第7話 遮那王平泉入京『隠れ里の露見騒動』

承安3(1173)年9月 出羽国天童 大山里村

遮那王(15才)



 秋の実りが目立ち始めた頃、事件が起きる。

里に近隣の村の子らが、三人迷い込んだのだ。

 里の近くで山菜採りの最中、腹を空かせている近隣の村の子らに出会い、里の幼子らが饅頭を与えてしまったのだ。

 大人が帰宅した幼子らから聞き、余所者との接触の弊害を説くが時すでに遅く、その子らは事の重大さを知らずして、村の親達に自慢話のごとく話してしまい、村の者から隠れ里があることが隣地の寒河江郡領主柴橋定頼の耳に入り領主が軍勢を率いて現れたのだ。

 大山里の幼子らは、自分らの仕出かしたことの重大さに恐れ慄き泣き叫ぶが、時すでに遅しである。村は領主の軍勢に包囲され攻め込まれようとしていた。



 その数はわずか200騎余り。わずかである。

 この里の防備と戦力からすれば、1千2千の軍勢など造作もなく打ち払える。

 面倒なのは、攻める側がそれを理解していないことなのだ。

 仕方ない。犠牲を出さぬためには敵前に猛火の壁でも張って、諦めさせる方向で行くか。



 そこへ背中に藤原秀衡の旗印を掲げた急使が駆け込んで来た。

 遮那王の周りで起きた出来事を逐一報告せよと父親から命ぜられていた佐藤基治の四男忠信が、里に他村の子らが侵入した件についても、報せていた。

 その報せを受けた基治は、里の存在が知れて起きる諍いを懸念して、密かに遮那王の存在を主君である藤原秀衡に打ち明けていたのだ。


 そして基治が密かに放っていた、里の周囲の隠れ物見から、寒河江郡領主 柴橋定頼が兵を起こしているとの報を受け、主君に知らせたのだった。

 佐藤基治から急報を受けた秀衡は、ただちに

柴橋定頼の暴挙を止めるべく急使を走らせたのだった。


「待たれよ、柴橋定頼。この里は秀衡公の隠し里であるぞ。その里を攻めるは秀衡公への謀反であるが良いか。」



「な、何故に、我が領地に隠し里などお作りになっておるのか。主君と言えども、無体なことではないか。」


「その方に打ち明ければ、秘密を守れぬからとご判断されたからよ。」


「そのようなこと、あり得ぬわっ。」


「左様か、もしこの里におられる方が殿のお子だとしてもか。」


「ま、ま、まさか、そのようなことがっ。」


「その程度で慌て蓋めく貴公ならば、話すことなどできぬわ。

 後で分かることだから言うが、奥州藤原家の滅亡に関わるお人がおるのだ。」


「あわあわあわっ。」


「ただちに兵を引かれ、御館に出仕せよ。」

 



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 大山里の窮地に忽然と現れた秀衡の使者は、柴橋定頼を説得した後、里に歩み寄り大音声を上げた。


「里のおさに申す。某は秀衡公の家臣栗原若九郎と申す。攻め寄せた軍勢は引き申す。

 この里に危害は加え申さぬ故、某が里に入ることを許されたい。」


「儂が里長さとおさじゃ。良いでしょう、参られよ。」


 そうして、警戒を緩めることなく使者を里に入れて里長と俺の三人で話し合いが持たれた。


「先程も名乗り申しましたが、藤原秀衡が家臣栗原若九郎と申しまする。急場のことなれば、失礼の段お許し願いたい。

 主君秀衡公からは、この里に高貴なるお方が隠れ住んでおられるとしか聞いておりませぬ。

 よって、名乗りはご無用に願います。

 しかして、高貴なるお方を平泉にご案内せよと申し仕って参りましてございます。

 秀衡公からの伝言は、そろそろ元服をなされては如何かとのことにございます。」


「 • • 、分かりました、参りましょう。」


 こうして俺は郎党達を引き連れ、平泉へ行くことになった。



「御曹司、この里は我らが守ります。御曹司はいつなりとお戻りくだされ。」


「うむ、義太夫さとおさあとのことを頼む。

 幼子達のこと、あまり責めるでない。元はと言えば俺が原因。平泉に行ったら、里のことも頼むつもりだ。」


「はい、平泉には繋ぎの者を手配致します故、なんなりとお申し付けくだされ。」




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承安3(1173)年9月 奥州平泉高館 藤原館

遮那王(15才)



 平泉の藤原館に案内された俺は、藤原家臣団が居並ぶ大広間に通され、上座に鎮座させられた。秀衡は斜め左下の座にいて口を開いた。


「初めて御意を得ます。出羽、陸奥の押領使

を務めまする藤原秀衡にございます。」


「源義朝が一子九郎、今は遮那王と名乗る。

 平氏隆盛の折なれば、都落ちして参った身。

 藤原家の足枷となるは、本意にあらずして、里に隠棲していたが、隠れ里が露見して居られぬようになってしもうた。

 さて、どうしたものかと悩んでいるところだ。」


「ぶっはははっ、御曹司は正直なお方じゃな。 

 巧まずして笑わせてくれますわい。

 皆の者に儂の存念を申しおく。源氏の御曹司である遮那王殿を時が来るまで、お匿いする。

 それは我が奥州藤原家のためじゃ。天子様も公卿も平氏も、いずれは栄華を治める者を妬み敵対するであろう。

 それを制するは武力じゃ。武士の棟梁は平氏と源氏。じゃがな、平氏は公卿と一体になる道を選び武士では無うなった。

 この先は、公卿の邪な政が民を苦しめ、武士が不満を抱え、反旗を翻す時が来るであろう。

 その時、平氏に替れるのは源氏しかおらぬ。

 いくら武力がある者でも、全国の武士を武力で従えることは難しいし時が掛かるからじゃ。

その間、長く果てしない戦乱が続く世となる。

 故に、我ら御曹司をお護りせねばならぬ。」


 秀衡の言葉は、家臣達に静かに浸透していったようだ。誰一人、不満な顔をしておらぬ。

 むしろ、噛み締めているようだ。


「秀衡公の申したこと至言と思う。できることなら、秀衡公のような者達を集め、世の静謐を図りたいものだ。」


 俺はそう述べた。今はそれしか言えない。




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承安3(1173)年10月 奥州平泉高館 衣川館

遮那王(15才)



 衣川館に住まいを得てから、俺は郎党達に、日課の朝の修練を館を離れた場所で、それも、数人で散って行なうように命じた。

 俺より4才年上の秀衡の次男泰衡が、武芸の鍛錬が嫌いであると聞いたことと、彼の嫉妬の恨みが籠った視線を感じたからだ。

 こいつは、最後に俺を裏切り殺めた男だ。

 嫉妬の原因は、自分の母が公卿の出であるというプライドから源氏の御曹司というだけで、俺が上に立つことに不満があるのだろう。

 なにせ、出自が卑しいことで、庶子の長男 国衡を差し置いて、嫡男となった男だから。


 いずれにしても、秀衡が生きているうちに、廃嫡追放か、不慮の事故死を遂げて貰わらねばならない男だ。

 そうでなくとも、浅知恵で秀衡の遺言に背き奥州藤原家を滅亡に導いた男だから、生かしておいても、百害あって一利なしだ。



 平泉において、奥州藤原秀衡に匿われる身となった俺は、密かに独自の戦力を育てることを念頭に行動した。

 知己の武将達を武器などで戦力を上げることは、目立ち過ぎるからできないが、職にあぶれた無頼の徒や荒くれ者達を飼いならし、雑兵に育てることはできる。

 

 これは、弁慶達脳筋組に任せた。少数の集団に分け、棟梁となる郎党達に大山里の若い女衆を数人ずつ配して、精兵として鍛えた。

 女衆には旨い飯を作ってもらい、男達を叱咤激励してやる気にさせるためだ。


「あたしを嫁にしたいなら、惚れさせる男になってみなっ。あたしらは強くて優しい男にしか惚れないよ。」


 とは、彼女らの常套句だ。ましてや彼女らは合気道の遣い手で忍びの技を修めているのだ。  

 荒くれ者達でも、太刀打ちできる訳がない。


 主たる訓練は、盾を構えた耐久走と長槍での集団攻撃だ。弁慶など一騎武者に対して、集団戦法で挑む。

 一騎武者に打倒された者がいるとその者ではなく、周囲の者達が責を負わされる。

 なぜ、その者への攻めを許したのかと。


 体格が劣る者達には、ボウガンを与え、ひたすら速射の訓練をさせた。

 一定時間に何射できるか、それが自分の命の明暗を分けると徹底的に叩き込んだ。

 おかげで、鍛えられた者達は皆目を瞑っても矢を放てる。


 これらの手勢を養うために、大山里から人を寄越して、平泉で人を雇い、『奥州大山屋』という店を出した。

 清酒から焼酎、酎ハイ、水飴、饅頭、肉まん揚げ芋、獣脂、大豆油、大豆味噌、溜まり醤油豆腐、がんも、油揚げ、抹茶、緑茶、焙じ茶、

乾麺のうどんに蕎麦。竹箸、筆、硯、墨、和紙

うちわ、傘、各種丸薬まで、何でも売った。


 それに隠れて、50km程東にある陸前高田の海岸で砂鉄を磁石で集め、たたら鉄で槍の穂先やボウガンの鏃、刀を作らせた。

 鍛冶師は、奥州各地から密かに雇用した。



 こうして、数年の月日が経つうちに俺の配下は、大山里を除き奥州各地に雑兵2,400人余り職人商人下働きの者達が1,100人余りとなってなおも増加中である。

 藤原家家中では、あぶれ者や乱暴狼藉を働く荒くれ者が見かけなくなって、替わりに山伏が増えているようだが、どこぞの偉い修験者殿が荒くれ者達を説法で改心させておるのかのう、と能天気なことを言っている。

 説法で、腹が膨れるはずがないだろに




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承安3(1173)年11月 伊豆国 蛭ヶ小島 伊東館

伴 三次



 この年、よしつねは歴史の知識から、一つの幼子の命を救うべく、甲賀の伴三次と大山里の村長の息子 陽陰丸達にあることを命じた。



 俺達は御曹司に命じられて、伊豆の伊東祐親の屋敷を見張っている。

 祐親が都の大番から帰ってきて、今日で5日目になる。もうそろそろだ。


「陽陰丸、到頭出て来たぞ。松川に向かうはず、抜かるな。」


 伊東館から、幼い男の子が男に手を引かれて出て来た。3才くらいだろうか、怯えた表情で黙して連れられて行く。

 松川の崖に着くと、俺は手を放して何事かを告げ、脇差しを抜いた。幼子を殺め川に沈めるつもりだろう。


 しかし、そうはならなかった。我らの手の者達が音もなく男を囲み、一瞬にして掴みかかり首を捻って葬り去った。


「千鶴丸殿ですな。怖がらなくて良い、我らは坊を救けにきたのだ。 

 さあ、逃げるぞ。儂の背に掴まりなされ。」


 俺の背におぶられた千鶴丸が殺されないと、安堵したのか口を開いた


「お前らは何者だ。俺をどこへ連れて行く。」


「我らは、そなたの父の兄弟の臣にござるよ。

 そなたの爺御の祐親殿は、やむを得ぬ事情で

千鶴丸殿を殺さねばならなくなったのじゃ。

 そのことを不憫に思うた叔父御が救けるよう我らをここに越さしたのでござる。」


「母上は、母上はどうなるのだ。」


「今はお知らせできませぬ。千鶴丸殿が死んだと知らされるでしょう。お悲しみでしょうが、いずれ必ずやお会いできます。

 それまで、ご辛抱くだされ。母御の命を守るためですぞ。」


「 • • • どこへ行くのだ。」


「ここより北の奥州にござる。」




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承安3(1173)年12月 奥州平泉高館 衣川館

遮那王(15才)



 兄頼朝の長子千鶴丸が俺の元へやって来た。

 史実では、3才の身で川に沈められ殺された子だ。 

 伊豆からは、伊勢の藤太の商船で気仙沼まで来た。幼い身には、かなり堪えたことだろう。

 千鶴丸は、当分身元を明かせないから、大山里に預けることにした。村長の娘の陽炎が弟を欲しがっていたし、面倒を見てくれるだろう。


「千鶴丸、よく来た。今日からは俺が兄だ。

 俺がいろんなことを教えてやる。

 お前が母を守れるようになるまで、辛抱するのだぞ。必ずその日は来る。」


「叔父上、救けてくれてありがとう。

 俺、母上を守れるようになりたい。」


「うむ、偉いぞ。それまでお前は俺が護る。」


 そう言うと千鶴丸は少しだけ笑顔を見せた。

 理不尽な運命なんかに負けるな。そしてお前の大切な人を守ってやるのだぞ。


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