第41話 悪夢。

「その刃物を下ろせ…!」


 よく分からない場所…、そしてある男が誰かに声を上げていた。


「早く!」


 周りから見られるのは急いで逃げる人たちの姿と、誰かを止めようとしている人の姿だった。何が起きているのかすら分からなかった俺は、混んでいるその場所でじっとしていた。真っ白な姿をしている人たちは階段を上って、その下に残っている人たちは誰かと口喧嘩をしている。この状況は一体なんだろう…?


「それ以上は犯罪だ…!」

「うるさい…! お前らに俺の何が分かる!」

「落ち着いて…、落ち着いて…。会話をしよう」


 声の大きい男と、それを止めようとする人たちの声が聞こえた。

 一体、そこで何が起きてるんだろう…?


「この人は悪魔だ…。悪魔なんだ…! おい! 俺がやっているのは正しいことだから…、邪魔するな!」

「そこから一歩でも動いたら撃つぞ!」


 どんどん声を上げる人たち。


 そこには地面に倒れた人と、その人を脅かす声の大きい男がいた。

 見た目では凶器を持っているような気がするけど、白い姿しか見えない俺にはよく分からなかった。ただ、聞こえる声でその状況を判断するだけ。どうやら、何かの事件かもしれない…。犯人に見える人と、警察に見える人たち…その両側が向かい合っている状況だった。いわゆる、事件の現場…。


「俺はやっと逃げられた…。もう、これしかないんだ…。お前らは何も知らない! 俺はただ自由になりたかっただけだからな!」

「……ご、ごめんね。私は、ただ…〇〇くんが好きだったから…」

「変なことを言うな! それは…、それはぁぁぁぁぁ————!!」


 そして大声を出した男は、倒れている人に持っていた凶器を振り下ろした。


 クッ…!


 一瞬、物凄い苦痛が感じられて…。

 その夢みたいな空間が真っ黒になってしまった。


「あっ…!」


 それにびっくりして体を起こしてみると、先のが夢だったのことに気づく。

 それより、先のは一体…? なぜ、俺がその痛みを感じたのか分からない。そして何かに刺された感覚がまだ残っていた。冷や汗を流し…。体のあちこちからわけ分からない痛みが感じられて、すぐ自分の体を確認してみた。


「……」


 すると、体のあちこちに残っている赤い歯形に息が詰まってしまう。


「はあ…、はあ…。な、何これ…?」


 本当にこの状況が理解できなくて、しばらくぼーっとしていた。

 俺は確かに花田さんと二人で寝ていたはず…。でも、どうして花田さんはそばにないんだろう…? 体の傷がすごい…、もしかして花田さんがやったことなのか…?


「あれ…? 起きたの…?」


 後ろから聞こえる花田さんの声に鳥肌が立ってしまった。


「な、菜月…?」

「うん?」


 振り向こうとしたけど、いつの間にか俺の手首に手錠がかけられていた。


「なんで、手錠?」

「尚くんが逃げるかもしれないから…。心配になって…」

「そ、そっか…? ごめん…。し、心配かけちゃって」

「ううん…。もう寝よう…。尚くん…」

「いや…。ちょっと頭が痛くて…先に寝てもいいよ?」

「じゃあ、私は尚くんが寝る時までそばで待つ…!」

「い、いいよ…」


 裸の姿で俺にくっつく花田さん、その体がすごく冷えていた。

 どっか行ってきたのか…、それは今起きたばかりの様子じゃなかった…。手錠がかけられているから、余計なことは言えない。それでも、体に残っているこの歯形に対して花田さんに聞いてみたかった。それに、下半身に重い物が置いていたような気がする…。骨盤が痛いし…。一体、俺が寝ているうちに何があったんだ…?


「どうしたの? 尚くん…、もしかして眠れないの?」

「あっ…、うん。ちょっと…体が痛くて」

「体が痛い…? ううん…」


 俺の膝に乗る花田さんが、平手で体を触ってくれた。


「どうした…?」

「どこが痛いのかな…?」


 そして噛まれたところを触る花田さんに、俺は思わず「痛い」と言ってしまった。


「ここが痛いんだ?」

「そこ…。なんかか、噛まれたような…」

「うん…。そうだね。私が噛んじゃった…! へへ…」

「どうしてそんなことを…?」

「だって…、尚くんが好きだから…。そして好きな人を噛むのも好き…。こ、これは愛情表現だよ…!」

「それはやめてくれない…? あざもできたし、痛いから…」

「なんで…? 私はやりたいのに…。彼女がやりたいって言うのに、ダメなの? 尚くんは私の彼氏でしょ…?」


 体をくっつける花田さんが涙を流している。

 俺が悪いのか、今のは俺が悪かったのか…? 彼女が普通じゃないってことを知っているから、ここで何を話せばいいのか考えていた。すると、噛まれたところを舌で舐める花田さんが涙声で話した。


「ねえ…、なんで答えないの?」


 その平手で俺の頬を叩く花田さん。


「……」

「今、他の女を考えたんでしょう?」

「ち、違う…」

「じゃあ…、どうして私の話に答えないの? あの人…? バイト先で会った女の子かな…? あるいはその店長…? やっぱり尚くんを外に行かせるのは私のミスだった…。尚くんはずっと私のそばにいるべき…」

「ごめん…。そんな意味じゃないから…」

「尚くんはすぐ他の女とイチャイチャするから、それがダメなの…」


 そして後ろに隠していた何かを俺に見せてくれる花田さん。


「私は毎晩…毎晩…、尚くんのことを可愛がっているのに。私の尚くんは他の女と…あんなことやこんなことをする想像をしたよね? そうだよね?」


 寝る前までそんなにやってたのに、俺は寝ている時も花田さんとやってたのか…?

 何そのゴムの数は…。


 苦しい…。

 苦しい…。

 苦しい…。


「尚くん…!」

「……あっ…!!!」

「な、尚くん…? 大丈夫…? どうしたの?」

「……な、菜月?」


 あれ…? 朝…?

 そばから俺を起こしてくれた花田さんは、深刻な顔をしていた。裸のまま…、でも先まで花田さんが…。あれ…? なんだろう。まさか、夢の中でまた夢を見たってわけ…? 手錠も外されたし、体もそんなに痛くない…。


 あれ? それは夢だった…? 本当に…? そんなに生々しかったのに…。

 そうだ…! 体の傷!


 ベッドから起きて自分の体を確認して見たけど、その数多い歯形は跡形もなく消えてしまった。

 いや…、それは最初からなかったのか…?


「な、尚くん…! 彼女として尚くんが元気なのは嬉しいけど、朝からやるのは無理だから…」

「えっ…?」


 朝から元気になっているこいつに、顔を赤める花田さん。

 そして、俺はわけ分からないその夢に疑問を抱くだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る