第8話 遮那王の元服と『藤原泰衡の廃嫡』
承安5(1175)年1月 奥州平泉高館 衣川館
遮那王(17才)
俺はこの正月、満を持して元服した。烏帽子親は、もちろん藤原秀衡である。
元服をこの年まで待ったのは、明年になれば都で後白河法皇の院政勢力と、平清盛の対立が現れて来るを知っているからだ。
たとえ今年中に、俺が奥州藤原家に庇護されていることが露見しても、おいそれと攻める訳には行かず、詰問の使者を送るなどの手順を踏む必要があり、また奥州藤原家を攻めるとなれば大軍を出さねばならず、それは明年以降になるだろうし、大軍を出せば平氏にとって、都が手薄になる。
それは、後白河法皇の平氏打倒勢力への支援となるのだ。
後白河法皇の皇子以仁王が平家追討の令旨を発し、兄頼朝が挙兵するまで、あと5年。
俺は俺で、挙兵の準備をする。兄の下へ馳せ参じたりはしない。
元服は、成人を示す通過儀礼の儀式である。
堂上家以上は冠を、他は烏帽子を着用する。
元は頭、服は着用で『頭に冠を付ける』意味を表す。加冠とも
加冠を行う者を烏帽子親、元服する者を烏帽子子と言う。
男子は、12才から16才で氏神の社前で大人の服に改め、子供の髪型から大人の髪を結い、冠をつける。
併せて幼名を廃し元服名(諱)を付ける。
その際は烏帽子親から偏諱拝領も多かった。
あまり知られていないが、女性も元服に相当する儀式があった。概ね初潮を迎えた女性が、
裳着の腰紐を結び髪上げをし、初めてお歯黒を付け眉を剃り厚化粧をして殿上眉を描くことが許された。
裳着以降は、巫女装束に似た白の小袖と緋色の袴を履いた。
元服の儀を終えると、藤原家の家臣達と祝宴となる。俺の前には、次々と祝いの言葉や酒を注ぐ者達で溢れる。
「御曹司、おめでとうござる。これで晴れて、源氏棟梁の子息と、名乗りができ申すなぁ。」
「あまり早く、都に伝わらないと良いがな。」
「そうですな、平氏が栄華を誇り、公家がその威を借り荘園を牛耳って、横暴な振舞いをしてござる。武士にとっては苦渋の沙汰も多く難儀しているとか。」
「御曹司、話しは変わりますが、先に献策された飢饉の備えでござるが、次の評定でやる方向で諮ることになりましたぞ。
御曹司も元服され、評定に出ていただくことに支障ありませぬしな。」
「ふむ、誰も反対せねば良いがな。」
それから10日後、新年最初の定期評定が開かれた。
「 • • • • なるほど、飢饉に備え、毎年村々で一定割合の稗や蕎麦、芋を栽培し、米の備蓄をする訳ですな。」
「そのような必要はないっ。飢饉の際は、他領から米を買えば良いのだ。わざわざ備蓄するなど、領民から白い目で見られるわっ。」
「泰衡殿、いったい如何ほど米を買うつもりかな?」
「そんなもの、飢饉の度合いによるわっ。
だが我が奥州藤原家ならば、5万石でも10万石でも購うことができるのだっ。」
「泰衡殿、陸奥は大国にて、少なくとも100万石の石高がありましょう。
さて、大飢饉ともなれば、その3割でも収穫できれば幸い。それがもし3年も続けば200万石程の米を買わねばなりませぬが、そのような資金がありますかな。
それに、東国や、関東一円の飢饉となれば、米を西国などから輸送費も含めて、相当高値で買うことになりますな。
泰衡殿、いや泰衡、その方、そんなことも、わからぬで嫡男か。見損なったわ。」
「御曹司と言えども、非礼であろう。そんな起きるかどうかもわからぬ、飢饉の備えなどしてどうなる。
それより、武技を鍛え城や武具を備えることこそが肝要だ。」
「 • • 秀衡殿、今わかり申した。この九郎義経にとって、奥州藤原家は頼りにならぬ。
故に辞去させてもらう。これまで世話になったな、礼を申す。」
「お待ちくだされ御曹司っ、泰衡の無礼の段、この秀衡に免じてお許しいただきたく願い奉りまする。」
「俺は別に泰衡の無礼に怒っている訳ではないぞ。泰衡の無知を知って、このような者を嫡男とした藤原家の浅はかさ。
そして、このような者しか育てられなかった親を見てこの家には先がないと思っただけだ。
秀衡、残念だがその方亡き後、この藤原家は滅びる。俺はそんな家との心中は御免被る。」
「な、なんとこの秀衡の責にございますか。」
「秀衡、長男の国衡の方が武勇優れ家臣の人望も高いのに、何故、泰衡を嫡男としたのだ。
家柄か、家柄身分で優劣が決まるのであれば公卿には永遠に勝てぬぞ。
よって、その方は奥州藤原家を滅ぼす手配をしておると知るがよい。
無能な者が、上に立つから民が苦しむ。
俺は、そんな世をぶち壊す。」
俺はそう言い残して、奥州藤原家を出た。
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「泰衡、お前はこの藤原家をどうしたい。」
「父上、俺は藤原家嫡男として、秩序をもって領国を治め、都の争いに加わらず時の権力者に従い、平泉の安泰を図る所存です。
幸い某には、母上の伝による殿上人との繋がりがあります故、うまくやって行きまする。」
「もし、天子様と上皇様が争い、双方から兵を出せと言われたら、なんとする。」
「一旦様子を見まする。そして、勝利が確かなる方に加わりまする。」
「そなた武士の本分、本懐をなんと心得る。」
「主君への忠義、それとご先祖からの家を守り大きくすることでしょうか。」
「それが分かっていながら、日和見するか。
それは誠に家を守ることになるのか。武功を立てずして、家を大きくできるのか。」
「父上、奥州は広く藤原家は大家なのです。
これ以上、武功を立てる必要もなく、ただ、世の移ろいを眺めていれば良いのです。」
「その方、何様だ。藤原家初代様、二代様が何もせず今日の藤原家を築いたと思うてか。
もう良い、その方を今をもって廃嫡致す。
奥州から去れ、都へ行き公家を知るがよい。食い扶持はくれてやる。」
「なぜ、何故でございますか、父上っ。」
「そちは何故に家臣の人望がないか分かるか。
確とした信念、本望がないからよ。それも、本音を吐かぬから信用されぬ。
そのあり様では負け戦となった時、支えてくれる者が誰もおらぬ。
それ故に、そちには主君が務まらぬ。」
こうして藤原泰衡は廃嫡され、京の都へ上洛とも言うが追放された。
「国衡、そちを藤原家の嫡子と致すつもりじゃが、条件がある。
そちを御曹司、九郎義経様の家臣に召し抱えていただき、御曹司が平泉にお戻りいただくことをなし遂げた
心して、参れっ。」
「はい、九郎義経様には、我が生涯の主君になっていただきまする。」
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承安5(1175)年2月 出羽国天童 大山里村
九郎義経(17才)
俺は平泉を出て再び大山里に戻っていた。
そして以前と変わらぬ朝練と物作りの日常、とは行かなかった。
なぜなら、雇用した荒くれ法師達が代わる代わる毎日、主君詣でに訪れるのだ。
やくざじゃないが、主君と家臣の盃を交し、無礼講の酒宴を開いて、俺の本音を話す。
翌朝、朝練を共にして俺の武者ぶりを披露し去って行くと次の荒くれ法師達がやって来る。
だが、一期一会の出会いに、俺は皆の笑顔を忘れない。
名前を覚えられない替わりに、たくさんの奴らにあだ名を付けた。熊とか、
皆、競ってあだ名を付けて貰いに来る。俺はその度に二、三度言葉を交し、人柄を知り得てあだ名を付け、大笑いする。
俺は朝練の場で、声の限りに言った。
『絶対に死ぬな。生き抜いて旨い飯を腹いっぱい喰い、好きな女と子を作る。武功なんてクソ喰らえだ。自分と自分の大切な人だけ守れ。』
そんな俺に『御曹司はとんだ破戒行者様だ。だが、俺達に死ぬなと教えるお方は、この世に御曹司しかいねぇぞ。おらは今から御曹司様の家族だ。だで、命ある限り護ってやるだっ。』
そんなことを言ってくれる奴らもいる。
そんな忙しい日常を送っている中、藤原国衡が訪ねて来た。
毎日訪れる修験者の数に驚愕し、俺の説法とも言える『絶対死ぬな、逃げて逃げて生き延びよ。生きていればこそ、やり直せる。』という言葉に呆けている。
何か用かと聞けば、俺の家臣にしてくれという。『ならば、俺から一本とってみよ』と言い渡した。
それから10日ばかり、日夜四六時中、俺の隙を突いて打ち掛かって来るが全て返り討ちにした。
11日目の朝、朝餉の席で言うた。
「御曹司、俺は武芸ではとても御曹司に敵わぬことが分かり申した。それで、本日で平泉に戻り申す。ついては、御曹司にお会いできた記念に、そのお使いになった箸の片割れを拝領願えないでしょうか。」
「構わぬが、これはどこにでもある竹箸ぞ。
ましてや片割れなれば、使えまいに。」
「いえいえ、御曹司がお使いになったお品を、使うなど恐れ多いことにございます。
某の自慢の家宝にしとうございます。」
「そうか、ではこれを。」
そう言って、竹箸の片割れを一本渡すと満面の笑みを浮かべて言った。
「御曹司、これは竹箸ですが、一本に相違ありませぬな。確かに御曹司から一本いただきましたぞぅ。ふふふ。」
はぁ、こいつは一休坊主か。
「良かろう、家臣に召し抱える。しかし、領地俸禄は今はやれぬ。
それから、飢饉に備える蕎麦などの作付け。まだ、間に合うであろう。村々に布告して実施せよ。」
「衣川館には、いつお戻りになっていただけまするか。」
「はぁ、今しばらくは無理だ。銀次郎、いつまで掛かるかなあ。」
「はあ、今も増え続けておりますからなぁ。
二月ほどは掛かるかと。」
「だそうだ。俺を慕い、俺の目指す処を知り、配下となってくれた者達だ。そんか修験者達を差別する訳には行かぬ。」
「畏まりましてございます。飢饉への備え、確と行ないまする。」
こうして、奥州藤原家の4代目当主は、藤原国衡に内定した。
同時に俺の生存率も10%位になったと思う。
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