第87話 クロ。−2

「はあ…、はあ…」


 肌と肌がぶつかる音が、部屋の中に響いている。

 何も見えないけど、俺を抱きしめる花田さんの温もりはちゃんと伝わってきた。どれだけ飢えているのか分からないほど、花田さんとおよそ1時間くらいこんなことをやっていた。感覚的に1時間くらい…、あるいはそれ以上かもしれない。


「気持ちいい…。尚くんも好きでしょう? 私とやるのは…」

「うん…」

「ねえ…、尚くん。私がちゃんとご飯も食べさせてるし。気持ちいいこともさせてるから…、嬉しいでしょ?」

「うん…。嬉しい…」


 俺に花田さんのことを拒否する権利などない…。

 あんな行為もやりたくないのに、何かを飲んだ後はすぐできるようになってしまうから…。一体、何を俺に飲ませたんだ…? 言うことを聞かない時は首輪のスイッチを押して、絶対「うん」って言わせる花田さん。


 今度は完全に俺の自由を奪われた。


 それでも諦めず、聞いてみようとしたけど…。

 そのたびに、スイッチを入れる花田さんだった。犬でもあるまいし…、そのやり方はひどくないのかと…。そう聞きたかったけど、首輪の痛みを覚えている俺にはそれを聞く勇気がなかった。幸せそうな声が聞こえる…。俺が彼女のそばにいるからか? 以前とは違って、毎日幸せそうな声が聞こえていた。


「前にあったことは全部忘れてね…? 今から、私と尚くん…。二人のことだけを考えよう…。分かった…?」

「うん…」

「今まで尚くんみたいな人はなかったからね…? 私には一人しかいない大切な人だから…、ちゃんと私に従って…。そうしてくれたら、尚くんも幸せになるはず…」

「うん…。分かった」

「いい子いい子…」


 一糸も纏わず、俺とキスをする花田さんの温もりが感じられた。

 熱くて…、柔らかくて…。俺の体、心…、全てを自分のものにしたがる花田さんは毎日こんなことをしていた。見えないから分からないけど、多分…体には花田さんが残した歯形とか、キスマークも多いはず…。


 数日間、学校にも行けなかった。

 学校くらいは普通に行かせてくれると思ったけど、そうだと思っていた俺の考えが甘かった。まさか、ずっと俺を閉じ込めるとは…。


「……」


 今度は完全に監禁されてしまった…。


「尚くんはもう学校行かなくてもいい…。私が飼ってあげるから、心配しないで」

「あのさ、菜月…」

「尚くん、ここで文句を言ったらどうなるのか分かってるんだよね?」

「……うん」


 言えなかった…。

 また、あんなことをされるのは嫌だから…。ある日は「解放してくれ!」と大声で叫んだこともある。もう何もしないから、普通の人生を生きたいと…。花田さんの前で話したけど、今度は何をしても俺の話を聞いてくれないようだった。


「尚くん…、またそんなことを言うの?」

「————っ!」


 また、スイッチを…!


「私が言ったでしょ? 尚くんはもう何もしなくてもいいって…、私の話をまた無視したのかな…? いくら好きな人だとしても、私を逆らうようなことは許せないからね?」

「うん…。分かった…」

「本当に分かった…?」

「うん…。許して…、ごめん…」

「いい子…」


 もう限界か…。本当に諦めるしかないのか…?

 どうして、花田さんは俺と話そうとしないんだ…?

 何が問題なんだ…?


 毎日、毎日…俺はただ花田さんとあんなことをするだけだった。


 誰か…、俺を助けてくれ…。

 お願いだから、ここから…出してくれ。


 ……


 彼女に抱かれて、もう数日が経ってしまった。

 いや…、もう一ヶ月以上経ったかもしれない…。


「あーん」

「……」


 いつも通りご飯を食べさせてくれる花田さんと、素直に口を開ける俺だった。

 大人しくしていると、何もしないから…。俺はまるでペットみたいに…、頭を撫でてくれる花田さんの話に従っていた。そして束縛されたまま、彼女の体を舐めることとか…。俺に要求することは、文句言わずに最善を尽くすしかない状況。逃げられないって知っていたから、俺はもう諦めてしまった。


 ここが俺の居場所…、死ぬ時までここから離れるのはできない…。

 そんな場所…。


「可愛い私の尚くん…」

「……菜月、キスして…」


 もう頭がおかしくなったかもしれない。


「可愛い…。そう…、私の尚くんはこうするのが一番可愛いよ…」


 温かい唇の感触に触れて…、とても気持ちいい。

 俺は何をしにここに帰ってきたんだろう…? その疑問すら、もう思い出せないほど、監禁生活に少しずつ慣れていく俺だった。そう…。どんな扱いをされてもいいから、殺さないでほしかった。言うことをちゃんと聞くから…、殺さないでほしかったんだ…。


 毎日、毎日見るこの悪夢も…どうにかしたい。

 助けて、助けてよ…。俺には無理だった。何もできなかった…。


「変なこと…考えてないよね? 尚くん…」


 そして、花田さんは俺の心を読んでるような怖い話をする。


「うん…。何もしてない…。何も…」

「うん…。今日も好きって言ってくれない?」

「菜月のことが好き…」

「フフッ。嬉しい…、嬉しい…」

「へへ…、好きだよ。菜月…」

「うん…。私も! その気持ちを忘れないでね…?」

「うん…」


 この生活はいつまで続くんだろう…? いつまで…。


「……ひひっ」


 指を絡める花田さんと、俺は今日も肌を合わせていた。

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