第70話 忘れたこと。−3
「お前のせいだ…!」
すぐ前から聞こえる女性の悲鳴…、そして背中から感じられるこの苦痛。
またあの夢を見ていた。
「……っ」
この気持ち悪い悪夢はどうして俺を苦しめるんだ…?
もしかして、この真っ白な人たちと周りの風景は俺が思い出せない何かっていうこと? 俺の心が不安になるたびに、こんな夢を見ているような気がした。どうしたら思い出せるんだ…? 俺も知りたい…。でも、俺の話に沈黙する花田さんと答えない白川だった。
土曜日の朝、目が覚めた俺はなぜか涙を流していた。
「……何、一体」
「尚くん? なんで泣いているの?」
「えっ…? 分からない…。悪い夢を見たかもしれない…」
すぐそばにいる花田さんが俺を抱きしめてくれた。
体が冷えたのか…? 俺の腹を触っている花田さんの手のひらがすごく熱い…。そして、冷や汗も流していた。そばから体を起こして俺の上に乗る花田さん、その黒い髪の毛が頬に落ちる。布団から出る彼女の白い肌と、紫色の下着がすぐ目の前にあって、彼女から目を逸らしてしまった。
「……大丈夫、私がそばにいる」
「うん…」
一人だけで十分、一人で生きてきたこの人生…。
その中に花田さんが入ってきた。真っ直ぐな瞳に俺の姿が映っている。そう、彼女はずっと俺だけを見ていた…。俺だけを、ずっと見ていた。そしてさりげなく唇を重ねる彼女は、静かなこの部屋で冷えた俺の体を温めてくれた。本当に綺麗な人…、エロくて…俺とは釣り合わない人。
「布団…ちゃんとかけてあげたのに、どうして体が冷えちゃったのかな…?」
「俺の寝癖が悪かったかも…」
「可愛い…、子供みたい…」
彼女にとって、この意味のない日常はそんなに大事なのか…?
「……」
またキスをする花田さんに頭が真っ白になってしまう…。
本当に馬鹿馬鹿しい…。
「上手くなったよね? キスするのが…」
「ほぼ…ま、毎日やってるから…。仕方ないだろ…」
「可愛い…、舌の動きがどんどんエロくなっちゃうのが感じられる」
「う、うるさい…!」
そして朝ご飯を食べながらテレビをつける。
部屋の雰囲気を和らげるためにはテレビが一番いい選択肢だったから、じっとしてニュースを見る俺だった。
「へえ…、怖いね」
「うん…」
「あっちは人が多いから、あんな事故も多いよね? 痴漢だったかな?」
「ううん…。どうかな…」
地下鉄事故のニュース。それはある人が刃物を持って、誰かを襲うとても危険な事件だった。みそ汁を飲みながら、そのニュースを見ていた俺は急に頭が痛くなるような感覚を感じる。わけ分からないこと。テレビに映る容疑者の姿から、俺は忘れていた何かを思い浮かべてしまった。
「……」
俺にもこれと似たような…、そんな事件があった…。
刃物…、刃物を持って俺を襲ったその事件。詳しいことまでは知らないけど、そこに俺がいたことを思い出したのだ。俺は夢で見たあの状況を無意識の中で…、ずっと覚えようとしたんだ…。忘れてはいけない何かを…、頭がモヤモヤしている…。
「どうしたの…? 尚くん?」
「いや…。な、なんでもない」
「こんな怖いニュースは見ない方がいい。こっち見て」
「……うん」
すると、頭をなでなでしてくれた花田さんが笑みを浮かべる。
「大丈夫、私と一緒にいれば…幸せになるからね?」
「うん」
もうちょっとで、それを思い出せるような気がした。
食後、ネットで調べてみよう。俺が中学生だった時に、きっと先の事件と似たような事件があったはずだから…。俺の勘だけど、多分…背中のこの痛みはあの時にできたかもしれない。
……
食後、外に行ってくるって話した花田さんが家を出る。
一人で残された俺はノートパソコンであの時の記事を調べてみた。3年前か、4年前か分からないけど、俺が中学生だった時の事件だから。「地下鉄」と「刃物」この二つのキーワードを入力して検索してみた。
すると、先のニュースと同じ事件が出てきた。
「これか…?」
〇〇駅刃物殺人未遂事件。
その記事にはモザイクをかけた女性の姿と容疑者に見える男性、そして黒い服を着ている男性を運ぶ救急隊員がいた。ほとんどの人にモザイクをかけてよく見えないけど、それは多分…俺が忘れた記憶。その景色…、夢で見たことがある。これだ。これが、俺の中に残っているトラウマみたいな記憶だった。
「地下鉄を待っている人ごみの中で…、ある男が突然刃物を取り出した…」
そう…、夢で見た姿と同じだ…。
「そして犯人はある女性に対して『悪魔だ!』と叫んでいた…。駅務員たちが犯人を阻止しようとしたけど、倒れている女性をすぐ殺せる距離にいる犯人に、駅務員は声をかけることしかできなかった…」
まさか…。
「……そして、人ごみの中から出てきたある中学生が刃物を振り下ろす犯人に背中を刺されてしまった。倒れている女性を守るために…」
どの学校なのか書いていないし、名前も書いてないから…。
この中学生が俺だと決めるには無理がある。
夢で見た時と同じ景色、背中に刺されたのも、この痛みを覚えているのも…。
どう見ても…。
「犯人はすぐ逮捕されたけど、犯人に刺された中学生は意識を失ってしまった…」
「……」
そして家に帰ってきた菜月が、後ろからこっそり尚の姿を見つめる。
「俺…、これは…俺なのか?」
「そうよ…。それが尚くん…、私を助けてくれた人…。私の王子様だよ…?」
「な、菜月…?」
後ろから聞こえる彼女の声にびっくりして、床にノートパソコンを落としてしまった。
「なんでそんなにびっくりするの? それは尚くんが知りたかったことでしょう?」
「……し、知っていた?」
「思い出せない方がいいと思って、ずっと黙っていただけだよ?」
「……そう?」
この中学生が俺だったんだ…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます