第5話 不釣り合い

 婚約破棄された日からというものの、私はアーサー王子に絡まれるようになった。

 アーサー王子は朝に会うと必ず挨拶をしてきて、私の隣に座る。(もちろん許可を取ってくる)

 授業中にグループワークがあれば一緒にするし、昼食も一緒。


 そのため、私の単独行動生活が一変した。


 嫌われ者の私の隣にアーサー王子がいることなんて、今までの学園生活ではありえないこと。

 最初、私はアーサー王子が近くにいることで周囲に向けられる視線が気になっていた。

 が、1週間経った頃にはそれも当たり前となり、王子とともに過ごすことにも慣れていった。

 

 「やぁ、エレちゃん」

 「おはようございます、殿下」


 そして、呼ばれ方もいつの間にか変わっていた。

 『エレシュキガルさん』から『エレちゃん』にいつの間にか移行。


 正直『エレちゃん』は……ちょっとむずがゆい。

 だいたい『ちゃん』付けで呼ばれたことがなかったので、違和感が大きかった。

 その呼び方をするようになった理由が気になり、私は『なぜ「エレちゃん」という呼ぶのですか』と尋ねてみたのだが、王子の返答は。


 「エレちゃんと仲良くなりたいからだよ」


 というもの。たぶん気まぐれなのだろう。

 王子が満足しているのなら、まぁなんと呼ばれてもいいか。


 そうして、アーサー王子と関わるようになってから、教室・・での嫌がらせが減っていった。

 筆箱は盗まれなくなり、誹謗中傷の言葉は言われない。

 睨まれることもない。

 体をわざとぶつけてくる人もいない。


 面倒事が減ったと思うと、ちょっとだけ楽になれた気がした。


 そうして、アーサー王子と過ごすようになったある日のこと。

 私はいつも通り一番早く教室に来たと思っていたのだが、教室には先客がいた。

 

 私よりも早く来ていたのは金髪の少年。

 私が座るいつもの場所に、彼は1人座っていた。

 教室に入ると、靴音が響く。

 

 その瞬間、彼は顔を上げた。

 目が合うと、アーサー王子はぱぁと顔を輝かせる。


 「おはようございます、殿下」

 「おはよう、エレちゃん」

 「今日の殿下はお早いのですね。びっくりしました」


 ふと王子の前の机を見る。

 そこには教科書を広げられており、予習をしているようだった。勤勉なお方だ。


 私はいつものように、あの席に座ろうとしたが、アーサー王子が座っていることに気づいた。

 うーん。王子が座っているし、わざわざ動いてもらうのも失礼。

 今日は別の席に座るとしよう。

 と少し前の席に行こうとすると。

 

 「ちょっ、ちょっ」

 「?」


 王子が私の手を掴み、ストップをかけてきた。

 

 「殿下、どうかいたしましたか?」

 「いや、なんでいつもの席に座らないかなと思って」

 「それはいつもの場所は殿下が座っておられるので、別の所にしようと……」


 というと、アーサー王子は荷物を横にずらし、左隣にスペースを空けてくれた。


 「ここはエレちゃんの特等席」


 特等席?

 席は指定じゃないはずだが。


 「隣はよいのですか? ウィリアムさんは……」

 「大丈夫。リアムは僕の右に座るよ。だから、エレちゃんはここに座って」

 「……?」


 そのお願いを断るわけにもいかないので、私は王子に言われるままに座る。

 アーサー王子が言うのなら、大丈夫なのだろう。

 そうして、準備をしていると、アーサー王子が話しかけてきた。

 

 「いつもエレちゃんはここに座ってるよね。ここが好きなの?」

 「いえ、別に好きとかはありません。座れれば席はどこでもいいのですが……本音を言えば、最前列に座りたいです」

 「なら、前に座ればいいのに。どうして、エレちゃんは前に座らないの? 早く来るならいつも空いているだろうに」


 「それは物を投げられることがあって、授業に集中できない可能性があるからです」

 「物を投げられる? 授業中に?」

 「はい」


 そう返答すると、王子は分かりやすく顔をしかめる。

 王子が物を投げられるなんてことはそうそうないだろうから、奇妙に思うだろうな。

 すると、王子は立ち上がった。


 「じゃあ、僕と前の席に座る?」

 「え?」

 「大丈夫。物を投げられることはないと思うよ」

 「殿下は前の席でよいのですか」

 「うん。僕はエレちゃんの隣ならどこでもいいし」

 「そうですか」


 というわけで、私たちは前の席に移動した。

 一時授業が始まり、物が飛んできたり、悪口を言われりしないか心配していたのだが、そんなことはなく。

 平穏なまま授業は終わり、その後王子が「物を投げられることはなかったね」と笑っていた。


 「ねぇ、エレちゃん」

 「なんでしょう、殿下」

 「今度一緒にお茶をしませんか?」


 アーサー王子は柔らかな笑みを浮かべ、そう言ってきた。

 ペンを貸してもらった時にも彼からお茶に誘われたが、あの時は自分の立場を考え断った。


 だが、2回も断るのはまずいだろう。

 それにアーサー王子が再度誘ってきたということは、彼が私とお茶することを望まれているということ。

 私が拒否する理由もないし、断れば無礼な行為となる。

 

 「今度というのはいつ頃でしょう」


 私がそう尋ねると、王子は目をキラリと輝かせた。

 お茶ぐらいでこんなに楽しみにされるとは……アーサー王子は誰かとお茶をするのが楽しみなのかもしれないな。


 「エレちゃんの都合のいい日でいいよ」


 アーサー王子にそう言われ、今週のスケジュールを思い出す。

 今週の放課後は訓練がある。

 1人でやっていることだから休むことはできるけど、訓練の習慣を狂わせたくない。

 今週末なら何も予定が入っていなかったはず。


 「今週末でも構いませんか」

 「もちろん!」


 アーサー王子は満面の笑顔でそう答えてくれた。




 ★★★★★★★★




 最近の私は完全に浮かれていた。

 ふとした瞬間に、アーサー王子とお茶する時のお菓子は何がいいだろうか、とか。

 王子が好きなお菓子ってなんだろうか、とかいつもの自分なら考えないようなことを考えていた。


 だから、こんな目にまた合ったのかもしれない。

 寮に戻る時間をもう少し遅らせておけば、こんな目に合わなかったのに……全く、私はバカなことをした。


 私は放課後の自主訓練を終え、そのまますぐに寮に戻ると、泥水を浴びた。

 急に上から泥水が降ってきたのだ。


 初めてではないから、そこまで驚きはしない。


 けれど、泥水は相変わらずくさかった。

 鼻をもぎたくなるような臭さ。泥の中には生ゴミも入っているようだ。

 またよくこんな泥水を用意したものだ。


 1人関心しながら、私は顔についた泥をぬぐい、周囲を見る。


 周りにはクスクスと笑う女子たち。

 そして、吹き抜けとなっている2階を見ると、バケツを持って笑う人たちがいた。


 ああ……またか。

 

 2階の女子たちを見ると、その中心には見知った顔があった。

 赤い髪の縦ロールの少女。

 彼女は確か……私の元婚約者の恋人さんエスカレーター……いやスカーレットさんか。

 彼女もこちらを見下げて、クスクスと笑っていた。


 「エレシュキガルさん。あなた、殿下からお茶を誘われたらしいじゃない? ……でも、あなたが殿下と同じ席でお茶? ハッ、調子に乗るのも大概にして」


 王子と関わるようになって、学園内、特に教室での嫌がらせは減った。

 だが、それに反比例するように、寮での嫌がらせは増加。

 今日も寮に戻ると、すぐにこれだ。

 こんな毎日律儀なこった。


 でも、制服がまた泥まみれになってしまった。

 今日は授業が長引いたから着替えずに、制服のまま訓練していた。

 こうなるのなら運動着に着替えておけばよかった。


 「殿下はね、お優しいからあなたのような人間にも声をかけるの」


 スカーレットさんはコツコツと足音を鳴らし階段を下りながら、そう話してくる。

 彼女には教室で見かけた時は違う、強い圧があった。

 鋭い赤い目をこちらに向けてくる。


 「でもね、あなたと殿下と不釣り合い。魔王軍との戦いで勝利に貢献しているみたいだけど、あなたは軍人。血まみれの手を持つ軍人なのよ。そんな人が神聖な王子と関わるなんて、恥知らずにもほどがあるわ」


 血まみれの手……。

 戦場のことを思い出す。

 戦えば戦うほど、私の手は敵の血で染まっていく。

 

 今は戦場から離れているから、血はついていないけど、以前は血まみれだった。


 「それにあなたがいくら公爵家の人間と言っても、所詮半分は庶民」


 半分は庶民……母のことを言っているのだろうか。

 スカーレットさんの言う通り、私の母は元々庶民の出。

 母は軍人として功績をあげ、そして、父と出会い結婚した。

 そして、2人の間に生まれたのはシンお兄様と私。


 確かに私の半分の血は庶民だ。


 「だから、あなたに殿下と関わる資格はない。気品のかけらもない野蛮なあなたと王子は初めから釣り合わないのよ」


 それだけ話すと、スカーレットさんたちは自室にへ戻っていく。

 大広間に残ったのは私だけ。

 去っていく者誰1人として、私に話しかけてくる人はいなかった。


 私は泥をかぶったまま立ち尽くし、スカーレットさんの言葉を思い返す。


 『殿下はね、お優しいからあなたのような人間にも声をかけるの』

 『気品のかけらもない野蛮なあなたと王子は初めから釣り合わないのよ』


 私は愚かだった。

 最近アーサー王子と関わるようになって一緒に過ごすようになって、それが当たり前だと思うようになっていた。

 自然になっていた。


 でも、実際は王子が優しいから、のけ者の私に気を使ってくれていただけ。

 本来であれば、私と王子は釣り合わない。


 けがれた戦場の女と王族なんて最初から釣り合わない。


 そう考えると、アーサー王子には私よりも関わるべき人間が他にいる。

 私になんか時間をさいてはいけない。


 王子は私と関わってはいけないんだ。


 そう考えて、私は泥をかぶったまま自室に戻った。

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