第三章

貴族

 アンクトはフェイン東部で第2位の敷地を誇る大きな集落だ。


 資料によると人口は25万を数え、行商人や巡礼者を含めた多くの旅客も立ち寄るため、実質では30万に近い数の人々が街に犇めいている。と言っても7割方が西区に集まるので東区の通りは静かなものだ。


 国内随一の指定傭兵団が構える西区は商人や傭兵の出入りが激しく、貴族と比べても遜色ないほど裕福に暮らす者が大勢いる反面、浮浪者や暴漢や娼婦なども数多く見られる。


 一方で教会が治める東区では貧困に喘ぐ姿を見掛けないものの、西区と比べて圧倒的に厳しい法を定めているため、生命の安全が保障される代償に大金を手にする機会がない。


 片や治安は悪いが一攫千金のチャンスがあり、片や楽園のように平和だが平凡な日常を強いられる。暮らしたり訪れたりする者の性格が二分されているのは言うまでもない。


 4人がアンクトに到着したのは昼前だった。


 ノアとライルは情報の収集がてらに西区の傭兵団に向かい、リンはメルと共に別行動を取っている。行き先は東区の大聖堂だ。


 疑似聖戦に関する偵察が目的ではない。教会と縁のある集落を訪れた際は関連の施設を回ることにしているだけだ。信仰に厚いっぽい姿を教徒に見せ付けても損はしないし、逆に得した経験もある。リンに熾天石セラフストーンの情報を寄越してくれたのも辺境に住む教徒だったのだ。


 でも、とリンは思う。失敗した。ジェノやアリスがいると予想して軽い気持ちで足を運んだのだが、やはり教徒の質にも善し悪しがあるのである。


「よくぞ参った」


 リンを威圧的に出迎えたのは大柄で丸坊主の男性だった。そこらの山賊と同じくらい目付きが悪く体格も良いため、大多数が法衣でなく甲冑が似合うと思うだろう。


 もっと言えば、初見の人が彼の私服姿を街道で発見したら9割強の確率で近くの茂みに身を隠す、そんな感想を持たせるほどの悪人面だ。右手の聖書が斧や棍棒だったら社交的なリンでも瞬時に呪体化トランスしたと思う。なぜこんな人相の悪いおっさんが教会の幹部なのか。本当に不思議だ。


 クラーク・マクニッシュ。アンクト東区の現統治者だ。


 30代前半の頃から次期大司教に最も近い司教だと囁かれ、だがそれは42の今になっても変わらない。1国に1人とする大司教の座はアレックス・ハミルトンの死からしばらく空席とされ、その後はジェノが19という異例の若さで就いたからだ。よって2人の仲の悪さは教会の内外でよく噂されている。


「初めてお目に掛かります。リネット・マーシュと申します」


 深いお辞儀をしたリンに対し、クラークは会釈すら返さない。


「知っておる。火中の栗を拾うことを趣味とする命知らずな青呪術師であろう。先日は若僧の勇者とイグノに赴き、向こう見ずな傭兵をわざわざ救ったと聞く。ご苦労なことだ」


 およそ教徒のものとは思えない発言だ。ジェノが手柄を立てたことに立腹しているとはいえ、少しは歯に衣を着せることに努めるべきだと思う。リンは苛立って仕方ない。


「批評の前に名乗れハゲ。誰もが自分の名前を知ってると思うなハゲ司教」


 例によってマントと化したメルが背後から罵詈雑言を浴びせてくれた。


 彼女の声はクラークの鼓膜を決して叩かないが、リンは耳に心地良く感じる。もっと言ってやれ。


「これだから王侯貴族は嫌いっすわ。自分を中心に世界が回ってるとでも思ってんかね」


 なるほど、とリンは思う。クラークが貴族の出だとは知らなかったが、この傲慢な性格も血のせいと考えれば色々と納得もいく。リンもメルと同じく王族や貴族が大嫌いなのだ。


「勇者はどうした? 共に旅をしているとの報告を受けたが」


「別行動中です」


 リンとしては当たり障りのない言い方をしたつもりだった。


「あの若僧め。私への挨拶を後回しにするとは礼儀というものを知らんと見える。つくづく親に向いておらんとは思っておったが、アレックスの奴は息子も満足に育てられんかったらしいな。養子共々ハミルトンを名乗る男は碌でなしばかりのようだ」


 ここが人気のない場所だったら迷わず短剣を手にしていた。


 そう確信するほどリンは頭に血が上った。背中の少女などは憤怒に任せて莫大な量の魔力を全身に通わせている。


 冷静になれ。自分の言動次第で魔法使いの少女が眼前の愚者を消し炭にするかもしれないのだ。冷静、冷静冷静冷静、とリンは心中で呪詛のように幾度と呟いて、


「今の言い方では彼を大司教に任命したロデリック・ウィロビー枢機卿の目が節穴だと聞こえてしまいます。些か言葉が過ぎるかと存じますが?」


 お偉い方の悪口が進退に大きく響くことをご存じか? と脅したに等しいリンの苦言は司教の胸に深く突き刺さったようだ。小賢しくも周囲に視線を走らせて、


「おお、クライブよ。来ておったのか」


 クラークが声を掛けたのは白い法衣を纏った少年だったが、左手に持った鞘がただの教徒ではないと語っている。聖騎士パラディンだ。彼らは聖水で清めた剣を常に持つと聞く。凜とした雰囲気といい、美しい佇まいといい、まだ若いのに大したものだ。


 年齢はリンと同じくらいで髪や目の色も同様に明るいゴールド。背丈はリンに人差し指2本分を足した程度で、物語に出てくる騎士のように美形。と近付いてくる少年を値踏みしていると、ドキッとするような爽やかすぎる微笑を送ってきた。


 クライブは司教の隣で足を止め、


「初めまして。クライブ・マクニッシュと申します。もしやリネット・マーシュさんですか?」


「……マクニッシュ?」


 信じ難い発言にリンは思わず聞き返した。


「私の一人息子だ」


「十中八九で養子っすね」


 いつの間にやら平静になっていたメルが司教の紹介に信憑性抜群の補足を入れた。


「これがよく出来た息子でな。私の自慢だ」


「ふみ。いわゆる鳶が鷹を生むとか猫から獅子が生まれたケースっすかね。もしくは超母親似なのかしらん? とか言ってる場合じゃない! 実子なら20年後にはハゲ確定じゃん!」


 メルの口汚さもクラークに負けず劣らずと言ったところだが、クライブの将来図を思い浮かべて噴き出しそうになったリンに咎める権利はない。


「確かクライブはマーシュに関心があると言っておったな。これも神のお導きであろう。聖堂内の案内はお前に任せるぞ。私は所用があるのでな」


 承知いたしました、と恭しく一礼する息子に司教は満足そうな笑みを浮かべて、


「マーシュに神のご加護があらんことを」


 心にもない言葉を残して立ち去った。


「ハゲに髪のご加護があらんことを」


 同じく思ってもいないことをメルが宣う。


 今回のことでリンはノアの偉大さを強く思い知らされた。何せあの少年はこの傍若無人な少女を1年以上も連れ歩き、いずれの集落でも失態を見せたことがない。とてもリンに真似できる芸当ではないと思った。


 尊敬する。笑い声を喉の奥で懸命に殺しながら心底そう思うリンだった。

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