ノア

 交戦を始めて既に30分が経過していた。


 ノアはジェノの連続した攻撃をすべて払い除け、しかし意識は仲間の方に向けている。地上はすっかり骨だらけになっていた。


 不安で堪らない。想定外の出来事が起きすぎている。


 魂魄暴走を起こしたライルが狂ったように不死者を屠っていることもそうだが、リンとメルの状態が特に気掛かりだった。2人ともが地に伏せて骨の群れに踏み潰されているように見える。先程まで見当たった黒い魔法陣も消え、リンに至っては南原の覇者の魔力すら感じ取れなくなっていた。


「当てが外れたようだな」


 嘲笑しつつもジェノは攻撃を止めない。


「魔法を使えんメルヴィナなど生意気な小娘に過ぎん。何らかの呪術を発動するまでは良かったが、護衛の実力を買いかぶっていたようだな。リンのトロさは計算外だったらしい」


 ノアは強く歯噛みする。決定的な瞬間は見逃したものの、最初に倒れたのがリンだとは知っている。原因が油断なのか疲労なのかは分からない。とにかく傷を負ってしまったのだ。瞬間的な治癒を施せないこの状況下で。


 やがて護衛を失ったメルも不死者に囲まれ、彼女が地面に横たわったのと同時にライルの様子がおかしくなった。恐らくメルが発動した呪術で魂魄暴走をした罪深き鷹を操作していたからだろう。


「どうした。このままでは埒が明かんぞ。事態を打開したければ高位呪体化でも魂魄暴走でも好きに使うがいい。何せリフィスやアルトは意思を持った魂だからな。最大限に呪体化しても身体を乗っ取られんことを知らん訳ではあるまい。気兼ねなく全力を出せ」


 お断りだ。ノアは心中で舌打ちした。高位サード以上の呪体化を行えばジェノを殺してしまう確率が大幅に上昇し、またアルトの凄まじい邪気によって開門が早まる可能性も出てくる。


 特に後者はジェノが高位呪体化を行わない点から正しく思えた。リフィスの清い魔力が開門を妨げ、最悪の場合で閉門すると踏んでいるからこその中位呪体化なのだ。


 他にも問題点はある。第3の聖戦において勇者と魔王は魂魄暴走を起こしたと聞くが、決戦の場は1分足らずで焦土と化したらしい。


 ジェノはノアに応じて呪体化の度合いを強くするに決まっている。もし両者が高位呪体化に手を出せば洞窟は確実に崩れてしまうし、そうなれば開門は失敗に終わると思うが、仲間の安全を全く保証できない。すなわち中位セカンドのままで何とかするしかないのだ。


「お前は本当に優秀だな」


 不意にジェノが攻撃の手を止めた。リン達の方に一瞥すらせずノアに笑いかける。


「貴様も観念してはどうだ。先程も言ったが、降るのなら受け入れてやる。アルトの力も世界を統べるのに利用すべきだからな。妹も姉とは戦いたくないと思っているに違いないぞ?」


 ノアは頷かない。ただ問う。


「兄さんは本当に思ってるのか? 兄さんの独善的な考えで世界が救えるだなんて」


「お前の偽善的な考えと比べれば高確率のはずだ。我らが父上も同じ手段を執ったのだからな」


「僕は確率の話をしてるんじゃない。兄さんの案は人々の考えを無視した残酷なものだ。個人の思想や都合を押し付けても世界は絶対に良くならないってなんで分からないのさ」


「お前こそいい加減に分かれ。どれほど天に祈っても世界は平和にならんし、各国の王族を説くのも無意味でしかない。ゆえに今以上の呪いを以て世界を毒する以外に方法はないのだよ。貴様も呪術師の端くれなら分かるはずだ。私や父上の考えは決して間違ったものではない」


「……祈ってダメなら呪ってみるという考えは確かに間違ってないけどね」


 しかし正しくもない。でなければリンの母やライルの妻はなぜ不幸に遭ったのだ。


 だがノアは考えを口にしない。ジェノと対話しても平行線を描くのみだ。


 溜息も出ない。すべてはこの世界が呪われているせいだ。


 なぜ尊敬する人と争わなければならないのか。無自覚に父親を殺してしまった時にも思った。なんでこんなに絶望が世界に蔓延してるんだ。


 ノアは世界の呪いを解くために一人旅を始めた。やがて二人旅になったが、各地で知ったのはやはり不幸な出来事ばかりだった。


 今となっては世界を平和にする方法などないとすら思っている。時には父親の計画を阻止してしまったことを後悔もしている。完全な平和を得られないにしても今と比べたらマシだったかもしれない、と。


「父上が魔王となる道を選択した理由をお前は知っているか?」


 問いを契機にノアは伏しつつあった顔を上げた。ジェノが一転して兄の顔をしている。


「王族支配の世界を正して戦争のない世の中を作るため。兄さんと同じ理由じゃないのか」


「大司教だった父上が毎日のように世界平和を祈っていたのは真実だがな」


 一瞬だけ。遠い日を思い出すようにジェノが優しい顔を見せた。


「残念ながら切っ掛けは別にある。お前は長く屋敷に帰っておらんから知らんとは思うが、父上の研究室から当時の日記が見つかってな。理由が書いてあった」


「……なんて?」


「すまない。ジェノ。私はお前の母国を滅ぼさずにいられない」


「……父さんが聖戦の開始直後にシヴァルトを滅ぼしたのは知ってるけど」


 そこまで言ってノアは絶望した。


 なぜあの国を? と考え、真っ先に出た答えが最も納得のいく答えだったのだ。


「まさか。母さんはシヴァルトの王侯貴族に謀殺されたのか?」


「嬉しくないだろうが正解だと言っておく。父上と母上はシヴァルトの内紛を僅か一ヶ月で終結させたからな。各派閥の幹部が両名の力を恐れたのだよ。そして為政者や権力者は求心力を失わないためにも邪魔な存在を卑劣な手で葬ったという訳だ。無派閥の民を煽動し、速やかにな」


「……父さんが魔王になった切っ掛けは復讐だったってことか」


 ノアはとうとう項垂れてしまった。自分が何のために大好きな兄と争っているのか分からなくなってきた。


 本当に。本当に世界をこのままにしていいのだろうか。自分の立場や利益しか考えないような連中に守る価値なんてあるのだろうか。


 メルの魔力は感じる。ライルも動きを止めていない。リンの状態は不明だが、今すぐ投降してジェノと2人掛かりで治癒を施せば助かる可能性はある。


 どうせ自分1人ではジェノを止められそうにない。ここは潔く投降すべきなのでは――、


「バカな!」


 不意にジェノの掌から4条の光が放たれた。魔力の光線は神殿の階段の方に突き進み、


「……え? リン?」


 ノアは唖然と呟いた。倒れたはずの少女が不死者の群れの中にいる。ただし呪体化はしておらず、いつも着ていたケープで頭部を隠した格好だった。


 ジェノの鋭き月ルナーレイは幸運にも命中しなかったようで、素早くカンガルーに変身すると神殿に向かって大きく跳ねる。


「させないよ!」


 ノアはすかさずジェノに襲い掛かった。魔術の狙いを定めるようにジェノがリンに掌を向けていたのである。


 魔法剣の一撃は戦棍で弾かれたが、既に階段の近くまで進行していたのが功を奏した。ジェノの反応を見る限り、リンは神殿への侵入を無事に果たしたらしい。


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