指輪
時刻は正午に近い。夏の太陽は高々とした位置に君臨し、人の迷惑などお構いなしと言った感じで強い熱気を放っている。真っ白な服装をしたリンですら相当な暑さを感じるため、真っ黒な服装をした少女に至ってはぷかぷかと浮かびつつもだれにだれ、さながら子犬のように舌を出していた。同じく黒服のノアは大丈夫だろうか。
「あぢー。あの太陽の奴ったら何なのさ。呪い殺してやんぞこらぁ」
「メルはピンクのワンピとかも持ってるでしょ。夏なんだから淡色の服を着たら?」
西区は東区の倍以上の人がいるが、リンとメルが進む道は程々に空いていた。昼時のせいか路上に見当たるのは数名の露天商くらいで、その連中も道の端っこに構えているので小声での会話なら問題なくできる。メルが暑さ対策でリンの背から離れ、左隣にいるから尚更だ。
「検討しとくっす。てか東区と西区で気温が違いすぎるっしょ」
「そうね。言われてみればあっちは割と涼しかったような」
思い返してみると東区は細い道でも広場でも木々が無数に見られ、そこかしこに木陰があったし、道沿いに水路がある場所も多く、噴水も何ヶ所かで見たので避暑に適すと言える。
一方の西区は何もない。建物と通路と人々しか目に入らないくらいだ。微弱ながらも冷気の漂う東区と気温に大きく差があって当然かもしれない。
「あぢー。あぢー。あー、あー? あんなとこにブラコンがいる」
メルの言う通り見慣れたペアが前方にいた。地べたに座り込んだ中年の男性と話しているようだが、活き活きとしたアリスと対照的にジェノは憮然と突っ立っている。
リンは二人に近付き、話し掛ける前に理由が分かった。二人は中年男性の露店を見ていたらしい。地面に敷かれた布の上に庶民の手では届かないほどの高価な指輪が整列している。
「このルビーも素晴らしいですね」
そう言うアリスの両手は凄いことになっていた。なぜか左の薬指を除いた9本の指に指輪が嵌っている。どれも宝石が付いていないので値の張るような種類の指輪ではないが。
「……何度も同じことを言わせるな。気に入ったのなら勝手に買うがいい」
「でもー、お金が足りなかったりするのですよー。困っちゃいましたねー」
やたらと語尾を伸ばすのが怪しい。購入に必要な金銭は確実にあると見える。
「何も困らん。金がないのなら諦めればよいのだ。違うか?」
「でもー、指輪がもう1つあればコンプリートですよー? すべての指にリングが填っちゃうんですよー? これは絶対に買うべきですよー。是非ともプレゼントしてくださいなー」
あざとい。リンもメルも余りの状況に話し掛けられない。ライルの結婚指輪を見て触発されたのだと思うが、よもやこのような手口で左の薬指に指輪を填めさせようとしているとは。
「ん? 誰かと思えばリンではないか。声も掛けずにどこへ行く」
アリスの睨みが届かない場所です、とリンは心中で返事をしながら振り返る。
「教会への挨拶を終えたからノアやライルと待ち合わせてる食堂に行こうかと……」
「ほう。では我々も行くとするか」
「わたくしに指輪をプレゼン――」
「挨拶はマクニッシュ司教にか? それは大儀だったな」
早々にジェノが足を動かし始めた。催促の言葉を遮られたアリスは無愛想な上司の背をしばし睨め付け、程なくして険しい視線をリンにも向ける。
なぜ睨むのか。逆恨みも甚だしい。と思いつつもリンの正論は喉元から出ていかなかった。
「来ないのか? これでも私はアリスとの昼食を一日の楽しみにしているのだがな」
都合の良いことを。そう思ったのはリンのみではないようで、
「ブラコンでもジョークを言うことがあるんね」
メルが暑さを忘れたような顔でケラケラと笑った。
だがアリスは小走りでジェノに寄った。きっと嘘でも構わないのである。思い人がそう言ってくれたことがただ嬉しかったのだ。
未だに恋愛を知らないリンでも今回ばかりは自信がある。
しっかりと開かれた鮮緑の瞳は恋する少女のそれにしか見えなかったのだった。
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