悪夢
リンはラトで唯一にして初めて誕生した呪術師だ。
しかも国内に10人といない青呪術師である。村人達は自分のことのように喜び、祝宴は夜が更け朝日が昇ってもまだ続いた。
教会の神父がソレに気付いたのは太陽が再び地下に潜ろうとしていた時のことだった。
初めは貴族がいるのだと思ったらしい。
それもそのはずだ。村の墓場にいたソレは豪奢な王冠や赤い法衣を身に付け、胸元や十指の他にも貴金属や宝石が数多く見られる。
永遠の命を求めた古代の王族が
宝石塗れは墓を掘り起こし、土葬された屍肉を食らっていた。
周囲の生者を顧みずに咀嚼音を漏らして貪る姿は吐き気を催すほど禍々しく、山中に沈みゆく夕日を地獄の業火と思わせた。
掘っては食い、掘っては食う。
ソレは一心不乱に次々と故人の墓を暴いていく。
死者への冒涜さえ看過すれば危害は及ばない。というのが村長の見解だった。高位の屍食鬼は幼子も食らうと聞くが、眼前の魔物は生者に関心を見せていない。
呪術師としての意見を求められたリンは首肯で応じ、後味は悪いものの宝石塗れの暴挙を見過ごすように命じ――られなかった。
1人の青年が宝石塗れを槍で突いたのだ。
彼は半年前に妻を亡くした。
そして、宝石塗れが次に暴こうとしたのはその墓だった。
きっと彼の行動は人として正しかったのだと思う。
同様の立場になれば誰しもが同じ行動を取ったに違いない。
だが。人間味の溢れる彼の行動は絶望的と呼べる状況を生み出した。
それは記憶にも残らないような。一瞬の出来事だった。
気付けば青年が身体中を真っ赤にして倒れていた。
人が殺される場面を初めて見たせいなのか。
或いはこうも簡単に人が死ぬと知らなかったせいなのか。
とにかくリンは宝石塗れの行いを認識できなかった。
ただ茫然自失で佇み、よく知る青年の亡骸を見つめた。
宝石塗れは好物のはずの青年の遺体に一瞥すら投じない。
緊迫感を孕んだ静寂が村内を駆け抜けていく中、ただ、一歩だけ動いた。
遠巻きに一部始終を静観していた、村人に向かって。
悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴。
性も年も関係ない。誰もが我先にと友人すら押し退けて走り去る。
問わずとも村人の心境は読み取れた。
逃げなければ、殺されてしまう。
リンは下唇を噛みしめた。
ラトに武芸達者な者はおらず、また不死者は総じて執念深い。
憤怒でも愛情でも単なる興味でも。何らかの感情を抱いた相手を延々と付け狙う。
させるか。
リンは震える両手で銀製短剣を握った。
宝石塗れの執念の対象は不明だ。自分とは限らない。
しかし見てしまった。
化け物の眼差しの直線上に、最愛の母親がいたのを。
ここに騎士はいない。
傭兵もいない。
神父は神に祈りを捧げるばかりで役に立たない。
私しかいない!
自分の才能に溺れていた訳ではない。
まして慢心や不遜など微塵も抱いていなかった。
ただ。ただリンは幼かったのだ。
自覚はあった。
子供を産める身体があっても自分はまだまだ子供だ。勝算も殆どない。
でも。刻まれているのだ。握った短剣に。
それは騎士も傭兵も魔術師をも超越した一人前の証だ。
ラトにリン以上の強者がいないという物証でもある。
村内で最強の自分が短剣を放り投げて逃げ出せるはずもない。
幼稚な責任感だとは重々承知していた。
分かっていても。リンは無責任になれなかった。
大丈夫だ。きっと勝てる。
そう思うのは青年が殺された時に何らかの障害が脳に発生したせいかもしれない。
なぜだか宝石塗れの動きが亀のように鈍く感じた。
一歩。また一歩と化け物は着実に近付いてくる。
まずはどう動くべきなのか。
自己強化の魔術はいくつも習得したのに呪文を一文字も思い出せない。
ただ額から滴る汗のみが気になり、極度の緊張のせいか視界に霞が掛かっていく。
吐いてしまいそうだ。
膨らみだしたばかりの左胸に手を添えてみれば、心臓が今にも破裂しかねないような速さで動いている。荒れた自分の呼吸音に気付けないほど心音が喧しい。
時間の感覚もおかしい。
先程から屍食鬼の足の動きが速くなったり遅くなったりしている。
いつの間にか手を伸ばせば届く距離だった。
今がチャンスじゃないの?
銀は不死者に深い傷を負わせられる。
今すぐ攻撃に転じた方がいいはず!
そうは思っても脳裏に青年の亡骸が過ぎる。
恐い。
恐い。
恐い、恐い、恐い!
全身の毛穴から冷や汗が噴き出した。
既に四肢の感覚はなくなっている。
ただ涙と鼻水を垂れ流し、無意味に上下の歯をガチガチと喧嘩させることしかできない。
それでも。リンは守りたかったのだ。
攻撃の対象となったかもしれない母親を。
守る。守ってみせる。
お母さんを守れるのは私だけだ。
そのために呪術師になったんだ!
リンは銀の短剣を握り締め――不意に横から押し倒された。
最大の誤算だった。
唐突に現れた真っ白な少年が大声で喚きながら宝石塗れを襲い、その戦棍の一撃がソレの片腕を吹き飛ばしても状況を理解できないでいた。
リンを庇護するように覆い被さっていたのは、最愛の母親だった。
愚かしくも。リンは理解していなかった。
リンがリディアを愛しているように。
リディアもまた、リンを深く愛しているのだと。
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