第18話 九郎義経『都に帰ったら嫁』窮す。

文治2(1186 )年7月 京都一条大路 大蔵卿邸

九郎義経(28才)



「養父上、母上、能成、只今戻りました。」


 一条の屋敷に参って、帰京を告げたのだが、書院には一人多い。見目麗しい女人がいる。


「九郎、ご苦労じゃったな。熊野の那智の滝は如何であったか。」


「はい、養父上。それは見事な大滝で、まるで天から注がれたかと見える滝の流れが、壮大な美しさでございました。」


「まあ、九郎が美しいなんてっ。そんな言葉を初めて聞いた気がするわ。」


 なんか、母上の言葉に引っかかる。なんだというのだろう。


「兄上、お土産はございますのか。楽しみにしていましたのですが。」


「能成、食べることはできぬぞ。那智は黒石が有名でな。黒石の賽子さいころだ。

 賽の目だけは、どんな貴人も思うようには、できぬ。」


「兄上、それは賢きあたりへの皮肉に聞こえますが、違いましたか。ふふふ。」


「これ能成、やめぬか。我らはこれでも公家の端くれなのじゃぞ。不敬であるわ。」


「養父上、さっきから気になるのですが、そちらにおられる女人は、どなたなのですか。」


「ふむ、気になるか。さとじゃ、九郎の嫁じゃ。」


「はあっ、い、今、なんと申されましたか。」


「九郎、あなたの嫁と申したのよ。名はさとと言います。」


「は、母上っ、な、なにかの間違いではっ。」


「間違いではないわよ。私が呼んだのです。

さとは頼朝の乳母である比企尼の孫娘よ。

 頼朝が、あなたを攻めることがないように、母が選びました。

 そうね、一番近い吉日は明日。祝言は明日にしましょう、千光房から皆様をお呼びして。」


 そんな馬鹿な話は聞いたことがないと、誰に言えば良いのか目が彷徨っていると、郷と目が合ってしまった。


郷殿さとと申されるのか、そなたはこれで良ろしいのか。いきなりの男に嫁ぐなどっ。」


「はい。郷は、いきなりではありませんわ。

 事前にお話があり、お受けすると決めこちらに参りました。

 不束者ふつつかものですが、末永くよろしく、お願い致します。」


「 • • • 。」



 詰んだ。確かに史実では義経の正妻は郷だ。

 2年前に結婚しているはずだ。死んだ範頼の妻は、郷の従姉妹のはずだ。

 大きなくっきりとした目と、聡明な物言い、令和の時代でも美人と言えるだろう。

 そうか、俺はこの人を護らねばならぬのか。



………………………………………………………



 参った、源平合戦のことは、いろいろ考えを巡らせていたが、嫁のことは意識の外だった。

 明日が結婚式だぞっ。住むところはどうするんだ。いきなり別居で平泉には送れないよな。

 かと言って、千光房のような荒くれ男ばかりのむさいところには、とても連れて行けない。

 あれこれ悩んでいると怨霊義経の声がした。


『貴船神社に連れて行けば良い。あそこならば儂も護ってやれるぞ。第一お告げの貴船神社に害なす者なぞ、都中の民達が許すまいぞ。』


 そうだった。貴船神社なら巫女達もいる。

 周辺には数多の山伏達の僧房もあり、安全を図れることだろう。



………………………………………………………



 翌日の正午から、俺と郷の婚儀が一条屋敷で厳かに執り行なわれた。

 挙式には、貴船神社の宮司殿が祝詞を上げ、

千光房の俊章和尚が「高砂」の待謡まちうたいを謡って、そこにいる俺は、まるで別世界にいる心地だった。

 事実、怨霊義経によって別世界にいる訳なのだが、それとは違うのだ。

 俺にとっては、人生で初体験の女性と夫婦という絆で結ばれるという未知のでき事なのだ。



『高砂や、この浦船に帆を上げて。

 月もろともに、入汐いりしおの。

 波の淡路の 明石潟。

 近き鳴尾なるおの 沖行きて

 はや住吉すみのえに 着きにけり。』


 これが正式な婚儀での高砂の祝言謡だ。

 元謡は、能の『高砂』の待謡まちうたいだが、祝言に相応しいように替えている。


『高砂や、この浦船に帆を上げて。この浦船に帆を上げて。

 月もろともに、出汐いでしおの波の淡路の 島影や。

 遠く鳴尾なるおの 沖過ぎて はや住吉すみのえに 着きにけり。はや住吉すみのえに 着きにけり。』


 結婚は人生に一度と、繰返しを除いている。

 次に花嫁に出て行かれては困るので「出汐」を「入汐」に替えている。

 また「島影」の影を嫌い、この道行の地名「明石潟」に替えて、「遠く鳴尾の沖過ぎて」も花嫁が遠く過ぎ去るなど困るから「近き鳴尾の沖行きて」としているのだ。



 婚儀は、神主の祝詞が終わると、郷に郷の母から贈られた『筥迫はこせ』という品が胸元に飾られた。

 筥迫はこせこは、花嫁が身に着ける小物の一つで、化粧箱ポーチだ。中には白粉や懐紙、紅などが入っており、身支度を整える化粧道具入れで、嫁ぐ娘に母から贈られる嫁入り道具なのだ。


 それから、夫婦の契り『三婚のさんこんのぎ』いわゆる『三々九度』を行う。

 この儀は、夫婦となる者が同じお酒を身体に入れ『これから散々苦労を共にしても支え合って行く。』という覚悟と誓いを込めるものだ。

 九回の9は(2で割り切れない)奇数の中で最大数の9は、目出度いことの頂点と考えられていた。


 祝言の最後は、三礼の儀。三度の礼、つまりお辞儀を通し、参列者に感謝の念を伝える。

 最初は、新郎の両親への礼。次は新婦の両親へ。最後は参列者への礼である。



………………………………………………………



 祝宴である。上座と言うより、お内裏様とお雛様のごとく、雛壇に座らされている俺と郷。

 参列者は、藤原国衡、武蔵坊弁慶、伴三次、鵜飼孫兵衛、佐藤忠信、俊章和尚、千光房七郎金太郎、銀次郎、銅三郎、 陽陰丸、天竺丸、猫丸、鼠丸など勢揃オールキャストいだ。


 平泉に入るはずの国衡と忠信は、奥州大山屋の船で福原の大輪田泊おおわだのとまり湊に来て、この席に参加したそうだが、報せた犯人は母上だ。

『 あら、頼朝との関係は、藤原家の大事よ。報せるのは当然でしょ。』

 なんて宣うていたが、当人の俺より一ヵ月も前に報せていたのは解せない。

 今回のことは、母上の謀議以外の何者でもない。しかし、兄弟が殺し合うのを見過ごせない母の気持ちも分かる。


「御曹司、お目出度うございまする。此の度の儀、父も驚いておりましたが、兄君との関係を謀るには良きことと申しております。」


「国衡、俺は今、母上のたばかりに陥り、へこんでいるのだ。慰めの言葉はないのか。」


「はははっ、人生には思いもよらないことが起きるものですよ。これも母孝行とお思いなされ。」


「ちっとも慰めになっておらぬっ。」


「御曹司っ、何を憂いてござるか。見目麗しい嫁御で、慶事ではござるらんか。」


「弁慶、誠そう思うか。ならば良し。お前のむさい見過ぎには我慢ならんでな。小夜を呼んである。向後はお前の御三おさん(賄下女)として、仕えさせよ。良いなっ。」


「なっ、なにを急にっ、言われるのか。」


「祝言は、平泉に帰るまで待て。都では落ち着かぬからな。」


「弁慶殿、人生には思いもよらないことが起きるものですよ。観念しなされ。あはははっ。」



「御曹司、憂さ晴らしはできましたかな。」


「俊章和尚、俺はどうしたら良いのだ。

 民を救うことばかりを考えていたのに、嫁を娶ることになるとは。頭の中が真っ白ぞ。」


「全てをあるがままに受け入れなされ。

 この世は無情、されど人は縁起に惑わされ、煩悩を自ら生み出します。

 周囲の出来事は無情と知り、慈しみなされ。 

 嫁御のことも、生まれてくるお子のもな。」


「そうですな。神は些細な私事には関わりませぬが、万物の関わりの中で、心清らかに過ごすことが人の生き方かと。

 あるがままに過ごされるのがよろしい。」


「坊主も神主も言うは易しだが、今の俺の些細な不安は、ちっとも晴れないぞっ。」


「「「あはははっ。」」」



 その後も入れ代わり立ち代わり、皆が、俺を揶揄したり諭したり、何のことはない酒の肴にしただけだ。俺は世の不条理を知った。



………………………………………………………



 郷は今19才。前世で言えば、25才の適齢期だろうか。


「郷、俺のことをどう思っている。俺は嫁というか家族には嘘をつかず正直な間柄でいたい。

 だから聞く、なぜ俺に嫁ぐことにした。」、


「お婆様と母に、言われました。頼朝様と義経様は母は違えど兄弟なれば、争ってそれが生死を掛けるものにさせてはならぬと。 

 私には、お二人の真のお気持ちを、伝えあう一助になりなさいと、言われました。


 私が義経様について、知り得ていることは、さしてありませぬが、常盤御前様からのお手紙に、義経様は民をお救いになることを待望され飢饉や“なゐ”の際の為されようを知りました。

 また、都からいらした御坊様から、その様子も伺いました。多くの都の民が神のお救いと崇めていると。


 それから、お使者に来られた千光房七郎殿に義経様の人となりを伺いました。

 温厚で思慮深く、周りの皆様と対等な目線でおられるお方だと。

 可笑しかったのは、家臣となられた多くの皆様が、皆、義経様を信奉、敬愛なされていると言われましたが、七郎殿が一番、信奉なされているご様子でしたわ。


 私は何もお力になれぬかも知れませぬ。でも、義経様のお傍で義経様の成し遂げることを見とうございます。そう思って参りました。」


「 · · · 、よろしく頼む。」


「はい。」



 俺は、母上を少し見縊っていたかも知れぬ。 

 こんな情報が満足にない時代に、このような聡明で確固たる意志を持つひとを見つけ出すとは恐れ入る。

 郷は敵対などしまい。それは嫁入りにたった一人で来たことからも分かる。

 史実では、嫁入りの際に家子2名、郎党30数名が従って来ている。監視目的があるからだ。

 ところが郷は侍女も伴わず、たった一人での嫁入りを望んだという。 

 居住していた武蔵国川越から、江戸湾に出て迎えの藤太の商船に乗り、福原へそして都へと来たという。

 護衛は、神楽姫率いる水軍衆がしてくれたというが、さぞかし心細かったに違いない。



 今日からは俺が守る。だからそのように泣いてくれるな。

 そう思い、俺はただ郷を抱き締めていた。

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