第10話 離別(アーサー視点)

 小山の頂上に移動した次の日。

 僕らは作戦実行のため、動き始めた。

 幸いにも、僕はエレシュキガルと同じ隊。

 彼女と離れ離れになったら、どうしようかと思っていたけど、一緒なら安心できる。


 それにエレシュキガルとなら、あの鬼姫だって、魔王だって倒せるはずだ。

 大丈夫。きっと大丈夫。


 …………と思っていたのだけど。


 「ルイ! しっかりして!」


 その声で僕は意識を取り戻す。


 「起きて! ルイ!」


 この声は……エレシュキガル?


 重い目を開けると、見えたのは綺麗な菫色の瞳。

 エレシュキガルは心配そうに僕を見ていた。

 彼女の頬は血と泥だらけだけど、それでも美しい天使だった。


 そうか……僕は今エレシュキガルに運ばれているのか。


 エレシュキガルの方が若干身長があるとはいえ、僕と彼女に体格差はそこまでない。

 だけど、エレシュキガルは僕を抱えていた。

 1人で抱えて、必死に走っていた。

 遠くからは砲弾が落ちる音も聞こえてくる。まだ戦場にいるのだろう。


 ああ、そうだ。

 僕は怪我をしたんだ。

 かすり傷なんかじゃない。

 致命的な大けがを。


 力を入れようとしても、体は力が入らない。

 出血は止まらない。

 意識は朦朧としている。

 だけど、温かさだけは感じる。

 エレシュキガルの温もりを感じる。


 「眠らないで!」


 疲れて目を閉じようとする僕に、叫ぶエレシュキガル。

 だが、彼女の声は遠のいていく。


 「ルイ! 生きて!」


 その大きなエレシュキガルの声は涙ぐんでいた。

 今にも泣きそうだった。

 

 …………ああ。


 僕、今エレシュキガルを悲しませているのか。

 今死んだら、エレシュキガルをもっと悲しませてしまう。

 嫌だ。そんなのは嫌だ。


 …………生きなきゃ。


 目を開けなきゃ。

 エレシュキガルに答えなきゃ。


 「いきなきゃ……き、みのとなりで……」

 「ええ! 生きるの!」


 僕が答えると、声を明るくするエレシュキガル。

 彼女は走りながら、僕が眠らないように訴えてくる。

 同時に僕に回復魔法をかけてくれた。


 それでも、気を抜けば、意識は遠くなりそうになる。

 だから、僕は、眠らないように。


 「エレシュキガル……」


 救護班へと運ばれていく時も。


 「エレシュキガル……」


 回復士から回復魔法をかけられている最中にも、ずっと。


 「エレシュキガル……」


 ずっと彼女の名前を呼んでいた。




 ★★★★★★★★




 目を覚ますと、そこには見慣れた天井。

 その天井は王城にあるはずの静かな自分の部屋のもの。


 その瞬間、悟った。

 王城に戻されたんだと。


 救護班のところまで行って、処置を受けていたところまでは覚えている。

 近くにはエレシュキガルがいてくれて、僕の手をずっと握ってくれていたから。

 そこまではちゃんと覚えている。


 なら、僕はきっと処置中に意識を失ったのだろう。


 腹部は痛むが、何とか上体を起こす。

 窓の外を見ると、戦場とは全く異なる平穏な景色が広がっていた。


 僕はエレシュキガルと約束をした。

 魔王を倒したら、結婚しようと。


 戦う前に、僕は決意した。

 作戦が成功したら、彼女に婚約を申し込もうと。


 でも、ダメだった。

 

 エレシュキガルに婚約は申し込むことはおろか、一緒に魔王城に行くことすらできなかった。

 こうなったのは僕が弱かったせい。

 だから、もっともっと強くならないといけない。


 だが、目覚めた直後の僕は怪我のため筋力も落ち、すぐには自由に体を動かせなかった。

 医師や回復士の力を借りて、1ヶ月ほどで以前と同じように体を動かせるようになった。

 そうして、普通の生活を送れるようになったある日。


 ――――エレシュキガルに会いたい。


 そう思った僕は軍に戻ろうとした。


 「なりません」


 だが、お母様が許可してくれなかった。

 お母様に軍に行くことを報告すると、頑固として了承してはくれなかった。


 陛下は好きにしたらいいと言ってくれたが、お母様は決して僕が軍に戻ることを許可してくれない。

 それでも僕は必死に訴えた。


 「兄様のように強くなりたいのです。軍で戦えば……」

 「いけません」

 「ですが……」


 軍には、あそこにはまだエレシュキガルがいる。

 僕もあそこに行かないと。

 戻って、一緒に戦わないと。


 しかし、お母様は横に首を振るばかり。

 

 「アレクなら負けることもないでしょう。でも、あなたはまだ未熟なところがあります」

 「それなら、アレク兄さんのように軍で経験して……」

 「それはここでもできるでしょう。ここには経験豊富な騎士や魔術師がいます」

 「戦場でしか経験できないこともあります」

 「そうね。そうだけど……」


 お母様は瞳に涙をためていた。

 今にも泣きそうだった。


 「あなたに何かあったら、私は……」


 お母様は、僕の近くにくると、ぎゅっと抱きしめる。

 その抱きしめる力は強く、苦しいほどだった。

 

 ああ……。


 お母様は僕が本当に心配なんだ。

 軍に行く時も心配そうにしていた。

 今回、僕は大けがをして帰ってきた。


 そうだよね。

 心配に決まってる。

 今回は生きて帰ってこれたけど、弱い僕はあそこで死ぬことだってあり得た。


 僕はエレシュキガルのことが一番好き。

 彼女のためならなんだってするつもりだ。


 でも、お母様も大切。

 お母様がいなかったら、僕を産んでくれなかったら、僕はエレシュキガルには会えなかったから。

 お母様に心配をかけることはこれ以上したくない。


 「分かりました」


 そうして、僕は軍に戻るのを止めた。

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