開門

「……推理が外れてたのかもな」


 ライルは煙草も吹かさずに薄暗い窓際で呟いた。場所はアリスの宿泊室。ジェノ以外の仲間が勢揃いし、全員が決まって疲れ切った様相を見せていた。


 ベッドに腰掛けているリンも、天井付近で浮いているメルも、ドアの入口に背を預けているノアも、球電の精ウィルオウィスプに跨っているアリスもだ。ジェノが出立して2日しか経っていないのに。


 その僅かな間に不死者の襲撃が20件以上もあった。


 教会が幅を利かせるカロッカやバリケシルも大量の骸骨に襲われ、ガルダ周辺の集落で無害だったのは2箇所しかない。ジェノの高度な結界を有するイグノとリン達が拠点にしているアンクトのみだ。


 しかもどの集落でも願意石は1つも見つかっていない。現場をノアやメルが調べても不死者発生の理由は判明せず、ただ黙々と退治し続けるしか選択肢がなかった。


 そして皮肉にも、リン達が各集落の支援に行けたのはクラークのお陰だった。


 司教の指示で聖騎士団がアンクトの守備を担ったからである。クライブが率いた小隊もバイパなどで活躍し、今では不仲だった西区と東区が手を取り合う状態だ。


 無論、リン達も助力を惜しまないでいる。夜が更けるまで作戦会議を開いていたのはそれが理由だ。強い疲労感のせいで仲間の口数はかなり少ないが。


 その沈黙を破ったライルを無視するのはいかがなものか。リンは背筋を伸ばして、


「でも教会以外に三千もの願意石を用意できるのかしら」


「三千ではないでしょう」


 アリスがいち早くリンに噛み付いた。


「大司教は仰っていました。9割は黒い願意石で1割は呪言玉アンホーリーだったと。よって誰かが撒いたと断言できるのは1割の三百のみ。他は自然発生した可能性もあります」


「……願意石の発生は多くても3つだろ」


 ライルが気怠げに口を挟むが、


「はい。前代未聞ですね」


「分かってるなら有り得ねえ話をすんな」


「有り得ないのではなく前代未聞です。わたくしは有り得る話をしているのですよ」


 アリスはリンに顔を向け、


「リネットは初めてノア様の噂を聞いた時に『魔法など有り得ない』と思いませんでした?」


「……思ったけれど」


「ですが実際は存在しますし、ノア様のみならずメルヴィナや大司教も魔法を習得していますよね。これが前代未聞というものです。単に情報が広がっていないだけなのですよ」


 アリスが意地でも張ったかのように語気を荒げた。苛立っている理由は不明だが、アリスは一昨日からずっとこの調子だ。


 リンとライルは降参とばかりに両手を挙げた。極論とはいえアリスの意見も一理はある。他国の歴史書を読み漁れば類似の事例が1つくらいは見つかるかもしれない。


 と思ったところで不意に違和感が襲ってきた。


 リンは小首を傾げる。3日前と同じだ。今の会話のどこかがおかしく思える。


 何かと平地に波乱を起こしたがるメルが黙っているせいではない。昼間の戦闘で疲れたのだろう。空中で丸まったメルの目は閉じている。


 リンも休みたいところだが――全員が同時に窓際を向いた。


「……何よこれ」


 眠っていたはずのメルが呟いた。


 起きるのも無理はない。ノアでさえ茫然自失の状態で、アリスすらも両目を開けた顔に絶望を塗りたくっている。それだけのことが発生したのだ。


 魔力だ。暴力的なまでに膨大で力強い波動をガルダの方角から感じる。


 桁違いだった。こんなに離れた場所なのに呪体化なしでもハッキリと感じ取れる。


「気のせい? これは前にも……あっ! 魔王だ! 魔王の魔力に似てんのよ!」


 窓際に密集していた視線が一転してメルに集まった。


「あたしの実家はフェイン北西部ってかソレイユにあってね。魔王の古城から目と鼻の先だったんよ。だからよく憶えてる。ちょっと弱いってか薄いってか、微妙に違う感じもすんだけど、とにかく第5の魔王の魔力に似てんの!」


 リンは視点をノアにずらす。魔王と対峙した経験を持つ勇者の意見が気になったからだ。


 しかしノアはリンの催促に応じない。ただ無言でアリスの右手を見つめていた。


「……僕はバカだな。今頃になって違和感の正体に気付いても遅いのに」


 ノアは独り言のように呟くと再び窓の向こうに視線を投げる。深い哀しみに彩られた表情はさながら親に見捨てられた子供のようだった。


 ふと窓の外から大声が聞こえた。とうとうアンクトにも不死者が発生したらしい。早く聖堂に逃げ込め! という悲鳴のような指示が寂寞とした夜空に響き渡った。


「やられた。ライルの推理は当たってたんよ。イグノの願意石もやっぱ教会が用意したもので、ただし目的はイグノを教会の傘下に入れるためでも、教会の人気を上げるためでもない。不死者が現れる原因を願意石だと思い込ませるためだったんよ。だからライルがいると分かっててもイグノの計画を実行したわけ。本命である魔界の門を開こうとしてることを隠すために」


 ノアの変化にも気付かない様子でメルが推論を語っていく。ライルも話を拾い、


「だが何のためにだ? 第6の魔王をこのタイミングで呼び出しても教会側に倒せる人材がいねえぞ。ノアが倒したら無意味だし、ジェノは王都にいるし、インテグラや聖騎士団には荷が重すぎる。魔力の強さを鑑みるともはや八百長でもねえしな」


「予め門の入口に弱体化や緊縛の結界を施しとけばインテグラやクライブでも勝てるんかも。魔王に効く伝説級の武具を用意した上に魂魄暴走を起こさせれば勝率も高まると思うし」


 2人の論議は続くが、ノアの関心は別の場所にあるようだった。


「アリスさん。悪いけどアンクトを任せてもいいかな?」


「構いませんよ。ついでにあなた方もお行きなさい。ここは傭兵や聖騎士が数多くいますから大丈夫です。万単位の不死者が押し寄せる前に元を絶ってくださいませ」


「……万単位?」


 聞き捨てならなかったのだろう。メルが鋭い目付きでアリスを睨む。


「あんた。まさか今後の展開を知ってんの?」


「存じません。クラーク・マクニッシュ。クライブ・マクニッシュ。インテグラ・リヴァーモア。以上の3名が調査という名目で数時間前にガルダを目指したとの情報は持っていますが」


 思わぬ暴露にライルまでもがアリスを睨めた。リンは思考が上手く働かない。


 だが答えは明白だ。アリスは真相を知っている。そして仲間に隠していた。


「行かないのですか?」


 アリスは平然と問い掛ける。


「行くわよ! あの魔力は確実にハゲどものものじゃない! 魔界の門を開いた可能性が強い! 第6の魔王が現れたんなら今すぐにでも倒すべきでしょうが!」


 メルの怒声に応じてライルが床に置いていた汎用袋バックパックを拾った。


 が、リンは動かない。動く気になれない。何かが寒気を覚えるほどに違うのだ。


 原因はノアの表情にあった。怒気を露わにしたメルやライルに反して今にも泣きかねない印象を感じる。今の彼に魔王を倒したとされる勇者の面影はない。


 リンは疲れた脳に鞭を打った。高速で情報を整理する。


 その結果、血の気が引いた。


 辻褄が合う。すべてが繋がってしまった。リンは涙を浮かべてかぶりを振る。


「なぜ大司教が銀製短剣を渡したのか。よく考えなさい。リネット」


 アリスの言葉はリンの推理を肯定するものだった。辛すぎて。目尻の涙が頬を伝っていく。


「リンもアンクトに残るかい?」


 ノアの気遣いがリンの心に激痛を走らせる。


 本当に優秀だ。こんな時ですら他人への配慮を欠かさない。


 しかしその優秀さがリンをさらに苦しめる。リンは、首を振った。横に。


「なぜ。なぜ世界はこうも。絶望的なまでに呪われているのでしょうか?」


 分かるもんか。アリスの問いに対する解答をリンは持ち合わせていない。


 だがノアは解答以上の返事をした。勇者らしい。精悍な顔付きで。


「分からない。だけど僕は解けない呪いなんて存在しないと信じてるよ」

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