第24話 木下さんの誘い。

 目が覚めた時、花田さんが当たり前のようにそばで寝ていた。

 昨日彼女に噛まれたところがまだ痛くて、体を起こすとそのピリピリする感覚が広がっていく…。犬に噛まれた時と同じ痛みを…、花田さん…怖いな。でも、俺だけ注意すれば…花田さんは何もしないから。昨日のことは俺が悪んだ…。そうだと思っていた。


「ううん…。朝なの?」

「起きました…?」

「ため口…」

「お、起きた…?」

「うん…。ちょっと寒いよね…?」


 だから、俺と寝る時はズボンを脱がない方がいいって言ったのに…。

 花田さんは付き合ってから、無防備な姿や乱れた姿をよく見せてくれる…。それが恥ずかしいから気をつけて欲しかったけど…、どうしてそんなに無防備なんだ…。朝からそんな姿を見ると、なぜか緊張してしまう…。


「尚くん…今日もバイト…?」

「うん…。この時期はお客様が多くて仕方がない」

「私は一人で何をすればいいの…? 予定もないし…、勉強はつまんないし…」

「友達と遊ばない?」

「うん…。少ないからね」


 俺に抱きつく彼女の頭を撫でて、朝食の準備をすることにした。


「……っ」


 その前に洗面所で噛まれたところを確認した俺は、赤紫色のあざができた首にびっくりしてしまう。これに死ななかったのが不思議だと思うほど…、俺はあざをじっとして見つめていた。まだ…、あの夜のことを忘れていない…。


「尚くん…」


 後ろから俺を抱きしめる花田さんに、またびっくりしてしまう。


「朝ご飯…」

「すぐ行くから…、ベッドで待ってて」

「くっつきたい…」

「うん…」


 そのまま朝食を食べて、俺はバイトに行く準備をした。

 ちょっと空気が重いような気がする…。


「今日は早く帰ってきてね…!」

「うん…。バイト終わったらすぐ帰るから…!」

「うん!」


 そう言ってからドアを閉じた。


 菜月「今日は早く帰って…」

 尚「うん…」


 俺が…、ちゃんと注意すればそれでいいんだろう…?


 ……


 ———カフェ。


「やっぱり…、首が痛いな…」


 オープンの前にゴミとか、食材とか…いろいろチェックしているけど…。

 絆創膏を貼ったところがまだ痛い…。


「……っ」


 首を回す時の痛みが気になるから、仕事に集中できなかった…。


「尚くん? どうした? 今日はちょっと動きが変だけど…?」

「なんっていうか…、べ、ベッドから落ちて…」

「その歳に…?」

「え…、疲れたみたいで…」

「ウッソ〜。尚くん、彼女とイチャイチャしたよね? いい歳だけど、ほどほどにしないと…」


 ある意味で…、ほどほどにして欲しかったんですけど…。


「……店長、昨日どれだけ疲れたのか知ってますよね…?」

「じゃあ、今日も頑張ってみようか!」

「はい…」


 今日もオープンからお客様がたくさん…。

 注文通り飲み物やデザートを作っていたら、すぐ午後5時になってしまった。今日は飲み物ばかり作ったような気がする。そろそろ新年だからみんな集まって何かを話してるけど、俺にはそんな余裕がなかった。それからグラスを洗ったり、果物を切ったりしていたら…いつの間にか日が暮れる時間になってしまった。


 もうちょっとで終わるから、最後まで頑張らないと…。


「疲れたぁ…」

「よっ、今日も頑張ったよ」

「店長…、か、体が痛いです」

「大袈裟…。あっ、お客様来たよ」

「はい…」

「また会えたね? 柏木くん」


 あれ…? この人は確かに…。


「は、はい…!」


 笑みを浮かべる木下さんが、俺に挨拶をしてくれた。


「き、木下さん…! こ、この前にはありがとうございました」

「いやいや…。いいよ。それくらい…」

「今日は一人ですか?」

「うん? あ…、そう! 一人だよ!」

「あっ、その前にご注文は…?」

「いちごパフェで!」

「はい!」


 ここに木下さんが来るなんて、珍しいな…。

 あの日、俺たちが行った約束の場所はここと真逆じゃなかったっけ…? 木下さんが注文したいちごパフェを作りながら、繁華街じゃなくてこっちに来た理由を考えてみた。そして高橋さんが言ってくれた「気をつけろ」を思い出してしまう…。


「はい。こちらいちごパフェでございます」

「ありがとう。柏木くん」

「では…、ごゆっくりどうぞ…」

「あのね!」


 すぐキッチンに戻ろうとした時、後ろから俺を呼ぶ木下さんの声が聞こえた。


「はい…?」

「ちょっと話があるけど…、いい?」

「ううん…。少しならできそうです」

「よかった」

「えっと…、話って…なんですか?」

「そうそう! 柏木くん、そろそろ新年だからね…? あの日、用事あるかな…と聞きたかったの」

「そうですか…? 新年の予定はまだ決まってないんですけど、多分花田さんと二人で過ごすかもしれません」


 俺に用事を聞く理由はなんだろう…? ちょっと怖いけど…。

 高橋さんから聞いた話が気になって、どうしてもあの嫌な予感を捨てるのができなかった。


「そうなんだ」

「はい…!」

「ねえ…、柏木くん。菜月にL○NEを送ったけど、丸一日返事が来ないからね…。何やってるのか知ってる?」

「そ、そうですか?」


 でも、昨日…俺のL○NEにはすぐ返事してくれたけど…?

 もしかして、花田さん…木下さんのことを避けてるのか…? んなわけないよな?


「えっと…。最近の花田さん…何かを準備してるような気がして、忙しそうに見えました」


 でも、俺は変な嘘をついてしまった。


「そう…? 私も新年は予定がないから…、二人と過ごしたかったのに…」

「彼氏は呼ばないですか?」

「えっ? 彼氏? あ…、仁とは別れたよ〜」


 そうですよね…。


「尚くん! ちょっと手伝って!」

「あっ、はい!」

「早く行ってみ!」

「はい。し、失礼します…」


 キッチンに戻る尚の後ろ姿を見て、エルはパフェを食べていた。


「ううん…。やっぱり、あれ欲しいな…。でも、菜月の物だから…」


 一人で呟くエルが、持っていたスプーンで尚を指す。


「でも、菜月から奪うのがもっと面白そう…」

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