手紙

 翌朝の打ち合わせが終わった頃には夜もすっかり更けている。


 リンとメルは疲れた身体を休めるために自室へと向かい、廊下を歩いている最中に背後から声が掛かった。


「リン、ちょっといいか?」


 反転してみると左手に汎用袋をぶら下げたライルがいた。逆の手に丸まった羊皮紙も見受けられ、もしやと思ったリンよりも早く背中に張り付いたメルが問う。


「不倫のお誘いかしらん? このひげもじゃ、最低っすわ! 」


「お前さんの思考の方がよっぽど倫理に反してると思うけどな」


「自覚はあるっす」


「……だったら少しは是正に努めやがれ。俺はただ預かり物を渡しに来ただけだ」


 つまんねー、と愚痴るメルを余所にリンはライルの右手を見据え、


「ひょっとしてお母さんからの?」


「おう。日中は騒動の事後処理やらで渡す機会がなくてな。夕食時に手紙を出せとか言った理由もこれだったんだが、お前さんの反応が予想以上に厳しくて渡すのを躊躇った訳だ」


 見るのが恐い。そう思ったのは自分の至らなさのせいだろうか。受け取る勇気が湧いてこない。目の前に差し出された手紙がどこまでも遠く感じる。


「あたしは先に寝るとしますかねー」


 人気がないのをいいことにメルが自らドアを開く。そのドアがパタンと鳴ってもリンは手を伸ばせないでいた。見るに見かねたようにライルは淡い吐息を漏らして、


「恨み言が書かれてるとでも思ってんのか? 心配はいらねえよ。これは手紙よか報告書に近い代物だ。さすがは母親だな。お前さんの反応はリディアの想定内だった訳だ」


「……報告書?」


「ラトの近況が綴ってある。近況と言っても2年前の話だけどな。リディアも内容に困ってたのさ。下手に頑張れとも書けねえし、顔が見たいだの声が聞きたいだのと書いてもお前さんが困るだろうからな。よって気になってるかもしれない故郷の様子を書いたそうだ」


 それなら、と思った自分が憎らしいが、リンはようやく手紙に手を伸ばした。


「お母さんの字だ」


 愛するリンへ。最初の一文で感慨深くなり、つい当然のことを言ってしまった。


 リンの多額な仕送りのお陰で隣村との間にある河川に橋が架かった。


 以降はラトへの訪問者が増えて商売もしやすくなり、指定傭兵団が支部の招致を受け入れてくれた。


 リンが懐いていた4つ上のソフィアが隣家の長男と結婚し、今年の春に元気な女の子を出産した。


 その20歳の夫が呪術師試験を受け、村中に鋼製短剣を自慢している。


「でも彼の挑戦は3回目だったのでお母さんはリンの優秀さを負けじと自慢しています」


 不意に音読したのはライルだ。不作法にも横から手紙を覗き見ている。


「俺も自慢されまくったぞ。俺は赤だし、そいつは緑だったから言い返せなかったことをよく憶えてる。しかも俺が試験に受かったのは19の時だからな。11で青とか有り得ねーよ」


 青赤黄紫緑が優秀な順だ。リンも自分が青だなんて何かの間違いだと思っている。


「どこぞの黒い勇者様は史上最年少の9歳で青水晶をゲットしてるけれど」


「ノアは論外。だがよくよく考えてみると青呪術師は早熟が多いのか? アリスは知らねーけどメルは12だったよな。ジェノも兄弟一緒に合格したのが有名だから15くらいだしよ」


「でも強さとは関係ないみたいよ。今の中だとジェノがダントツで最強らしいもの」


 そうなのか? と返したということはライルも勇者ノアが最強だと思っているようだ。しかし騎士の誉れや終の願いの件を思い出してか、徐々に納得したような表情になる。


「……お母さんの容体はどうだった?」


 リンの突飛な問いにもライルは謹直な態度を見せる。再びリンの前に移動して、


「見える範囲で症状は両膝から下と肘に出てたが、本人が言うには生活するのに何の問題もないらしい。村中が腐敗化の件を知ってるから変な嫌がらせもないようだったし、リディアが明るく振る舞ってるから同情的な態度を見せてるやつもいなかったように思える。良い村だったぞ。ラトは」


「うん。そっちの心配はしてないわ。田舎だから人付き合いを重視する人が多いの」


「お前さんがラトに金を送ってることも良い方向に働いてるみたいだったぞ。どれだけ人が良くても村が貧しくなると住人の心も貧しくなってくからな」


「じゃあみんなと一緒に元気で暮らしてるんだ」


「おう。俺が行った時も近所の連中と畑仕事をしてたぞ。お前さんの噂を教えて欲しいってことで一泊したが、夕食で出されたクリームシチューは絶品だった」


「……もうずっと食べてないなぁ」


 一人旅を始めて最初の1年はよく懐郷病になった。特に冬場は飲食店でクリームシチューを目にすることが多く、その晩は決まって枕を濡らした憶えがある。


 それはきっと12の幼い精神がさせたのだと思うが、当時のリンは泣虫な自分が情けなくて堪らなかった。


「郷愁でも覚えたか?」


「否定すれば嘘になるかな」


「なら早く亡者の嘆きを手に入れねえとな。いかなる理由であれ、仮に秘薬の収集を諦めた結果だったとしても、娘の帰宅を心から待ち望むとかリディアは言ってたが、せっかくお人好しな勇者様が力を貸してくれるんだ。最高の結果を出そうぜ」


 リンは微笑みかけることで回答した。前途多難だった秘薬収集の長旅も今ではゴールの一歩手前である。大丈夫だ。絶対に解呪の期限までに秘薬はすべて集まる。


 それまでにもう1つ熾天石が見つかって欲しい。リンは心の底からそう願う。


「夕食時の話に戻るが、リディアに手紙を出したらどうだ。俺と会って手紙を渡されたとか、今は勇者と一緒に旅してるとか、秘薬の収集率は期待させるかもしれねえから書かないとしても、大切な一人娘が5年をどう過ごしたのかくらいは教えてやれ」


「……近況の報告だけでもいいのかな」


「いいに決まってる。リディアはお前さんの情報を1つでも多く知りたがってたからな。身長は抜かれたかな。さすがに胸囲は負けてないよね。とか。俺は会ったことがねえって何回も言ってんのに口を開けば尋ねてくる始末だった。見たところ1勝1敗のようだな」


 わざわざ判定しなくてもいい。勝敗の内容を思い浮かべると陰鬱な気分になる。


「じゃあアンクトに着いたら書いてみる。ただしライルも奥さんに書きなさいよ」


「気が進まねえなぁ。俺が筆無精なのはあいつもよく知ってる訳で」


「じゃあメルが代筆する方向で話を進めておくわ」


「……そいつは洒落にならねえな。魂魄暴走を起こして鳥人間になってたから半殺しにしたとか、旅先で知り合った少女に不倫を持ち掛けてたとか、生ハムとチーズを毎晩のように貢がせてるとか、実はロリコンだとか。あいつが心配するようなことしか書きそうにねえよ」


 ぐったりとした様子のライルはすっかり書く気になったらしい。ぶつぶつと旅の思い出を呟き始めた。それを聞きながらリンも考える。どのエピソードを書くべきか。


 勇者と旅している話は外せない。話し好きの母親は満面の笑みで村人達に自慢するだろう。


 自然と目尻が下がった。久々に見たい。想像でなく、実物の輝かしい笑顔を。


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