契機

 約束の食堂にノアやライルの姿はなかった。


 4人は隅っこの6人席を選び、飲料を注文してから情報交換を始めた。


 メルは1人だけ椅子に座らずテーブルの横で浮いているが、ジェノが葡萄ジュースを頼みながらも水を飲むと宣言したので、太陽のような明るい笑顔でグラスを傾けている。目敏い客は驚いたに違いない。メルが触れた途端に卓上のグラスを認識できなくなったはずだからだ。


 無色の御霊クリスタルファントムの呪いはとにかく不明瞭で、メルの姿や声や魔力や魔術などの他にも、身に付けている物や手に持っている物も他者の認識から外れてしまう。


 ただし質量的な問題でメルが持ち上げられない物は対象外で、手に乗るからと言っても子猫などの生物は大丈夫らしい。


 でもグラスが見えなくなったらお店が困らないかしら、とリンは思ったが、記憶を遡行してみると生ハムを刺していたフォークなどを店の人が普通に片付けていた気もする。


 手放してから数分で認識可能になるのかも、とリンが予想を立てたところで、メルが教会の勇者暗殺計画に関するライルの推論を説明し終わった。


「擬似的な聖戦か。面白い話だ。残念ながら否定するのが難しい。その手の奸計を好む愚か者は多く知っているのでな。この街にも該当する貴族の同胞が一人いる」


「ハゲっすね」


 やはり犬猿の仲なのだろう。ジェノはメルの無礼な物言いに注意の一つもせず、


「ともあれインテグラの関与はないな。枢機卿がこんなバカげた計画に協力するとも思えん」


「でも枢機卿は病で伏せてるって言ってたし、某大司教の命令で動いてるってさ」


「ふむ。どいつかは知らんが、裏でこそこそと動いている輩がいる訳か」


「あのガキが枢機卿以外の指示に従うとも思えませんが。大司教の指示もシカトしますし」


「お前が言うな。教会内で私の言葉をお前ほど聞かん奴は他におらんぞ」


 てへっとアリスが笑って自分の頭をこつんと叩くが、さておき、とジェノが部下の反応に触れることなく話題を元に戻してしまう。アリスはとことん不満げな様子だ。


「クライブは名声も実力も次期勇者として申し分ない。クラークが大司教の座を我が物とせんために息子を利用する可能性は大いにある。しかしクライブの性格を鑑みるといかに父親の命令であっても素直に従うとは思えんがな」


 リンの意見はジェノと完全に一致する。しかしアリスの読みはもっと深い。


「そうですね。ですがそれでは露骨すぎますし、1つくらいはクッションを入れるのではないでしょうか。あのハゲのことです。ぐへへ、貴殿の息子を次期勇者にして差し上げよう。無事に栄誉を得た暁には我が一族の優秀さを国王や枢機卿にお伝えくだされ。と仰っているやも」


「有り得る話だ。ぐへへとは笑わんと思うが、貴族の横の繋がりを想像すると否定できん」


 指摘すべきは笑い方でなく祓魔師エクソシストの分際で貴族かつ上司たる司教をハゲと言った点だとリンは思ったが、


「ハゲの天敵がお越しになりましたよ」


 一度ならず二度までも。アリスは直属の上司に不敬な言動を示すことも少なくないし、ジェノもこの程度の口の悪さなら目を瞑るようだ。


「よぉ。教会ペアも来てたのか」


 挨拶もそこそこでリンの左隣に腰掛けたのは頭にどっさりと毛を生やしたライルである。今日も一切の防具を着けておらず、ドレスシャツにパンツの格好だった。得意の斧槍ハルバードは腰の左に掛けた棺桶袋コフィンバッグに納められ、一応は緊急時を見越して長剣の鞘を腰の右に下げている。


「ノアと一緒ではないのか」


 真っ先にジェノが問うた。ライルは昼間にも拘わらず大声で葡萄酒を注文して、


「ノアなら大聖堂だ。俺も付いてくと言ったんだけどよ。魂魄暴走オーバートランスを起こした翌日に顔を見せるのは挑発に等しいからって反対されてな。ジェノの立場も考えて素直に従った訳さ」


「正しい選択と言える。クラークは今からでも処刑するべきだと主張するタイプだ」


「らしいな。ハゲ司教については〈炎獅子フレイオン〉の団長から聞いた。何やら典型的な貴族だとか」


「団長? レオンと会ったのか?」


「おう。ノアの名前と短剣のお陰でな。傭兵にしとくのが勿体ないほどの快男児だったぜ」


「お前に近い系統の男だからな。統率力や商才はレオンが十枚ほど上手ではあるが」


 実力もだ、とライルが肩を竦めて付け加えた。


 噂の団長を知らないリンは小首を傾げるばかりだ。ウェイトレスが葡萄酒をライルの元に届けたのを機にジェノが説明し始める。


「勇者暗殺の件を私に密告したのがレオンだ。リンも時間を作って会っておくといいぞ。何せ〈炎獅子〉はラトに支部を置いている傭兵団でな。リンが旅立ってからはしばしば村の平和を守っている。我が国で最もモラルの高い傭兵の集まりだ」


 違和感がリンの背中に寄っかかった。傭兵団招致の件は母親からの手紙で知っているが、話が纏まったのは一昨年のことだ。施設を建設する時間などを差し引くと『しばしば』は多すぎる。


「最近のラトは襲撃者の発生率が高いの?」


「心配すんな。今のは大司教殿が口を滑らせただけさ」


 口を挟んだのはライルだ。ジェノはといえば動揺を隠すように無表情。


「リンが故郷を顧みずに旅をしてられる一番の理由は何だ?」


「……宝石塗れを捜してる傭兵さんが村に5年は逗留するって言ったから」


 希有な魔物が現れた場所に名うての傭兵が訪れるのは珍しい話ではない。倒せばさらに名は売れ、採取した秘薬を換金すれば貴族顔負けの一生を送れるからだ。リターンを考慮すれば年単位の滞在も訳はない。仮にその傭兵がいなくなっても次の傭兵がすぐに来る。


「そいつが〈炎獅子〉の一員だって話だ。どこぞの大司教が人目も憚らず団長に頭を下げたらしくてな。団長の方も大司教の真剣さに応えて手練れの赤呪術師を送ったって訳さ」


 リンは無意識に目を向けた。どこぞの大司教とやらは塵ほどの関心も寄せていなかったアリスの指輪を眺めている。


「ラトに支部を作ったのも団長の計らいだな。リンが今までにどれだけの仕送りをしたのかは知らねえけどよ。大手の指定傭兵団が辺境の山村を第2の拠点に選ぶほどじゃないだろ?」


 リンは首肯で応じた。田舎のラトでは依頼者を捜すのも難しい。いかに大金を積まれても利益が見込めなければ傭兵が出張るはずもないのだ。


「以前から思っていたのですが」


 アリスはジェノの視線の逃げ場をテーブルの下に隠して、


「なぜ大司教はラトの宝石塗れに関する情報を隠していたのでしょうか。カロッカでの一件を鑑みるに腐敗化コラプションの話はノア様すら知らなかったと察します。リネットに頼まれてのことではないようですし、そもそも彼女にすら隠し事があったとなると何か思惑があるのではと勘繰ってしまいますね」


「どう読む?」


 ジェノの態度が一変した。不敵な笑みすら浮かべて堂々と腕組みをする。


「恩返しはベッドの上で頼むぞ、と成長したリネットに交渉するためですかね?」


「魅力的な話ではあるが、恩返しという言葉が出る時点で的外れだな」


「リネットは恩を感じていないと?」


 リンは首の動きで即座に否定した。恩など返す方法に困り果てるほど感じている。


「ふむ。リンも気になっているようだし、都合良くノアもいない。アリスが指輪の件を忘れるのなら話をしても構わんぞ」


「指輪? 何のことです?」


 この人は白々しいという言葉を知らないらしい。ジェノは小さく息を吐いて、


「ノアが来店した際は話を中止。無論のこと他言は厳禁だ。守れるか?」


 全員が揃って首肯した。ジェノは一口だけ水を飲み、


「シヴァルトという国を知っているか?」


「真南に向かって国境を2つ越えたくらいの場所にあった宗教国家っすね。ここらの国では珍しいことに主神を崇めない連中がやたらと多くて、破壊神を崇める急進派と地母神を崇める穏健派が何かと紛争を起こしてたとか。前回の聖戦で滅びたけど」


 ジュースを飲み終えたメルが即答してくれた。リンは聞いたこともない。


「10年前にな。大司教に就いたばかりの父上が妻のステラ様をお連れになったことがある。公務でなかったがゆえに公式な記録は残っていないと思うが」


「残ってないんじゃないかなぁ。あたしも初耳だし。前大司教にでも聞いたん?」


「私はシヴァルトの生まれなのだ」


 全員が耳を疑ったに違いない。ジェノはステラの親族の子で、不憫にも両親を疫病で失ったことから慈悲深いアレックスに引き取られたはずなのだ。


 さらに言えば他界した両親の生まれや育ちもフェインとされ、教会の記録でもジェノの出身はこの国となっているのである。


「驚くことか? 虚実の作成は教会のお家芸だと聖剣の件で学んだのではないのか」


「……驚くに決まってるっしょ。てか10年前とか言った?」


 リンにもピンと来るものがあった。反射的にクライブとの会話を思い出す。


 10年前は疫病が流行った年。クライブが言ったように世界中で猛威を振るい、貴族や教会の関係者からも多くの犠牲者が出た。

 リンの友達も。記録上ではジェノの親も。そして、


「そうだ。ステラ様が疫病で倒れたとされる年だな」


 心臓が嫌な音を鳴らした。悪寒がする。外れて欲しい予想が脳裏を過ぎった。


「シヴァルトはメルヴィナの説明に違わず地域によって崇める神が違ってな。当時は派閥間で絶えず争っていた。人々は話し合いの言葉を捨て、主張を通すための武器を拾い、同じ宗教の元に集まった仲間を魔物と見なすかのように殺していたのだ。老若男女を問わず、毎日のようにな」


 段々とジェノの声色が平坦になっていく。顔も恐いくらいに感情がなかった。


「私の両親も幼い時に亡くなった。疫病などでなく。民の手によってだ」


「やっぱそうなんだ。教会が公表してるあんたの情報って名前以外は嘘なん?」


「名前もだ。ジェノという名は父上がハミルトンの姓と共に授けてくださったものでな。ノアに教えられるまで気付かなかったが、フェイン語表記でしりとりになっているらしい」


「ほう。ジェノ。ノア。アレックス。ステラ。家族の繋がりを意味してるんかね」


 だといいが、とジェノはやや辛そうな表情で相槌を打ち、


「紛争で故郷を焼かれた上に両親も亡くした私は途方に暮れたのだが、教会に拾われたお陰で犯罪に手を染めることなく12まで育った。感謝したい相手も憎悪したい相手も教徒というのは複雑だったがな。少なからず施設内の教徒と対立する気にはならんかった」


「……12と言いますと。例の10年前でしょうか?」

 アリスの問いにジェノは力無く頷いた。グラスの水に薄暗い視線を落とし、


「ハミルトン夫妻は紛争を解決するためにシヴァルトを訪れ、人々に話し合いの大切さを教えて回った。ご両名は1ヶ月足らずで各派閥の重要人物を説き、やがて大規模な争いが起こらなくなったが、家族や恋人を理不尽に奪われた者達は決して納得しなかった訳だ」


 区切りを入れるようにジェノが黙り込んだ。昼時の食堂は上々の活気で包まれているのに、その喧騒が遠く感じるほど5人の席には緊張感が走っている。


「ある日のことだ。私のいた施設にステラ様がお越しになってな。腹を空かした孤児に手製のパンを配り、赤子に子守歌を唄い、共に田畑を耕した。一時だが我々の母となってくださったのだ。母国に残した子供を案じた時の表情が私の母と重なった憶えがある」


 しかしだ、とジェノは迷子のような弱々しい声で呟く。


「夕暮れに十数名の武装した男女が現れた。連中は無派閥の教徒で。自分達とは無関係な紛争のせいで愛する者達を失ったと言う。ステラ様と神父が懸命に説得を試みたが。憎悪や怨恨に心身を支配された連中は聞く耳を持たず。まもなく。孤児の1人が床に伏した」


 ジェノはグラスに添えた手を震わせる。アリスの手が触れてもそれは収まらない。


「連中が狂ったように矢を放ち、神父や尼僧に剣を振るう最中、私は恐怖に震えながら蹲っていた。しかし。ステラ様は違ったのだ。あのお方は泣き喚くの子らの前に立ち……」


 ジェノが再び口を噤む。両目を閉ざし、身体を震わせるのみで言葉を発さない。


「……ここまでにしとくか?」


 ライルの配慮を契機にリンは気付いた。何か熱いものが頬を伝っている。見ればメルやアリスも似たような状態だ。


「悪いな。記憶が欠落しているのだ。ステラ様が倒れた瞬間、私の中で何かが弾けたのは確かだが、気付けば生存者が私のみとなっていた。手は血塗られた剣を握り、しばらくして訪れた数名の教徒に捕縛された訳だ。後は大凡の見当が付くと思うが」


「現場の惨状を見ればジェノが被害者側の人間ってのはすぐ分かる。だが国や教会にとっては不都合な存在でしかない訳だ。何せ口外されたくない事件の生き残りだからな。いずれ暗殺されると推察したアレックス・ハミルトンはジェノを養子に取ると決めたってところか」


「私は断ったがな。ステラ様の仇討ちだったとはいえ、大司教の子が人殺しというのはまずいと思ったのだ。しかしノアの話を聞くと頷かざるを得なかった。臆病な私のせいであいつは6つで母親を亡くしたのだからな。私などで良ければ傍にいるべきだと考えたのだよ」


 そこから先の話はリンもよく知っている。アレックスは分け隔てなく子を愛し、ジェノも期待に応えて国の守護神と呼ばれるまで成長を遂げた。


 そしてリンやリディアが今も生きていられるのはそのお陰と言える。ハミルトンの一族は気の毒だと心の底から思うが。


「……悪い。今の話とリンの話の繋がりがよく分からん」


 ライルが6年前の詳細を知らないせいだ。リンは手で涙を拭いて、


「当時のことを話すわ。私としてはノアにも聞いて欲しいのだけれど……」


「ノアとアリスは知っている。腐敗化の件を教える際に私が話したのでな」


 言い終わるとジェノはグラスに口を付け、アリスも大司教の法衣で顔に付いた体液を拭うとミルク入りのカップを持った。不愉快げな表情の上司を余所にこっくりと頷く。


「6年前の夏の夕暮れ。でしたよね」


 そう。あれは呪術師試験を終え、1ヶ月ぶりに故郷の土を踏み締めてすぐのことだった。

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