疵瑕

 近くの村に不死者が現れたのは2日後の夜だった。


 近くと言っても霊峰の向こう側で、ガルダを迂回していくと名馬でも到着に3時間は掛かるバイパという集落である。


 なので騒動の話がアンクトに届いたのは翌朝のことだ。不死者の数は百に届き、地元の傭兵団が1人の犠牲者も出さずに殲滅したが、不可解にも願意石は発見されなかったと言う。


 昼過ぎに調査目的でメルがライルを負ぶってバイパに飛び、ノアとリンはアンクトで別行動している。


 ノアの行き先は〈炎獅子〉の本部だ。先日に会ってリンも聞いたが、団長のレオンも多発する不死者の出没に疑問を覚えている口らしく、原因を究明するために2人で団の書庫に籠もっている。


 過去に似通った事例はないか。死霊術ネクロマンシーを得意とする呪術師が教会にいないか。と様々な観点から徹底的に調べ上げているようだ。


 一方のリンは教会に関した施設を回っている。用事があるのはクラークやクライブではなく、3日前の食堂から顔を見せないジェノだ。大司教は不死身なのでご心配なく、とアリスが言っていたが、妙に胸騒ぎがする。


 しかし東区を一周してもジェノの姿は見当たらない。諦めてノアの手伝いに行こうと決め、途中でアリスの宿泊先が目に入った。クラークが用意した教徒専用の宿屋と聞いている。


 リン達は東西の境にある宿を使っているが、ジェノはこっちのはずだ。ついでと思ってリンは立ち寄り、短剣を見せると受付嬢は嬉々として話に応じてくれた。


「大司教は大聖堂に向かわれましたよ。ラブクラフト様は残っていらっしゃると思いますが」


 行き違いとは運が悪い。仕方ないのでリンはアリスの部屋を尋ねることにした。このまま聖堂に向かって再び行き違いになっては堪らない。


 3階に上がって突き当たりまで直進すると到着だ。リンは左側の部屋を叩扉する。


「……どうぞ」


 心なしか弱々しい声が届いた。リンは小首を傾げつつもドアを開き、瞬時に閉めてしまう。リンの居場所は室内ではなく廊下のままだ。


 気のせいではない。ベッドに座っていたアリスは素っ裸だった。ほぼ後ろ姿だった上にバスタオルで隠れた部分も多かったが、美しい肩甲骨や豊満な乳房の輪郭はしっかりと目に焼き付いている。ついつい有り得ないことを想像してしまった。


 ともあれ手を団扇にして顔の熱を冷ましてみる。が、相手は思考の冷却を待ってくれない。


「耳が遠いのですか?」


 身体にバスタオルを巻いたアリスがドアを開くや苛立ち満載の声をぶつけてきた。リンの気も知らずに今日も両目を閉じている。


 リンは狼狽しつつも入室し、ベッド付近に散らかったアリスの衣服を見ると体温がさらに上がった。思わず視線を逸らしてしまい、


「ジェノが戻ってるって?」


「ええ。先程まで一緒にいました」


 施錠を済ませるとアリスは再びベッドに座った。さも気怠そうに、


「ご用件は? ちなみにわたくしは全裸での睡眠を好んだりインテグラのように露出狂だったりはしませんよ」


 リンはベッドを見ずに頷いた。態とらしいほどの大きな咳払いをして、


「ジェノはどこに行ってたの?」


「イグノです。あの集落は臆病な傭兵団が逃亡したので後ろ盾がなく、教会の傘下に入ることを決断したようでしてね。大司教は施設を建てる場所などの相談に出向いたのです」


 信じ難い。こう言ってはなんだが、そんなことのためにジェノが仲間に内緒でアンクトを出るとも思えない。


「……例え話をしてもよいでしょうか?」


 アリスに問われ、リンは沈思黙考を中止した。手を動かして続きを催促する。


「擬似的な聖戦の件ですが、もし教会がリネットを次の勇者にすると言ったらどうします?」


 質問が突飛すぎて意味を理解するのに時間が掛かった。


 リンはしばしの間を置いて、


「断るんじゃないかな」


「腐敗化の解呪本と共に亡者の嘆きや熾天石を提供すると言っても?」


「……迷うかも。今の条件だとお母さんもライルの奥さんも助かるし」


「しかも次回の聖戦で一般人の犠牲者を出さないことは約束されます」


「要するに私は嘘を吐くだけで良いの? だったら頷いてもおかしくないかな」


「でしょうね。わたくしがリネットの立場でもそうすると思います」


 沈黙。例え話の意図を教えて欲しいが、問い掛ける勇気を出す前に、


「なぜ素っ裸なのか。問わないのですか?」


 リンの体温が上昇した。正直、関心はある。ちらちらとアリスに視線を送って、


「た、尋ねてもいいの?」


「構いませんよ。大司教を誘惑した結果、今回も失敗に終わっただけですから」


「今回……も?」


「はい。今までに百回以上チャレンジしています。長い付き合いなのですから一度くらい慰めがあっても良いでしょうに。全く以て堅物野郎ですよ」


「そ、そうなんだ。でも教徒は姦淫を禁じられてるし。というかアリスは尼僧だからそういうの完全にダメじゃないの。俗に言う神様に処女を捧げた身でしょ?」


「バカバカしい。嫁いで10年以上も営みがなければ誰だって浮気しますよ。しかも今回に限ってはいつもと違って正式にお願いしたのです。慰めではなく。子供をくださいと」


 よく分からない。正妻でなくてもいいからとにかく子供が欲しいと言ったのだろうか。


 ならば教会の規則にも触れない。禁じられているのはあくまでも姦淫であって子供を作ることは問題視されない。男性教徒は2名まで妻を娶っていいとも聞いたことがある。


「ジェノはどうして断ったのかしら。なんだかんだでアリスのことを気に入ってそうなのに……」


「理由は聞きました。実に簡単なことです。わたくしが呪われているからですよ」


「む? 呪いって不老の?」


「正しくは成長が停止する呪いです。まったく。自分の不出来さに今日ほど絶望したことはないですよ。わたくしが子を産めないなんてよく考えれば分かることでしたのに」


 納得がいった。アリスが成長しない以上、妊娠してもお腹の子は成長しないのだ。


「と言うことは呪いを解いて再チャレンジ?」


「……次の機会があったら。ですけどね」


パタリとアリスが横たわった。


「大司教に用があるのなら夕暮れに前回の食堂に来なさい。わたくしは夕食まで休みます」


 一人にしてください、と言われたような気分だ。なのでリンは、


「お、おやすみ」


 愚かしくもこの言葉以外に何も返すことができなかった。

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