猜疑

『あいつも不死者の足元を堂々と突き進むとは思わないっしょ。呪体化を解除して匍匐前進で移動すればまず気付かれないっすわ』


 メルの予想は正しかった。ジェノが高所にいたことも有利に働いたが、動き回る白骨の群れの中から白を基調とした服装の人を見つけ出すのは難しいに決まっている。


 しかも居場所は足元で、リンは金髪を白のケープで隠していた。いると分かっていても発見は困難に違いない。


 リンの魔力が乏しいことも成功した理由の1つと言えた。呪体化したノアやジェノと比べれば海原と水溜まりくらいの差がある上に、洞窟内は両名の魔力が充満している。魔力を追ってリンの居場所を特定するなど砂漠から一粒の砂金を探すに等しい。


 一応はメルが操った不死者に刺される演技もしたし、棺桶袋から出したリンの普段着を骨に着させて横にした。


 傀儡の呪術は発動した者の魔力が枯渇するまで効果を継続するため、メルも準備を整えると真っ黒な魔法陣を破壊して大怪我をした演技に徹し、それに伴ってライルも魂魄暴走を装って暴れ出した。ただジェノを欺くために。


 無害とはいえ魔物の群れの中を無防備な姿で移動するのは甚だしく心臓に悪かったが、心労に見合うだけの結果を得られた。ジェノが魔術を放ってきた時はさすがに驚いたが。


 何であれリンは念願の目的地に辿り着いた。初見でも分かる。眼前の真っ黒な女神像が開門の儀式に不可欠な秘宝だ。


 模造堕天使。大量の黒い願意石プレイストーンと熾天石を呪術の力で混ぜ合わせ、呪術に精通した名工が天使の形に削ったものと言われている。


 身長はリンと大差ない。蹴りが届く距離まで近付き――不意に胸騒ぎがした。


 本当に良いのか。これを壊しても。


 そう思ったのはリンがジェノの思想に賛同しているからではない。違和感にも似た妙な感覚が背筋をさすっているからだ。


「……壊しても無意味なのかしら」


 メルは言っていた。ジェノの力はノアを勝る。ではなぜその強いジェノは邪魔な存在をいつまでも生かしているのか。義弟に情が移った可能性もあるが、開門の儀式が失敗に終わるような事態を見過ごしているのはおかしいし、ノアを倒せないにしても神殿まで来るのは容易いはずだ。


 もしかすると、リン達は何かを大きく勘違いしているのかもしれない。


 根拠もある。リンが知る範囲でジェノは嘘を吐いたことがない。リンに世辞を、アリスに冗談を言う場面こそ見たことあるが、幼少期の件であれ宝石塗れの件であれ話す時はすべて正直に話すというのがジェノだ。


 3日前の食堂で教会を擁護した時も、証拠がない、根拠がない、今は動くだけ無駄だと反論するのみで、教会は無実だ、とは一度として言わなかった。


 なので断言はできる。ジェノは嘘を吐かない。


 ただし隠し事は山ほどする。


 シヴァルトやラトの一件を始め、聖戦の真相や〈炎獅子フレイオン〉に頭を下げたこと。リンやライルの故郷を訪問したことや開門の儀式についても平然と黙っていた。


 そしてジェノは全く言っていない。これを壊せば儀式が止まるとは一言も。


 リンは情報を整理し、ふと脳裏に閃光が走った。


 ガルダに来ているはずのインテグラ達はどこにいるのか。マクニッシュ親子はともかく彼女の実力はジェノに近いと聞くし、他の儀式場で開門を行っているとも考えられる。ジェノは彼女について何も明言していないのだから。


 いや、そもそもだ。模造堕天使を破壊してしまったら後戻りできなくなるという可能性はないのだろうか。


 開門のみでなく閉門にも女神像が必要だとしたらどうする。良くても魔界の門が中途半端に開いたまま。悪いと後は自動的に全開となる。ということも視野に入れるべきではないのか。


 壊しても意味がないのなら。ジェノがリンの行動を阻止しないのも得心がいくが。


 分からない。なぜジェノは止めに来ないのだ。リンはさらに不審を抱いていく。


 あの距離からリンに鋭き月を放ったことも変だ。速いのみで範囲も狭く殺傷能力も低い魔術をなぜ使ったのか。


 さっきまでのノアは見るからに戦意を失っていた。その隙を衝いて地上に向かい、終の願いをリンに振るうべきだった。ジェノらしからぬ杜撰な対応と言える。


 なぜ。なぜ。なぜ。リンは同じ言葉を頭の中で繰り返す。


 とても女神像を壊す気になどなれない。

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