第56話 彼女との短いデート。

 今から花田さんと水族館デート…、だからこんなにオシャレをしたのか。

 白いブラウスに黒いスカートをはいただけで、周りの男たちをすぐ落とせるような雰囲気を出していた。そして服はともかく、今日はいつもと違って濃いメイクをする花田さんだった。なんかセクシーな雰囲気がするけど、花田さんに何かあったのか。


 女心はよく分からない…。


「着いたよ?」

「あっ、うん!」

「尚くん」

「うん?」


 そう言ってから手を伸ばす花田さんが、俺の髪の毛を触っていた。


「な、何…?」

「髪に埃がついたよ?」

「あ、ありがとう…」


 近いこの距離から、香水の香りが感じられる。


 一体どうしたんだ…?

 普段とは違って、今日の花田さんは今まで見たこともない姿をしていた。そのまま頭をなでていた彼女の手が、俺の首筋を触る。さりげなく彼女と目を合わせていたけど、何を考えているのかよく分からなかった…。


 その赤い瞳に、顔を赤めるだけ…。


「その服、私が買ってあげた服だよね…?」

「うん…! な、菜月がこの前に買ってくれたから…」

「似合う…。また買ってあげるからね? 私、尚くんがカッコよくなるのが好き…」

「うん…! ありがとう!」


 花田さんがうちに来てから、俺の物はほとんど残っていなかった。

 自分がもっといいのを買ってあげるから、そんなの捨ててもいいって…。部屋にある俺の私服とか、生活用品など…ほとんどは花田さんが買ってくれた高い物だった。そして、彼女は新しい制服とともに今着ている私服をプレゼントしてくれた。


 正直、こんなのもらいたくなかった…。負担になるから。

 俺に使ったお金がどれくらいなのかすら分からないほど、高くていいものばっかり買ってくれる花田さんだった。俺がいつも負担になるって言ってるけど、花田さんがやりたいことを止める方法はなかった。


「カッコいい…」

「菜月も、今日すごく綺麗だから…」

「うん…」


 ……


 そばにくっつく花田さんと、水族館に入る。

 俺は一度もこんな場所に来たことがない…。彼女と水族館なんて、そもそも小説の主人公たちが行く特別な場所だと思っていたから…、俺とは関係ないことだった。でも花田さんと実際来てみたら、意外とすごい場所だったのが分かった。絵と文字で見た世界とは違って、この広い水槽にいろんな魚たちが入っている。それがとても綺麗だった。


「どう…? 綺麗でしょう?」

「うん…」


 こっそり手を繋ぐ花田さんと指を絡ませて、じっと魚たちを見つめていた。

 そして薄暗い水族館の中…、俺たちは人けのないところで静かな時間を過ごしている。花田さんと腕を組んでいた俺は、そばから彼女の横顔をちらっと見ていた。あの時の顔、花田さんがあんな表情をしたのが少し気になる…。


「ここ…、人が少ないね?」


 すると、俺に気づいた花田さんが声をかける。


「うん…」

「ねえ、尚くんはどんな魚が好き?」

「魚…。種類には詳しくないけど、先見たクマノミかな…?」

「へえ…、そうなんだ…」

「菜月の好きな魚は何?」

「私は…、魚っていうより…。水槽の方がもっと好きかも…?」

「水槽?」

「うん。水槽の中では、何をしても全部見えるからね。見ている人に何も隠せない」

「……」

「そして水槽の中から魚たちは逃げられない。死ぬ時まで…ずっとそこで生きるんだから、とても魅力的な物だよ…」

「うん…」

「だから、それが好きなの…。何も隠せないのが、ありのまま…その姿を私に見せてね。尚くん…」


 それは水槽のことではなく、俺に話したいことだったのか…。

 さりげなく俺の首筋を噛む花田さんに、恥ずかしい声を漏らしてしまった。


「尚くんのエッチ…、人の多い場所でそんな声を出すの…?」

「……菜月が先に…」


 微笑む彼女、そして二人は手を繋いだままキスをした。

 今日は何回もキスをしたはずなのに、花田さんはそれでも足りないと感じているのか…。この唇を重ねる行為は、花田さんにとってどんな意味だろう…? そして唇を離すと真っ赤になっている彼女の顔と、その笑顔が見られる。


「尚くん…、好きだよ」


 キスの後には、俺の心を確かめるような言葉を言い出す。


「……」


 その返事が遅くなると、すぐ怒る花田さんだった。


「うん? ご、ごめん…。好きだよ…」

「へへ…」

「そろそろ家に帰らないとね?」

「今何時?」

「7時半、水族館は確かに8時までだったよね?」

「うん…。そろそろ行こうかな?」


 短いデートだったけど、花田さんが満足したらそれでいいと思っていた。

 少しテンションが上がった花田さんと車に乗って、俺たちは家に向かう。


「魚〜。可愛かったよね?」

「うん。誘ってくれてありがとう」

「フフフッ」


 そのまま家に帰ると思ったけど、少し違う周りの景色に気づいてしまった。

 こっちは家の方向じゃない…。


「あれ? ここは左折…」

「うん? 何が?」

「菜月、今どこに行く…?」

「今日は家に帰りたくない気分だから…。ホテル」

「えっ? そんなに遠くないのに、どうしてホテル?」

「尚くんともっといい雰囲気の部屋で寝たいから?」

「そ、そう…? 菜月がそうしたいなら…」


 家からどんどん遠くなる場所に俺を連れて行く花田さん。

 家に帰りたい気分じゃないってことは、やはり白川とあったことがまだ気になるって話だよな…。そして、花田さんが俺をホテルに連れて行くのは「やりたい」って意味も含めている…。今日は優しくしてほしいけど、気分が悪い時の花田さんは噛むのが好きだから、こっそり心の準備をしていた。


「着いたよ。今日はここで泊まるの」

「うん」

「一番いいスイートルームで、二人っきりの時間を過ごしたい」

「うん…」


 付き合ってから初めて、花田さんとホテルに入る俺だった。

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