第23話 九郎義経『貴船神社の神罰』降る。

文治4(1188)年2月 京都 鞍馬山 貴船神社

九郎義経 (30才)



 俺は新たな企みを実行すべく、ここ貴船神社に、二度目の隠れ上洛を果たしていた。

 幼少のみぎりに父の仇討ちを祈願し、また文治の大地震を予言するお告げを授かり、新婚の居にさせてもらうなど、俺にとっては切っても切れない所縁ゆかりのある神社だ。


 その貴船神社だが、舐めてはいけない。

 大寺院らには敵わぬまでも、全国に400社を超える勧請をした貴船神社、すなわち貴舟神社貴布禰神社、貴布祢神社、木船神社、木舟神社などがあり、また祭神おかみを同くする龗神社、高龗神社、闇龗神社、意賀美神社などが、2,000社を超えるのだ。



「宮司殿、またご厄介になりに参りました。」


「おうよ。 おかみの声を聞く、貴船の御子よ、此度は愛らしい女神殿と一緒ではないのか。」


「もうっ、新婚は終りましたっ。からかうのは終りに願いますっ。」


「はははっ。儂の楽しみでな、奪わんくれっ。 

 して、此度はなにごとかな。」


「貴船神社の御神に、神罰をお願いしに参りました。宮司殿には、また適当に話を合せておいていただきたく。」


「御子殿、またなんぞ、企んでおられるな。

ふふふ、楽しみでわくわくして来ましたぞ。」


 この宮司さん、名を貴仙宮司さんというけど戦国時代の宮司さんと一緒で、戦に出て指揮を振るっていそうな、武士顔負けの人なんだよなぁ。助かってるけど。



 この時代のこの時節、寺社仏閣は私有地である荘園の所有を認められていた。大寺院はこの荘園を増やし、僧兵や荘園の民らである大衆を養い勢力を拡大していた。

 それで、俺もそれを見習うことにしたのだ。


 貴船神社のお告げが大地震を予言し、それに備えることを説いたことは、広く国内中に広まっている。ために信頼度、信心は秀逸なのだ。

 これを利用、もとい期待に応えなければならない。


 荘園を手に入れるには、荘園を領している者から領有権の寄進を受ければ良いのだ。

 それまで、荘園を領していた者はそのまま、荘園の管理従事者となる。

 荘園を領する者らは、その権限を失わないように、より強い権限を持つ主の下につく。

 川の水が、低き所へ流れるが如きである。


 俺はまず、荘園領主が不在となったもの。

 その多くは平家の領地や荘園であるが、それらを勝手に我が物とした者らには、貴船神社の神罰が降ると噂を流した。

 荘園は私有地であるから、元の所有者に返せない場合は、貴船神社に寄進して神罰を逃れよというありがたい噂である。


 そして、その神罰は降った。

 民衆から“なゐ”の次に、恐れられているのが“雷”である。その“雷槌”が降ったのである。

 もちろん、俺の仕掛けである。各地に忍ばせてある配下の者達に、略奪領主の館の主棟に、錆びた銅の棟板を置かせたのだ。

 神罰の落雷を受けた館の多くは、火災に見舞われ焼亡した。この時代の屋根の多くは茅葺きか板葺の屋根であり、火災にはひとたまりもないのだ。

 もちろん、いつ天罰の雷が落ちるかは不明だが、年内には多くの館に落ちることだろう。


 春の荒天の後、貴船神社の末端神社への寄進が相次いだ。もちろん、略奪した者らを囲い込むことなどしない。

 貴船神社末端の神官達に、寄進された荘園の経緯や現状を吟味させ、民を守る者らに管理をさせた。


 こうして、この年の末までには、平家が失った荘園、所領の8割方が貴船神社の荘園になった。また、他の事由で略奪された荘園なども寄進された結果、貴船神社の荘園は大寺院を遥かに超える大勢力と化したのである。


 世情に広まった、奇妙な事象が一つがある。

 所領を強奪した者らの館では、雷鳴轟く雨中に飛び出し、館の者らがずぶ濡れになっている光景を目にしたというものである。

 神罰を恐れるとは、もしかして信心深い者達なのであろうか。



『戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』


 戦わずして、相手に勝つというのが、最善の方策である。【 孫子の兵法 】




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文治4(1188)年2月 京都一条大路 大蔵卿邸

九郎義経 (30才)



「養父上、母上、お久しぶりです。」


「兄上、俺には挨拶はありませぬのか。」


「能成、お前は先月まで平泉で遊んでいたではないか。お前に土産などないからなっ。」


「酷いですっ、同じ弟でも朝経と扱いが違い過ぎますっ。」


「朝経は、お前は違って、母孝行なのだ。

 俺に優しくされたければ、もっと母上に孝行しろ。」


「ほらね、能成。兄も言うておるでしょ。

 母の土産をけちるなど、孝行息子のすることではありませぬよ。」


「平泉には、珍しき品がいっぱいあって、求めていたら、小遣いが足りなくなったのです。」


「そんなことより、九郎。郷のことはちゃんと愛でてあげておりますか。」


「はっ、はい。母上が選ばれた姫だけあって、賢く可愛い嫁ですから。」


「ではなぜ、孫ができぬのです。心配だから、此度帰る際には、母を連れて行ってたもれ。」


 げっ、監督に来る気だよ。子作りの監督?

 話っ、変えなきゃだ。え〜と、え〜と。



「ところで養父上、地下ちげの皆様の暮しは、如何なのですか。」


「“なゐ”の震災のあとには、お前からの支援もあり、なんとか凌いだがな。帝はおらぬし院は我らの仕えるところではないしな。

 ごくわずかな実入りしかなく、地下ちげの者らは皆、窮しておるよ。」


地下ちげの皆様は、院に仕えているのではないのですね。

 ならば、帝が不在の折ですし、俺が仕事を斡旋しますよ。」



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 奈良時代の税制は、祖、庸、調だった。

 【租】は男女の農民に課され、税率は収穫の約3%程度。【庸】は都での年間10日の労役、又は布を納める税負担。【調】は布や絹などの諸国の特産物を納める税負担だったようだ。

 ちなみに庸と調は男子のみに課税され、農民の手で都に運ばれた。

 なんだ、軽いな。なんて思うなかれ。収穫量が平年並でも、農民の食べる分には不足気味の収穫しかない時代なのだ。

 また、税は農民が都まで運ぶ決まりで、遠方の農民には過大な負担で、離農の一因だった。


 奈良時代末期には、土地を捨て逃げ出す農民が続出したため『墾田永年私財法(743年)』を制定して、土地の私有化し農民の離農を防いだのだ。しかし、これが律令制度を壊し、荘園を争う引き金となった。

 平安時代は、大寺社や貴族の荘園が各地にでき、農民は荘園領主(地方豪族)に年貢や公事(糸・布・炭・野菜などの品や採取物)、夫役などを納めさせた。

 後世、室町時代には商業活動の発達により、街道の関所で関銭(通行税)を課している。


 平安時代の農民の良民男子は2たん(約22a)、女子はその3分の2(1段120歩)で収穫量の2〜10%を祖としていた。

 庸、調、雑役は、女子は免除されていた。

 税負担が高くなるので、当時は子が出来ても女子として届け出ていたという。

 得てして、この時代は戦国時代と違い軍事費の負担は少ないが、領主が村に居住しないから収入を誤魔化しやすく、脱税が横行していた。



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 俺は、公家である地下衆を集め、貴船神社の荘園管理の仕方を周知した。元々地下衆は租庸調の実務に携わっており、身分が低いことから地方の経験もある者が多い。


 だが、俺の荘園管理は貴族のどんぶり勘定とは天地ほどの違いがある。

 まず戸籍を作る。名、性別、年齢、家族、住所。住居の広さ、部屋数、築年数、構造など。

 次に、検地をやりたいところだが、簡単にはできないので、荘園の刈入れを監視し、収穫を全て集めて、それから分配する。

 その際、村の全てを徹底捜索し、隠し田、隠し米が見つかれば全て没収し、関与した者全てを追放する。

 これらは、あとから言い訳できないように、事前に徹底させる。


 その代わり、人数、家族構成に応じた配給を行う。たとえ配給量に収穫が足りなくともだ。

 しかして、農業改良と農地開拓、新作物栽培農業以外の代替産業の振興を行う。

 これらが成功した暁には、配給増と報償金を与える。

 検地は、徐々に進めるように指示した。訳も説明した。単位当りの収穫量の把握によって、不作地の把握とその土地の改良を図るためだ。


 また、現地で荘園の管理をする者と貴船神社で管理をする公家衆には、収穫の1割増しを報酬とした。ただし、配給量以下の時は配給量を保証するとした。

 報酬を収穫に比例させたのは、彼らのやる気を出させるためだ。創意工夫にも、金一封を出すと約束した。


 これら全てを説明して、理解しない者や不満を持つ馬鹿は、貴船神社の荘園には不要だ。



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 最低限というより、これまでより遥かに優遇され、保証をされた貴船神社の荘園領民達は、俄然やる気を出した。

 1年目から塩水選別、正条植え、養鯉農業、水車設置、灌漑用水路増設などの成果が見事に出た。

 夏には、洪水に悩む地域で報酬を出して堤防の修理増設や、洪水を引き込む三日月湖の堀削を行い、これも大きな成果を上げた。

 

 天候にも恵まれ、大豊作となった貴船神社の荘園の待遇、あり方を知り、他の寺社の境遇の悪さに辟易した者らが蜂起して、貴船神社に庇護を求めるという騒動も起きている。

 まあ、そこの領民が独立したのであれば、庇護するにやぶさかではない。

 その上で、誹謗中傷する仏寺に神罰が降ったらしい。

 普段から仏罰を口にする仏寺が、神罰を目にして、震え上がったそうだ。おかしいね。



 この神罰に、俺は関知していない。偶然とは恐ろしいものだ。

 ただ、俺は聞いた。怨霊義経の奴が何か呟いていたのを。

 たぶん“祓詞はらえことば”らしき言葉を呟いていたのだと思う。


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