第19話 九郎義経『平泉帰郷』奥州の栄華

文治2(1186 )年7月 相模国鎌倉 大倉御所

源 三郎頼朝 (40才)



 九郎義経が、儂の乳母である比企尼の孫娘を娶った。比企尼の企みかと思っていたが、母の常盤御前からの話だと言う。

 九郎は、俺と同じ母常盤御前の弟だ。一緒に過ごしたこともある。ただし、九郎が2才の頃で儂のことは記憶にあるまい。

 

 儂が挙兵しても参陣して来ぬから、どこぞで討ち取られたのだと思うていたら、なんと奥州の藤原家におった。

 これは、心強い味方ができたと、喜び勇んで使者を遣わしたが。

『兄上は、平家打倒をなした暁には、如何なる国造りをなさるおつもりか。

 平家の二の舞は、御免被りたし。』と来た。


 儂はまだ考えておらぬと返答すると、

『兄上の存念が分からぬうちは、協力も対立もし兼ねます故、九郎のことは、ご放念いただきたい。』と来おった。


 儂にはあ奴が何を考えているのか分からぬ。

 平家の二の舞か、それは公卿になどなるなと言うておることだな。それには同意じゃ。

 しかし、それだけで、なぜ距離を置くのか。

 儂と九郎の違いはなんじゃ。分からぬ。


 今の儂の懸念は、朝廷の要請に応じて行った義仲追討で義仲を逃し、その後の平家追討でも福原を攻め切れずに、ましてや総大将の範頼を失ったことだ。

 家臣どもは、誰もが弟範頼討ち死にの責任を負うことなく回避し、その後任の地位を巡って争うておる。

 嘆かわしいことじゃ。ここにもし九郎がいてくれたならばと考えてしまう。

 いや、あ奴は、このような儂の体たらくを、見通していたのかも知れぬな。

 儂の家臣どもは、平家を追討し滅ぼすまでは従うが、儂の下で権勢を握り、或は謀反を企む輩もいるだろう。

 今、儂の下には、誠の忠義を尽くす者がごくわずかしかおらぬのだ。嘆かわしいことよ。 

 平家の討伐と共に、この問題を解決して行かねばならぬ。




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文治2(1186 )年8月 京都 鞍馬山 貴船神社

九郎義経(28才)



 俺が院の御所を脅した効果か、京の都の治安も回復して来たので、鞍馬にいる多数の山伏達を紀州の田辺や四国に徐々に移し始めた。

 それと同時に、俺と郷も、平泉に戻る準備を始めた。

 郷の侍女は、挙式の日の翌日に現れた小夜と大山里から来た踊花おどか露華つゆか雪草みすみの三人の姫人ひめにん(秘め忍)が付き添っている。皆、若い娘ばかりなので姦しい。

 当然、小夜は弁慶の世話もするので、貴船神社に俺達と一緒に住んでいる。


「九郎様。今日は松茸が採れましたので、松茸御飯と土瓶蒸しですわよ。」


「おっ、もうそんな季節か。」


「採り立てですから、松茸の香りがとても良いですわ。」


「俺は、郷の香りの方が良いと思うぞ。」


「まあ、御曹司様っ。そんなお話は寝屋でなさってくださいっ。」


「儂も小夜の匂いは、良いと思うぞっ。」


「弁慶様まで、何をおっしゃるのですかっ。

 まったくっ、殿方は女心を解しませぬ。」


「ねぇねぇっ、化粧をしていなくても、匂うのかしら。水浴びが足りないとかなのっ。」


「違うわよ、露華。ご夫婦というものは夜に、ごにょごにょ〜。」


「そっかぁ、一つ学んだわ。お嫁に行くには、いろいろ知らなくちゃ、いけないのねぇ〜。」


「露華が天然なだけよっ、こんなの常識っ。」


「やめなさいよ、二人とも。お方様と小夜殿が赤くなっているじゃないの。可愛いけどっ。」  


「もう分かった、俺が悪かったよ。だから松茸御飯を喰わしてくれよ、腹ぺこなんだから。」


「あら、いけない。お味噌汁を火にかけたままだったわっ。」



………………………………………………………



 平家が去った後の福原にある大輪田泊の湊は『奥州大山屋』が店を構え、藤太の手代が切り盛りをしている。藤太の店は『伊勢大山屋』と名を替えている。

 清盛公が南宋交易の道を開いてくれたおかげで、中国船が時々来ていて、それを、ほぼ独占しているのだ。


 奥州藤原家の水軍の三本帆柱キャラベル船は、極力表に出さないようにしている。

 伊勢の大湊や福原の大輪田泊では、沖合いに停泊しすぐに移動して他の水軍の目につかないようにしている。紀州の田辺だけは、第2の母港として堂々と停泊しているが。

 

 俺達は、福原の大輪田泊から海路、平泉へと向かった。途中で、紀州の田辺に寄港し、一人暮らしの小夜の母親 梅を連れ帰った。


「おんやまあっ、あたしゃ、小夜が嫁入りしてくれただけで、幸せなんだよう。ここで静かに暮らして、旦那のお迎えが来るまで待つつもりさぁね。あんた達だけで、幸せにお暮らし。」


「そうは行かんのじゃ。小夜の母御を一人にしてはおけん。儂は常に主君の傍におらねばならんから、小夜を一人することが多いんじゃ。

 もし、子でもできたら、世話を頼む者が必要なんじゃ。だから。母御よ、一緒に来てくだされ。」


「そうかえ、そうかえ。子ができるかえ。

 それはわちしの孫だの。それだば面倒みにゃならん。いつ産まれるんじゃ。」


「いま、仕込んどるところじゃ。じきできるわいっ。着いて来ておとなしく待っとれっ。」


 そんな一幕を顔を赤くして、眺めていた俺と郷だった。一人でうんうん、頷いていた露華はやはり天然娘だ。

 こいつ、これで小太刀の腕は、天才的と言うから、やはり、天は二物を与えぬのだなっ。




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文治2(1186 )年9月 奥州平泉高館 衣川館

九郎義経(28才)



 京の都から、2年半ぶりに衣川館に帰ると、なんか大騒ぎになった。

 まあ、俺の嫁さんである郷の登場がその原因なのだが、次々と町衆や村々から、若女房様にとか言って、祝いの品を持って来るのだ。

 知らなかったのだが、あまりにも数が多いので近侍の者が一日5組限定にしたらしく、20日経っても終わっていない。

 まあ、俺も飾りで郷の隣りにいるわけだが、来た者は皆、郷と話したがり、俺はそれを眺めているだけである。

 郷が気さくに話して、笑い声を上げ愛想良く相手をするものだから、話は尽きることがなく次の方々がお待ちですとの、打ち切りになる。

 

 お祝いの品は多種多様で、ここ数年の奥州の発展を物語るもので、俺にも興味深い。

 馬産地の牧からは、体高170cmの牝馬が来て本当にびっくりした。中型の南部馬の体高は、雄馬で150cmで、牝馬はそれより小さいのだ。

 かなりの品種改良が進んでいるようだ。


 また、祝いの品というより、開発の成果を見せたいのだろうが、金銀銅を始めとした石油、石炭の鉱物資源の見本品や開発した温泉のお湯なんかまであった。苦笑いだ。

 郷はそれでも、温泉の湯に入りに行くのを、楽しみにしていると言って喜ばせていた。


 陶磁器の食器類、置物。農漁業の産物、その加工品。藁の加工品の靴、毛皮の外套や帽子、襟巻き。初歩の高炉による鉄製品、武具など。

 特に郷の鎧兜が届いたのには、驚いたよ。

後世に鎧武者姿の郷御前とか残るんだろうか。


 今、奥州各地では湊が整備され、三本帆柱キャラベル船が、頻繁に行き来したている。

 関東以西は、『伊勢大山屋』の一回り小さい偽装 三本帆柱キャラベル船だ。

 偽装というのは、主帆以外の前帆柱と後帆柱が倒れて隠せる仕組みの船だからだ。

 この時代に、風上に向かって進める帆船などないからね。他の水軍に知られたら、奪いに来られる。

 船の武器だが、壷に石油を入れた火炎瓶を、手投げと投擲機で武装している。

 三本帆柱キャラベル船の外装は、薄い鉄板で覆い、火矢を受け付けない。


 ちなみに、兄 頼朝の本拠地の鎌倉は、陸の三方を山で囲まれ堅固な地といわれているが、海側から攻めれば、逆に袋の鼠なのだ。

  



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文治2(1186 )年9月 奥州平泉高館 衣川館

源 一郎朝経 〘千鶴丸〙(16才)



 2年半ぶりに帰って来た兄上よしつねの面前で、俺は元服の儀をした。烏帽子親は藤原秀衡殿だが、名は父の『朝』と兄上の『経』を貰い『朝経』となった。


「まあ、凛々しい若武者だこと。母はどんなにこの日を待ちわびたことか。あとは嫁を見つけねばなりませんね。」


「母上、そんなに急かさないでください。

 それでは、すぐに年老いて、召されてしまいそうです。」


 傍らでは、母親の八重姫のほかにもう一人、涙ぐんでいる者がいる。千鶴丸の守役として、

3才の頃から見守り育ててきた陽炎である。

 武芸はもちろん、読み書き算術、古今の習わしから古の偉人の伝承や孫子の兵法まで、自分が知らないことも千鶴丸のためと、調べ集めて教えて来たのだ。

 千鶴丸より11才年上の陽炎は27才になる。

 急いで嫁ぎ先を見つけてやらねば。

彼女に守役を押しつけたのは、俺なのだから。


「頼朝公も、まさか長子が生きて元服しているとは思うまいな。

 だが、その面影を見れば、驚愕するぞ。

 対面するその時が楽しみじゃわい。」


「秀衡殿、まあそうですが、暫くはまだ無理ですよ。兄の下には5才になる万寿丸がいます。

 今、名乗りを上げれば、家督争いが起きて、兄が朝経を、藤原家諸とも滅ぼさねばならぬかも知れませぬ。」


「そうじゃのう、朝経殿。いっそのこと、この奥州であらたな源氏を立ててはどうじゃな。」


「俺は兄上の弟でありますから、兄上の源家を立てるのが先です。

 それに戦があれば、兄上に代わり先方となる所存。それ故、先のことは分かりませぬ。」


「はははっ、陽炎よ。少々たくましく育て過ぎたな。先方を取るとは、恐れ入ったわい。」


「秀衡様、笑いごとではございませぬぞっ。

 朝経様が従える我が南部馬の騎馬隊一千騎は馬体も他領の馬とは比べ物にならず、その威力たるや万の軍でも打ち破りましょうぞ。」


「誠か、致文むねぶん (秋田三郎) 。いつの間にっ。」


「お館様、若者の成長は驚くべき速さですぞ。

 我ら年寄りは、あっという間に隠居ですな。 

 あっはははっ。」



 千鶴丸には、10才の時に馬に慣れ親しんでほしいと仔馬を与えた。

 名を『青雲』という。甲斐甲斐しく世話する千鶴丸にすっかり懐き、曲馬など一心同体だ。

 後年、朝経 (千鶴丸) は奥州騎馬軍団として名を馳せるが、そこには愛馬『青雲』がいた。

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