第23話 花田さんの教育。−2

 花田さんのことを教えてくれるって…?

 またベッドの上であんなことをされるのか…、じっとして俺を見下ろす花田さんに顔が真っ赤になってしまった。


「尚くん、目閉じて」

「は、はい…」


 バイトから帰ってきて汗臭いはずなのに…、それでもいいのか? 花田さんは…。

 すると、首筋から涙が出るほどの痛みが感じられた。


「あっ…!! は、花田さん…っ…」


 右手で俺の口を塞ぐ彼女が、もっと強く俺の首筋を噛んでいた。

 いきなり噛まれた俺は、花田さんの体を抱きしめたまま涙を流してしまう。もしかして花田さんを怒らせてしまったのか、じゃないとこんなことをするわけないはず。全身に広がるその痛みに、すぐ「すみません」って声が出てしまった。


「……」


 ぼとぼと…。

 噛まれた首には血が出ていて、すぐ口を離した花田さんから俺の血が落ちていた。


「はあ…、はあ…」


 薄暗い部屋の中で、花田さんの姿が見えていた。


「……はな…ださん…」


 真っ赤な瞳が輝いて…、その口には俺の血がついていた。

 あごを伝って落ちる血に…、俺は何もできず…花田さんのことをじっと見つめていた。怖くて、怖くて…、それでも我慢するだけだった。


「どう…? この痛み覚えた?」

「……」

「泣かないで…」


 親指で俺の涙を拭いてくれる彼女は、微笑んでいた。

 指先についている涙を舐めてから、頬を伝う涙まで舐める花田さん…。俺が知っているその優しい姿は、いつの間にか恐怖に変わっていた…。指先が震えていて抗えないし、逃げたいのに…俺の上に乗っている花田さんのせいで体も動かなかった。


「尚くんの涙…、甘い味がする…」

「うっ…、痛い…です」

「痛いよね…? 私に逆らうからそうなるのよ…。でも、私…優しいから尚くんのこと毎回許してあげるんだよ?」

「はい…っ…」

「他の女ならどうなると思う…? 尚くんが今日私の前で見せてくれたあの姿は、彼女の胸に釘を打つ行為だったよ? 知ってるよね?」

「ご、ごめんなさい…。二度とそんなことしませんから…許してください」

「そうそう…、尚くんも立派な大人になるためにバイトをしてるよね…?」

「……」


 首を回すと、彼女に噛まれたところが痛くなって目を逸らすのもできない。


「返事は…?」

「はい…」

「泣いてる…? 尚くん」

「い、いいえ…。ちょっと痛くて…」

「だから、私を怒らせるようなことはしないで…? 私言ったでしょ? 独占欲が強いって…」


 噛まれたところを舐める彼女が俺の体を抱きしめてくれた。

 正直、噛まれた時にすごく怖くて花田さんから逃げようとした…。たまに見える彼女の冷たい目が気になっていたけど、直接噛まれると心が複雑になってしまう…。どうすればいいんだろう…。これが別れるほどの事態なのかすらよく分からなかった。


「何考えてる…?」

「いいえ…。花田さんに嫌な思いをさせちゃって…」

「そう? ……首、まだ痛い…?」

「はい…」

「ごめんね…。私、尚くんのこと好きなのに…尚くんが私から離れるのを想像すると怖くなっちゃって…」

「はい…」


 こっそり手を握る花田さんに、俺は何をしたらよかったのかな…。


「尚くんは私に従えばいいの…。そうしてくれるよね? 尚くん…?」

「はい…」

「約束だよ…」

「は、はい…」

「そして…、私! 尚くんにやってほしいのがある」

「はい…?」


 そばからぎゅっと抱きしめる花田さんが、小さい声で話してくれた。


「私のこと…、菜月って呼んでくれない…?」

「えっ…? ため口ですか…?」

「彼女だから…、下の名前で呼んでほしい…。ため口しても構わないから…」

「私…、年上の人をそんな風に呼んだことがないんで…」

「呼んで! 呼んで!」


 花田さんを菜月って呼ぶのか…。


「な、菜月…」

「キャー! 好き…、なんか尚くんカッコいい! 今日からずっと菜月って呼んでね!」

「でも、恥ずかしいから…やっぱり花田さんで…呼びます」

「嫌、菜月がいいの」

「……そうですか」

「先言ったよね? 私に従うって!」

「はい…」

「はいじゃなくて、うん!」

「うん…」


 家に帰ってきてほぼ30分、電気もつけずベッドでやられていた…。

 血が出るほど噛まれたのは初めてで…、花田さんに悪いことをしたのは俺だから当然なことか…。女子と付き合ったことがないからよく分からない。二次元の女子しか分からない俺に、現実の女子の心なんか分かるはずないよな…。


 でも、その目…。


「尚くん!」

「はい?」

「はいじゃないって…」

「あっ、うん…」

「夕飯作ろう…」

「うん…」

 

 まだ噛まれたところが痛いけど、花田さんと夕飯を作ることにした。

 そしてカレーに入れる人参を切る時、後ろから俺に抱きつく花田さんが何も言わずにじっとしていた。


「はな…、いや…。菜月…?」

「うん…」

「ど、どうした…?」

「尚くんに抱きつくのが好き…」

「うん…。ごめん…。今日、心配をかけて…」

「私も…、尚くんを噛んじゃって…ごめんね。私はただ…尚くんが他の女と一緒にいるのが嫌だったから…。私の心を分かってほしくて…」

「うん…。分かる」

「バイト…、やめなくてもいい。尚くんがやりたいなら続けて…」

「ありがとう…」


 俺は花田さんが、俺のことが好きだからそうしたと思っていた。

 彼女だからな…。


「首痛いよね…?」

「ううん…。が、我慢できるから…心配しないで」

「本当に…?」

「うん…。それより…花田さん…」

「あっ、また!」

「な、菜月!」

「うん!」

「包丁使ってるから、離れてくれないと危ないよ…?」

「嫌よ。このままじっとしたい…」

「うん…」


 今のことで花田さんの独占欲が強いのを…、分かってしまった。

 なるべく、女性には近づかない方ががいいと思うけど…曖昧なことだ。それより俺を噛む時のその目に、体が「危険」ってサインを送った…。そのぞっとして全身に鳥肌が立つ怖い感覚は、一体何…?


 またあんなことをしたら、次はどうなるのか…。

 考えるだけで、怖くなってしまう…。


 彼女ができるってことはこんな感じなのか…?

 花田さんが初めてだからよく分からない…。


「尚くん…好き。尚くんは?」

「うん…。菜月のことが好き…」

「へへ…」


 こうして見ると普通の女子にしか見えないから…、とても難しいことだった…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る