欠落
「放っておけ」
聞き間違えたと思った。夕食の席に着いた仲間は言った本人とアリスを除いて愕然としている。それほどまでに信じ難かった。ジェノが口にした作戦は。
「教会が疑わしいというのは認めるが、根拠があっても証拠はない。不死者の発生を教会の仕業とは言い切れん訳だ。よって今は動けん。確証もなく糾弾するのは愚の骨頂だしな」
ジェノは正論を述べている。だがライルは正しい意見だと判断していないようだ。
「正気か? あんたも知ってんだろ。今日の昼過ぎに山の向こうで五百以上の不死者が現れたことを。しかも今回はイグノやバイパと違って3割程度が雑魚じゃなかった上に、襲われた集落に都合良く聖騎士団がいたお陰で助かったと来てる。おかしすぎると思わねえのかよ」
今の話はリンも先程に知らされた。ライルとメルがバイパを調査していたら村を訪れた行商人が騒ぎだしたらしい。隣村が見たこともない魔物に襲われていると。
その1番の理由はライルが言った聖騎士団だ。教会の施設が1つもない集落になぜか連中は存在し、すべての不死者を村内に入れることなく滅ぼしたらしい。
村人が聖騎士団の働きに感謝するのは分かる。とはいえ今回のお礼として村内に教会を建設することが決まったとか、500人ほどが即日に入信したとか聞くとさすがにきな臭い。
どう考えても教会の自作自演だ。そうじゃないと思う方が難しい。なのにジェノは言う。
「なぜおかしい。聖騎士団はクラークの要請で十日以上も前からアンクトに向かっていたし、襲撃された村落はここと王都の直線上にある。貴様は都合良くと言ったが、そこを休憩に利用するのは決して不自然ではない。少しは先入観を捨てたらどうだ」
「思い込みじゃねえよ。ハゲが要請したって時点で怪しいだろうが」
「怪しいな。しかし偶然という言葉で片付けられる範囲だ。そこに聖騎士団がいたのも、狙ったように不死者が襲撃したのもな。それを確たる証拠と主張するのは無理がある」
ジェノはライルを睨み付け、ライルもまた強い眼光で睨み返している。いつ取っ組み合いになっても不思議ではない雰囲気だ。
「場所を変えた方がよくない?」
リンは恐る恐る提案したが、誰も賛同してくれない。盗み聞きに気付きにくい静かな部屋よりも、多彩な話題で賑わう食堂の方が論ずるのに適すと考えたようだ。
「私とて本意ではない。だが現時点でクラークを吊し上げても無意味なのだ」
「トカゲの尻尾が切れるのみで終わってしまいますからね。高確率で」
ジェノとアリスの言い分は正しい。クラークが現場監督に過ぎなかった場合、黒幕は代行者を用意するか、ほとぼりが冷めた頃に同じことをしでかす。その時はもっと巧妙な手口となるのが必至で、首謀者の追跡もずっと困難になる。
「今回で懲りる可能性もあるじゃねえか。今は運良く犠牲者が出てねえけどよ。次も大丈夫だとは限らねえだろ。ここは人命を最優先に考えるべきだって言ってんだ」
「では方法を提示するがいい」
発言と裏腹にジェノの関心はライルでなく卓上のスープに向けられた。テーブルに並ぶ料理はどれも既に冷め切っているが、アリスも平然と豚肉の唐揚げを頬張る。
ノアとメルが険のある視線を向けても無礼な2人は黙々と食事を続け、ライルも挑発に乗って手近のパンを取った。小さく千切っては口内に投げ入れて、
「一応は俺とメルも昼過ぎの戦闘に参加してな。幸いにも現場まで飛行したから気付いたんだよ。不死者の発生源はガルダだ。山中からゾロゾロと出てくる様子をこの目で見た」
あたしも見た、とメルが同調しても、
「だからどうした」
ジェノはにべもない相槌を打った。
「分かれよ。中堅クラスの不死者を百以上も呼び出すのは至難の業だ。ガルダを調査すればあんたが欲しがってる証拠も見つかるかもしれねえ。擬似的な聖戦を起こすための準備はあの山で行われてる公算が大きいからな」
「戯けが。ガルダは王族の管轄だ。青や赤の呪術師とて無断で入ることは許されん」
「百も承知だ。王族と同等の権限を持つ大司教なら無断で入れるってこともな。だからあんたはお供を連れてガルダに行くだけでいい。証拠は俺が見つけ出す」
「断ると言ったら?」
「俺の行動に目を瞑って貰うだけだ」
ジェノが食事の手を止めた。どんな名剣よりも鋭い眼差しでライルを射抜く。
「驕るな。私が大司教の立場より貴様の信念を優先するとでも思うのか? 身勝手に法を犯すと言うのなら容赦はせんぞ」
「……兄さん。悪いけど今回ばかりはライルが正しいと思うよ」
ノアがジェノに反論する場面は初めて見た。
驚く間もなくメルが賛同の意を表わし、リンも首肯で意思を示す。
「そうか」
ジェノは深い溜息を吐き、
「ならば掛かってこい」
一瞬の内にリンの心は恐怖の支配下に入った。
全身の汗腺が狂ったように体液を噴き出し、喉も干涸らびてしまったが、眼前のグラスに手を伸ばす気になれない。
少しでも動けば殺される。
そう思い込まされるほどにジェノの殺気は凄まじかった。
なぜ一変した空気に他の客は気付かないのか。リンは今にも泣きかねないのに。
「私は1対4でも構わん。腕の1本でも奪えたら褒美をくれてやるぞ」
無理だ。勝利が、ではない。挑戦の時点で不可能だ。
ライルも先程までの勢いはどこかに行ってしまったらしく、湿った額を拭きもせずにジェノを凝視している。ただ単に強烈な威圧感のせいで視線を外せないだけかもしれない。
「分かった。別の作戦を考えてみるよ」
真っ先に白旗を揚げたのはノアだった。
「だけど1つ教えて欲しい。なぜ兄さんはそうも頑なにガルダの調査を拒むのさ」
「お疲れなのです」
アリスが愚鈍な教え子を見かねたように口を挟んだ。淡い吐息を漏らして、
「もっと穏やかに応じるべきでしたが、如何せん大司教はストレスが溜まっているのです。特にここ数日は色々とあったので。気が立っているのですよ」
「イグノの建設の件で何かあったのかい?」
「いえ、話し合いは滞りなく済みました。ただ他の準備が終わっていないのです」
要領を得ない回答だ。リンは俯きがちにアリスを見つめ、ふと指輪の数が激減していることに気付く。右の人差し指のみだ。見ればジェノも同じ指に填めている。
「この3日間で大司教はイグノの他に2つの村落を訪問しました。リネットとオーデンの故郷です。理由は想像できますね?」
リンは絶句した。なぜ最悪の事態に関して頭が回らなかったのだろうか。
教会は知っているのだ。
両名が故郷に残した最愛の人のために一人旅を始めたことを。
間違いない。2人が計画の邪魔になると判断した場合、教会は迷わず最良の一手を打つ。それはノアやジェノの動きすらも封じることができる究極の策だ。
リンは愕然とした。今の心境ではライルの意見に賛同しかねる。故郷の母親が人質にされている可能性を思うと気が気でない。
ライルの動揺も見て取れる。精悍な顔は死人のように青ざめていた。
「ご安心を。お二人の故郷に怪しげな者は現れていません。変装した大司教が自ら情報を集めたので確かです。一応は刺客の遅刻を見越して〈炎獅子〉でない大手の傭兵団に依頼し、各故郷に手練れの呪術師を数名ほど潜伏させる手はずも整っているようですよ」
アリスの説明のお陰でリンとライルは安堵の吐息を漏らすことができた。
喉が痛い。ジェノの殺気を被った時点でからからだったのに、嫌な想像を膨らませたせいでさらに渇いてしまった。
リンとライルは揃ってグラスを持ち、注がれた水を一気に飲み干す。
「なんで言ってくれなかったのさ。故郷の偵察だって僕らが手伝えたじゃないか」
ノアの言い分は正しい。飛べないリンやライルは論外だが、ノアとメルの背を借りればジェノの手を煩わせることもなかった。
事情が事情だけにリンとて母親に会うことを躊躇わなかったに違いないし、今の話を先にしてくれていたら口論することもなかったと思う。
「大勢で動いては怪しまれる。今回は私が動いて正解だったのだ。最適だったのは目に見えんメルヴィナとも言えるが、我々以外にも認識できる奴がアンクトにはいるからな」
「インテグラさんか。だけど兄さんが3日間も姿を眩ましてたのはまずくなかったかな」
「問題ない。私はイグノの地下墓地に籠もっていたことになっている。村長から清めの儀式を頼まれたのでな。通常なら丸二日は掛かる最上級のものを施しておいた」
ジェノの簡潔な説明にノアが顔をしかめた。儀式の時間を大幅に短縮させた方法を察したのだろう。
しかし内容は口にせず、やがて元気のないライルが代わるように喋った。
「あんたの気遣いも知らずに生意気なことを言って悪かった。だがそれでも一言くらいは相談して欲しかったってのが本音だ」
リンもライルの意見に頷くが、ジェノはまたもスープにスプーンを近付けて、
「私は人の命の重さを平等だと思っていない」
ライルは唐突な話題の変化に戸惑いつつも、
「いいのかよ。大司教がそんなこと言って」
「貴様はどう思う?」
「分からねえが、一般論で言えば平等じゃねえのか?」
「ではなぜイグノを救おうとしたのだ」
ライルはリンと共に困惑しながら、
「村人の命を守るためだ。現地でも言ったが、妻との約束を果たすためでもある」
「だが貴様に守りきるだけの力はなかった。自覚もあったに違いない。
ジェノの私見は的を射ている。誰かのために自分を危険に晒すのは決して間違った行動ではないが、その行為は対象の命に付加価値を与えることになる。
本当に命の重さを平等と思うのなら村人の命と同様に自分の命も尊重し、一緒にイグノから離れるべきだったのだ。
「だからあんたは自分だけ危険な行動を取ったんね。誰かに相談したら何かしらの行動を起こすのは目に見えてるし。それが教会を刺激するかもしんないから」
メルの結論に異を唱える者はいない。沈黙の中、ジェノとアリスのみが卓上の料理を片付けていく。
まもなく他の面々も料理に手を付け、数分が経った頃に、
「私は明日にでも王都に赴くつもりだ」
ふとジェノは言った。アリスのみが食事の手を止めない。
「勝手に動いてお前らを裁判に掛けられてもつまらん。調査の許可を得てくる」
「了解っす。霊峰を利用してるってことは王族の顔に泥を塗るのも教会の狙いなんかね?」
「結果的にはそうなっているな。何であれ勝手な行動を慎めよ?」
「うい。頼まれたって侵入しないわよん。王族の土地には懲り懲りだから」
生ハムが刺さったフォークを片手にメルは肩を竦めてみせる。
ノアとライルが笑い、リンも釣られて頬を弛緩させた時にソレを感じたのだった。
強烈な違和感。見過ごしてはならないものに気付けなかったような。
周囲を見回しても払拭されず、口論の場面を思い返すと胸騒ぎがした。
何かがおかしい。何かが絶望的なまでに欠如している。
なのにソレに見当が付かない。
食事を終え、宿泊室に戻り、湯浴みを終えてもリンはソレを見破れなかった。
そして残念ながら。
リンはベッドに寝転がった時には違和感の件を忘れてしまっていた。
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