第54話 陰から…。−4

 二人きりのルームには曲が流れていたけど、楓も俺も歌わずじっとしていた。

 花田さんと白川が席を外している今…、俺は後で責められるかもしれない可能性にすごく怯えていた。周りに友達と呼べる人は楓しかいないから…、白川みたいな人がくっついてくるのが苦手だった…。はっきり言うの苦手っていうか、あんなにしつこく付き纏う人も初めてだったから、距離を置くのが難しい。


「あのさ、尚」

「うん」

「葵ちゃんって…、なんか可愛くない…?」

「お前の口からそんな言葉も出るんだ…?」


 ずっと、現実の女子には興味ないって…。

 仮想世界のヒロインに憧れていた楓が、初めて現実世界の女子に興味を持った。


「なんか…、ピンとくるような気がした」

「ピンとくる…、か……」

「お前さ…、葵ちゃんに興味あるのか?」

「だから、彼女いるって…」

「じゃあ…、俺…連絡先でも聞いてみようか…」

「本気で言ってるのか…? お前が…?」

「なんか…、葵ちゃんのことが気になる」


 いきなり恋愛相談みたいな雰囲気になってしまった俺たちのルーム。

 ぼーっとして楓の方を見つめると、それは本気で悩んでいる姿だった。今日で3回くらい会ったよな…? それで「好き」という感情を抱くのもすごいことだと思う。あるいは、俺が知らない白川の魅力でも見つけたのか…? こいつが単刀直入で話すのは本当に珍しいことだった。


「よっし…! 決めた…!」

「な、何を…?」

「俺! 葵ちゃんに聞いてみる…!」

「陽キャラの発想はいつ見ても素晴らしい…」


 で…、俺は今からどうすればいいんだろう…?

 他の女と一緒にいるのは花田さんが一番嫌がることだから…。また罰を受けるようなことをやらかしてしまった。断ってもついてくる白川に、俺が距離を置くようなことを言い出してもそれを全然聞いてくれなかった。納得しようとしなかった…。


 むしろ、楓と約束した場所までついてくるとはな…。


「じゃあ、この後…尚は彼女と一緒に帰るんだよな?」

「多分、そうなるかもしれない」

「じゃあ…、葵ちゃんのことは俺が駅まで送ってやるから…!」

「あ…、うん」


 そして白川と話を終わらせた花田さんが、俺たちのルームに戻ってきた。


「そろそろ、帰ろう? 尚くん…」

「あっ、話は…? もう終わった?」

「うん! 久しぶりだから、いろいろ話したよ!」

「そ、そう?」

「行こう!」


 二人を後にして、さりげなく手を繋ぐ花田さんとカラオケを出てしまった。

 なんか嫌な予感がする…。今は話をかけてもいいタイミングなのか…? ちらっと花田さんの横顔を見た時、俺はいつもと同じ顔をしている彼女に気づいた。あの花田さんが白川と普通に話したってこと…? そんな雰囲気ではなさそうだったけど…。そして何も言わない花田さんは、そのまま俺を駐車場まで連れて行った。


「……」


 二人で歩いているこの道。

 そして、静寂の中にはヒールの音しか聞こえなかった。


「尚くん、どうして何も言わないの…?」

「えっ…? な、何を言えばいいのかよく分からなくて…」

「なんで…?」

「怒ってると思って…」

「そうなの…?」


 そう…。てっきり、花田さんが怒ってると思っていた。

 今までずっとそうやってきたから…。俺が他の女と一緒にいるのを嫌がって、花田さんはいつも俺の体に「お仕置き」という自分なりの罰を与えた。だから彼女の話にはちゃんと従えたかったのに…、なぜか見えない足枷を引きずっているような気がした。


 俺の中にある恐怖が、それを邪魔している。


「尚くん…? まだ時間があるけど、どうする? 行きたい場所とかある?」

「行きたい場所…」

「ないなら、私と水族館行かない?」

「水族館…? 今から?」

「うん。まだ時間が遅くないからね…。どう?」

「いいと思う!」


 今からデートをするのか…。でも、珍しく花田さんは俺に怒らなかった。

 白川が彼女の知り合いだからか…? 今そんなことを聞くのも失礼だから…、そのまま花田さんの車に乗る俺だった。


「尚くん」

「うん」

「今日の私どう?」

「どうって?」

「私服姿! どうって聞いてるのよ!」

「あっ…! うん! 今日はめっちゃ綺麗…!」

「バカ…」


 静かな車の中で、花田さんが俺の胸ぐらを引っ張った。


「なんで、そんなに緊張してるの…? 私のことが怖い?」

「いや…、そんなことない…」

「普通にデートをするつもりだから、安心してね?」

「うん…」

「目閉じて…」

「うん…」


 その赤い唇に触れた時、俺は本当に安心していた。


「……っ」


 生ぬるい彼女の唇…、舌を絡める時の感触がとても気持ちよかった…。

 キスの後、顔を赤める花田さんが俺を見つめていた。その小さい人差し指で俺の唇を拭いてくれた彼女に、恥ずかしくてすぐ目を逸らしてしまった。顔も熱くて、口の中から花田さんの味が広がる…。


「フフッ。可愛いね…。尚くん、私のこと好き…?」

「うん…。好き、菜月のこと…好き」

「あっち向いて…」

「うん? なんで?」

「早く…」

「うん…」


 水族館に行く前に、真っ赤なキスマークをつける花田さんが満足した顔で俺を見つめていた。


「えっ…? ここにつけたら、他の人たちに見えるかもしれないよ…!」

「似合う。だって、見せびらかすためだから…」

「全く…」

「そろそろ行こう〜」

「うん…」


 そして出発する前に、俺は寂しそうな顔をしている花田さんに気づいてしまう。

 それはお母さんと別れる時と同じ顔…。いや、気のせいか…。

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