第61話 惹かれる。−2

「わあ———! 楓先輩! こっちこっち…!」

「ちょ、ちょっと! 葵ちゃん…、転ぶよ…!」

「おっ…!」


 急いで走る葵ちゃんが石に躓かないように、後ろから手首を掴んでしまった。

 白くて細いその手首にちゃんとご飯を食べてるのかと思うほど、葵ちゃんは痩せていた。男の保護本能をくすぐる理想的な女の子。それでも可愛く見えたから、さりげなく指を絡ませる葵ちゃんに顔を赤めていた。


 男とのスキンシップに抵抗感がないっていうか…。

 とても積極的な女の子…。


「前…」

「あっ…、ありがとうございます!」

「全く…」

「楓先輩は優しいですね…。私はいつもお母さんにだらしないって言われるから…」

「早く行きたいのは分かるけど、怪我するから注意しないとね?」

「は〜い! じゃあ…、こうしましょう!」

「なっ…!」


 何…? 恋人でもない男と何気なく腕を組む…?


「あっ、これはさすがにくっつきすぎですかね…?」

「いやっ…」

「はい?」


 いけない。いきなりくっつく葵ちゃんに変な感情を抱いてしまう。

 クッソ、こんなことを考えてはいけないのに…。俺と腕を組む時、葵ちゃんの柔らかい感触を感じてしまった。それは多分…、女子のそこだよな…。この距離感はなんだろう…。葵ちゃんは俺とこんなことをしてもいいのか…。いや…、もしかしてこれは合図…? 俺に送る合図ってこと…? 実はもっと親しくなりたいとか…。


「あっ、もしかして恥ずかしいですか? 女の子と腕を組むのが」

「いや…、せ、積極的だなと思って」

「だって、今日は先輩とデートしてるんでしょ? 今日は丸一日! 先輩の彼女になります!」

「なんだよ。それ…」

「こんな可愛い彼女、どーですか? ドキドキしますか?」

「うるさい…!」


 元々こんな性格だったのか…?

 楽しそうに俺をからかう葵ちゃんから、「好き」と言う感情しか感じられない。口に出したいその言葉を、ずっと我慢していた。彼女が尚のことをまだ忘れていないなら、この感情は邪魔になるから。お互い、幸せにならないと思っていた。


「カピバラちゃん可愛いな〜。先輩も動物好きですか?」

「うん。好きだよ」

「私、疲れた時とか…。憂鬱になった時はいつも動物園に行きます…」

「そう? 葵ちゃんもたまに憂鬱になるんだ…」

「今はけっこうポジティブでしょう?」

「うん」

「動物を見るとすぐ癒されます…。でも、それはここに来た時だけ…」


 先まで笑っていた葵ちゃんがこっちを見つめる。


「毎日動物園に行ける人はほとんどないから…。普段はちょっと暗いかもしれません」

「そうか…? だから、先にメッセージを…?」

「はい! 私L○NEやってないし…。学校の友達ともあんまり連絡しないから…」

「寂しくない?」

「だから、楓先輩を誘いました!」

「別に俺じゃなくても…、周りにいい人なかった? 女の友達とか…」


 雰囲気がいきなり悲しくなってしまう。


「今連絡できる人はお母さん以外に、先輩だけです」

「……あの時」

「はい。私、連絡先を交換するのもあんまり好きじゃないから…」

「ど、どうして俺なんだ…?」


 そう。それが聞きたかった…。

 俺が葵ちゃんに抱いているこの感情をどうしたらいいんだ…? どうして、俺にそんなことを教えてくれたんだ…? 二度目の出会いで尚のことが大好きって言ったはずなのに…。いきなり、こうなった理由を聞きたかった。


「知りたいですか…? どうして楓先輩にさりげなくスキンシップをして…、今こうやってデートまでしてるのかを…」

「うん。正直、この状況が嫌いとは言えない。でも、葵ちゃんは尚のことが好きだったから…。それが気になる」


 人出の多い時間帯。周りには笑顔で手を繋いでいるカップルたちが歩いていた。

 そして俺たちも普通のカップルみたいに、動物園の中を歩き回っていた。


「……葵ちゃん?」

「そうですね…。私、話したくなかったけど…。楓先輩が知りたがるから…」

「もしかして、尚と喧嘩でもした?」

「いいえ…」


 すると、いつの間にか人けのない場所まで来てしまった。


「私…。私、実はカラオケで出会った人に柏木先輩を取られてしまいました…」


 葵ちゃんは悲しい表情をして、俺にその話を話してくれた。


「今…、なんって…? と、取られた?」

「はい…。私は中学生だった時に、柏木先輩と会ったことがあります」

「えっ?」

「あの時の柏木先輩はとても優しい人でした。でも、私に告白したいって話したあの日…。突然、姿を消してしまいました…」

「じゃあ…、尚は? 今の尚は?」

「私にも何があったのか分かりません。でも、今の先輩は前のことを思い出せないようで…」

「記憶にないってこと…?」

「はい…」


 それを聞いて、びっくりした。

 ずっと好きだった人がそばにいるのに、一緒に過ごした時間を思い出せないってことか。それはさすがにつらいよな…。だから、「大好き」って言ったのか、尚に…。


「ごめん…。嫌なことを聞いて…」

「いいえ…。私がデートに誘ったから、これくらい平気です。もう慣れました」

「そっか…。尚のことが好きなのに、それは悲しい話だ…」

「へへ…」

「ごめん…。葵ちゃん、俺は葵ちゃんに恋愛感情を抱いていた…」


 そんな人に俺が勝てるわけないだろ…。

 相手は、尚は「思い出」の人だ。

 こんな俺じゃ、尚に勝てない…。だから、諦めることにした。


「……」


 最初から葵ちゃんのそばに、俺の居場所などなかった。


「はい…?」

「俺は一緒に映画を見たあの日から…、今まで葵ちゃんに好きという感情を抱いていた」

「……」

「積極的で、俺が今まで会ったことがないタイプの女の子だったから…。少しは焦っていたかもしれない」

「何を…? 言ってるんですか?」

「俺は…、もしかして尚の代わりだったのかな?」

「……先輩」

「葵ちゃんは、尚を忘れるためにこんなことを…?」


 正直、それしか思い出せなかった…。


「ごめん…。今日は早く帰りたい…」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 そのまま帰るつもりだった…。そう、いきなりそんなことをする女の子はいないから…。その行為には必ず理由があると思っていた。

 実は告白がしたかったのに、葵ちゃんと仲が悪くなってしまった…。


「待ってください…! 行かないで…」


 後ろから俺を抱きしめる葵ちゃんが涙声で話した。


「行かないで…、一人にしないで…。楓先輩、お願いだから私を一人にしないで…」

「……どうして…」

「楓先輩の優しい笑顔が好きだから、いくら柏木先輩に好きって言っても…。もうあの時の先輩には戻って来ない…」

「……」

「もう限界です。今すぐ崩れそうな私の心を支えてください…。一人にしないで…」


 俺は…、何を話してあげたらよかったんだろう…?

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