なのだっ。
仕方ないな、船の揺れがあるから油は使えないし、
蜂みつと
「きゃ〜、御母堂様っ。お八つは
なんとも、食欲をそそる甘い香りにございます。毎日こんな贅沢なものを食して、よろしいのでしょうか。」
「あらっ、目白、平泉ではお八つは出ないの。
私が平泉に着いたら、毎日、お八つを出すように言うわ。郷と小夜に、子作りの指南もせねばなりませんしね。」
俺、聞こえてないからねっ。平泉の料理人に言ってよね。俺は、知らね〜よ。
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文治4(1188)年11月 紀州国
九郎義経 (30才)
田辺の湊に着いた。着いたけれども、田辺の湊から町中、そして、熊野那智大社まで道々には多くの跪く人々がいた。
その多くは領民の老若男女であったが、熊野の修験者である山伏も多数おり、その数は、熊野本宮大社に近づくに連れ増えて行った。
なにせ、母上と俺は田辺湊に着くなり、輿に乗せられ運ばれて行くことになったのだ。
「御曹司、御母堂様、ようこそお出でくださりました。御母堂様に置かれましては、熊野参詣は初めてとのこと。
我ら一同、謹んでご案内仕りまする。」
そう、熊野の修験者の先達 伏仙坊殿に言われて、輿の上の人となった。
それから、熊野本宮大社、さらに、熊野速玉大社、熊野那智大社と巡り、数多の社殿にお詣りして、数多の祭神様にご挨拶を申し上げた。
帰りは、勝浦から船で田辺に戻った。
道々、人々の囁く話し声が聞こえた。
「おおっ、あのお方が役行者様の生まれ変わりの御曹司様かの。もう一つの輿に居られるのは御母堂様とのこと。
おお、あの慈愛に満ちたお顔は、那智大社の女神である
ありがたや、ありがたがやぁ。」
「御曹司様よ〜、裏山に〜、梅の実がいっぱい成ってよ〜、作った梅干が全部売れたで〜。」
「あぁ、御曹司様〜。新しい巫女衣装をありがとうございましたっ。
なにか叫んでいるのは、巫女さん達だ。
この時代では斬新な紅白の巫女衣装を寄贈したからね。喜んでくれているみたいだ。
それに、毒である鉛の入っていない
既売品より安売りしているから、民達に行き渡るだろうと思っている。
「御曹司、皆の声を聞きましたかのぉ。皆がどれほど感謝しておることか。御曹司はこの地の生き神なのですぞっ。」
確かにこの地は、俺が修験者を統轄して東洋医学の粋を集めた、多数の漢方薬を作り、広く民達に行き渡るよう差配した。
結果として、熊野の薬師となった修験者達は訪れる各地で、霊験あらたかな修験者として、崇められているのだ。
また、田辺湊には、奥州藤原家水軍の船舶が何十隻も出入りし、その船で持ち込まれる品々は、人々の暮らしを日々豊かにしていたのだ。
『善く戦う者は、
戦いの上手い者は、まず自軍の守りを固めて敵が勝つ可能性を無くした上で、敵が弱点を見せる機会を待つ。【 尊子の兵法 】
「これは御母堂様。弁慶と田辺半蔵の母菊華にございます。此度は、ようこそお出でくださりました。お目にかかれ嬉しゅうございます。」
「母上。俺より先に挨拶なさるとは、ずるいですよ。弁慶兄上の弟、田辺半蔵にございます。
御曹司っ、ご壮健で何よりでございます。」
「うむ半蔵、諦めろ。母という神にも等しい存在にはどう足掻いて敵わぬのだ。お互いにな。
それより、すまぬな。この地は高野山、根来寺、さらには南都に近く、田畑の技法が漏れては困るので、教えてやること叶わぬのだ。」
「いいえ、蕎麦や雑穀を植え、山には梅の木や茶の栽培をしておりますし、鉄製の農具なども重宝しております。
田辺、勝浦、新宮はもちろんのこと、東は紀伊長島、西は由良の辺りまで、我らに従っております。
我が水軍の威容を見かければ、自然の成り行きにございますけどね。
今では、田辺にいる船団は、この地を守る、無敵の熊野水軍と呼ばれておりますよ。」
「天竺丸、猫丸、鼠丸。ようやってくれているようだな。礼を言うぞ。」
「御曹司、鼠丸は大山屋の船でしょっ中福原に行き遊んでいるのですよ。困ったものです。」
「兄者、俺はただ遊びに行っているのではなく瀬戸内の海賊達を探っているのですっ。」
「そうか、猫丸は九州の海図作りを、真面目にやっておるぞ。たまには替ってやらぬか。」
「ははっ、兄者。田舎しか知らない鼠丸は、畿内が物珍しいのですよ。許してやりなされ。」
奥州各地の海運は、父親の金平六が差配して5人の子らはここ田辺を拠点に、西国での伊勢大山屋の護衛や九州までの海図作りに携わっている。
いずれ来る瀬戸内の海賊との戦いや西国各地の攻略に備えているのだ。
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