魔王

 霊峰の全体を調べていては時間を食いすぎる。碌に手入れがされていないせいで草木は生え放題だし、道と呼べるような通路も全くと言ってない。


 どうする? と誰かが問いを投げる場面ではあるが、ノアの背を追ってガルダの中腹に着地したら目の前に怪しげな洞窟があった。洞穴の横幅は槍での戦闘が苦にならないほど広い。


「来たことがあるのか?」


 ライルが長剣を抜きながら問うた。


「ないよ。魔力を感じる方に来ただけ」


 言いつつノアは汎用袋から灯火石ライトストーンを取り出した。メルが呆れたように、


「よく特定できたわねん。あたしは強い魔力を感じ取りすぎたせいで感覚がボケまくり。てか灯りが欲しいなら先に言いんさい。いくらでも創ってあげるっての」


「念のためだよ。移動中はともかく戦闘に入ったらメルと離れることもあるし、僕の予想が正しければガルダの中で魔法や魔術は使えない。灯りは各々で管理すべきだ」


「……冗談でしょ?」


「飛行を解除せずに付いてくるといいよ」


 言うが早いかノアは洞穴に向かって駆けだした。リンも半信半疑に思いながらライルと共に後を追う。


 一応は2人ともが足を止めずに汎用袋から灯火石を取り出して、


「ぐぎゃっ」


 後方で醜い声がした。ちっとも女の子らしい悲鳴ではないが、メルのものに違いない。ノアが足を止めたのでリンとライルも駆け足で近付いてくる少女を待った。


「予想が的中したね。これは公平な領域フィールドオブリアリストという魔王の古城にも張ってあった結界さ。魔法の要素が強い大昔の呪術でね。一定以上の魔力を持たないと魔術も満足に使えない。灯火石の光が消えない点から分かると思うけど、呪術の使用に関しては何の制限もないよ」


 ノアの説明にメルは納得していない様子だ。衣服に付いた砂を払って、


「このあたしの魔力が少ないってわけ?」


「無色の御霊だと高位呪体化をしないと無理かな。アルトでも中位セカンドでギリギリらしいし」


 ノアは灯火石をメルに手渡し、汎用袋から発光した別の石を取り出すと再び走り始める。


 道の分岐は多いが、ノアの足に迷いはない。さながら磁力に引かれるように。


「魔物が1匹も見当たらねえな」


 短い階段を降っている最中にライルが呟いた。確かに魔物の気配を感じない。


「いなくて当然だよ。魔界の門の場所と開門の儀式を行う場所は一致しない。そうしないと魔界から訪れた魔物に開門の実行者が襲われちゃうからね」


「……意味が分からん。俺達は魔王の魔力を追跡して走ってるんだよな? だったら向かってる先は魔界の門がある場所だろ? お前さんの言い方だと目的地が儀式場みたいだぜ?」


「着いたよ」


 ノアは問いに答えず、通路の先に視線を投じた。


 明るい。奥の空間から薄弱な光が漏れている。実際に着いてみると数千という灯火石が壁という壁に埋められていることが分かった。


 だだっ広い。目的地の空間は竜のカップルがダンスを踊れそうなほど広大だ。通ってきた道以外にも通路の入口はそこら中に見当たり、奥の方に古代の神殿らしき見慣れない建造物がある。神殿に外壁はないが、30程度の階段の上にあるせいで何を奉っているかは分からない。


 ノアを先頭に進み、神殿との距離を半分ほど縮めたところでリンは気付いた。神殿の前に人影がある。服装が白の法衣だと分かった途端にリンは項垂れてしまった。


 階段まではまだまだ遠い。しかし全員の足が同時に止まった。


 誰も口を開かないが、誰もが理解したのだろう。


 ゆっくりと階段を降ってくる神々しい人物の正体を。


 背に翼。頭上に輪っか。物語に出てくる天使のようだ。


「遅かったな」


 一束に結った長い銀髪を揺らしながら彼は言った。階段を降りきっても足を止めず、互いの表情が見える位置まで近付いてくる。


 左手に伝説の戦棍。右の人差し指に飾り気のない銀の指輪。見間違えようもない。


「……なんで。なんであんたがここにいんのよ!」


 メルの声色には憤怒すら混じっていた。


「貴様にしては戯けた問いだな。見ての通りだ。ここの管理者は私なのだよ」


 嘲弄するように言った。天使の姿をした、ジェノ・ハミルトン大司教が。


「ふざけんなよ。あんたほどの男がこうもバカバカしいことに手を出すはずがねえ」


「ライル・オーデン。それは貴様の買い被りでしかない。教会の謀にいち早く気付いた貴様ならば既に理解しているはずだ。私は貴様らの仲間などではない。相対すべき敵なのだと」


「……くそったれが! あんたもアリスもずっと俺達を欺いてたってのか!」


「ずっとじゃない」


 ライルとメルが鋭利な視線を瞬時に向けた。否定したリンに。


「多分ね。ジェノが真相を知ったのは食堂で昔話を披露した後くらいなのよ。急に私やライルの故郷に行ったのも、教会の企みを知って私達の弱点を気に掛けたからじゃないの?」


「他の理由もあるがな」


 あっさりと肯定をしたジェノに、分かってる、とリンは即答した。


「アリスにヒントを貰ったわ。教会は今回の勇者を私にしようとしてたのよね」


 青呪術師の肩書きと聖女の二つ名を持ったリンは魔王と戦うに相応しく、また緊急時の対処もノアと比べて随分と容易い。


 何せリンは他の青呪術師と違って雑魚とも呼べる存在だ。ライルほどの実力者を2人も雇えば簡単に口封じもでき、母親を上手く利用すれば操り人形としても使える。勇者の離反という大失態を繰り返す恐れもないため最適と言える人材だ。


「ジェノは私の身代わりになったの?」


「違ってはいないが、正しいとも言いかねる。アリスは何と言ったのだ」


「例え話をされただけよ。だから聞いた時は何とも思わなかった。でもずっと違和感があったのよね。何かがおかしかった。ノアも気付いてたでしょ?」


 ノアはアリスの宿泊室でそれらしい独白をしていた。リンの問いにも素直に頷く。


「アリスさんらしくなかった。発言のすべてに説得力があってさ。実際に彼女は頭の回転が速いし、尤もらしい意見が多くても不自然じゃない。だけど兄さんはよく言ってたよね。アリスの発言は十に九が冗談だって」


 その通りだ。アリスはイグノの緊迫した空気の中でも冗談を連発していた。なのに先日は教会を弁護するジェノに正論で肩入れし、今日も理屈の通ったことしか言っていない。


 特に先日の夕食時は変だった。ライルが話しているのに不作法にもジェノが食事を始めた時のことだ。アリスも挑発的な行為に付き合っていたが、あれは彼女なりのメッセージだったのかもしれない。今は上司の命令に従って接している。そうしないといけない状況だと。


「アリスが指輪を右の人差し指に填めてたのはそのせいだったんだ。嫌がってたわけね。指輪に頼らないと意志を貫けないと考えるくらいに」


 歯噛みするメルにもジェノの態度は変わらない。睥睨の眼差しを向けている。


「で? 教会に付いてどうするわけ?」


「これはまた戯けたことを抜かしてくれる。私は教会の尖兵になったつもりなど毛頭ないが?」


 水を打ったように静まり返った。


 ただしリンは不可解さを理由に黙ったのではない。一縷の望みとも形容すべき希望の芽が出てきたからだ。


「教会が密かに開門の儀式を行っていたのは事実だ。度重なる不死者の出現も門から流れ出た邪気が原因と考えられるため、此度の件はすべて教会の罪だと断言してもよい。だが私は擬似的な聖戦に関心など持っていないのだよ。ここの責任者が私という点に違いはないがな」


 嬉しい。涙が出る。リンの祈りが天に届いたのだ。ジェノの目的は分かっている。


「この強大な魔力は一般人でも感じ取れるわ。昨晩に第6の魔王が現れたって。日が昇ればそこら中で噂するに決まってる。ジェノの狙いはそれなのよね。今回もノアが倒したって噂を流すために魔王役を買って出たのよね。これが最良の行動――」


「私は魔界の門を完全に開くつもりだ」


 ジェノの冷徹な宣言がリンの希望を容赦なく摘み取った。


「私は言ったはずだぞ。貴様らの仲間ではない。相対すべき敵だと」


 何も言えなくなったリンに代わってジェノが言葉を紡いでいく。


「この世は愚かな王族が多すぎる。奴らは格上の存在がいないとすぐに頂点を目指し始め、その身勝手な考えが戦争を引き起こすのだ。ゆえに私が上に立つのだよ。人々を不幸にする愚者どもを粛正し、この世界を正しく導いてみせる。前回の魔王のように魔物を上手く利用してな」


 リンは崩れ落ちた。眼前の天使が何を言っているのか理解できない。


 これは悪い夢に決まっている。でなければジェノに化けた悪魔が呪詛を吐いているとしか思えない。


「天の使いの大司教様が神を気取るってか? 笑えねえな。俺は魔王が統治する世界なんぞに住みたくねえ。とっとと前言を撤回しやがれ」


 ライルは唾と共に吐き捨てるように言った。


「魔王? この私がか?」


 面白いことを聞いたとばかりにジェノは哄笑した。無知な者を嘲るように、


「いい機会だ。歴史の誤認を1つ解消してやる。世間では父上の仇を討つために私やノアが魔王に挑戦したと言われているが、あんなものは教会が作ったでたらめでしかない。何せ我々が魔王の古城に侵入した時、父上はまだ生きておられたからな」


「……嘘を吐け。前大司教はノアが魔王を倒す2年以上も前に攻め入ったはずだ。まさかずっと監禁されてたとでも言うのか?」


「言わんが、嘘でもない。我々がリフィスやアルトの魂を獲得したのは魔王の古城でな。父上が亡くなる寸前に授けられたのだよ」


 ジェノは薄ら笑いを浮かべてノアを見た。相手の方は無表情だ。


「博識なメルヴィナなら耳にしたこともあるはずだ。双子の熾天使の話を」


「……それがどうかした?」


「姉妹の名を知っているか? 姉は慈愛の翼リフィスマーチと言い、妹は献身の翼アルトメイアと言うのだがな」


 メルは絶句するのみで返事をしない。ジェノが浮かべた笑みを強くする。


「知っての通り。献身の翼は悪名高き第3の魔王の源だ。魔王の代名詞とも囁かれる邪悪な魂だな。そして問題は第5の魔王もその邪悪な魂を宿していたことにある」


 ジェノの視線が一転して冷気を帯びた。


 冷徹に。射抜くように義理の弟を睨め付ける。


「第5の魔王の名はアレックス・ハミルトン。そいつは父親から闇の力を引き継いだ第6の魔王という訳だ」

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