取引

 不幸中の幸いとでも言うべきか、不死者は当然ながら飲食物は疎か金品にも関心を持っていない。実質的にイグノの被害はないと言っても良かった。


 リンがライルを叩き付けた住居の壁に関しても、入ったヒビを記念に残したいと家主が申し出たので不問となったのである。


 念のために呪術師一同で村内の調査を行い、結論が出た頃には日が落ちていた。


 村長の勧めで一泊することになったが、所用があると言ってインテグラはイグノを去ったので夕食の席に姿がない。飲んだくれの宴会場と化した食堂の隅っこにいる呪術師は4人のみだ。


 リンとメルが恒例の生ハム争奪戦を繰り広げていると、


「ライルは秘薬をどのくらい収集した?」


 ふとノアが問うた。リンはそっぽを向きたくなる。亡者の嘆きを持っていないかと昼間から気に掛けつつも、ジェノの言うトロい性格のせいで質問しなかったのだ。


「遅延石化に必要な秘薬は5種中3種あるが、他の希有な秘薬は手元にねえな。秘薬の多くは換金して故郷に送ってんだ。何か欲しい物でもあったか?」


「亡者の嘆きがあればと思ってね」


「悪いな。宝石塗れは見たこともない。被害者の方なら西方の山村で見たけどな」


 心臓が鈍い音を鳴らした。リンが問わずともライルは勝手に答え合わせを行う。


「ラトって村のリディア・マーシュだ。3日間の滞在中に娘のことを噂話でもいいから聞かせて欲しいって数十回はせがまれたぞ。たまには仕送りのついでに手紙も書いてやれ。俺も人のことは言えねえが」


 リンは俯くように首肯した。書けるはずもない。


 元気か? と問うのも、元気だ、と伝えるのも気が引ける。


 母親の元気を奪った張本人がそんなことを書くなんて許されないと思う。


「集まってない2種類はなんなのさ」


「熾天石と黒竜の瞳だ」


 リンの喉が一瞬で渇いた。どちらもリンの棺桶袋に入っている。


 渡せば母親の安息が遠退いてしまう。しかし渡してあげればライルの妻が残酷な呪いから解き放たれるのだ。


 解呪の有効期限を鑑みれば渡すべきに決まっている。ライルの妻は長く保って半年程度。その間に熾天石と黒竜の瞳の両方を入手できる確率は皆無に等しいからだ。それは人生の3分の1を秘薬の収集に費やしたリンが一番よく分かっている。


 でも。2年以内に再び手に入らなかったらお母さんが。


「安心しろ。俺は頼まれたって受け取る気はねえからな」


 ライルは至って真面目な顔付きで上等な葡萄酒を喉に流し込み、


「あいつが呪われた部位は左手でな。まだリミットまで3ヶ月以上もある訳だ。腐敗化の解呪に必要ないなら話は別だけどよ。度の過ぎた配慮は勘弁だぞ。あいつが喜ぶとも思えねえしな。なんとかして自分で手に入れてみせるさ」


「……でも」


「立場を逆にして考えてみろよ。お前さんだったら受け取れるのか?」


 きっと無理だ。ライルの大切な人が助かるチャンスを奪うことなどできない。


「分かったら顔を上げやがれ。暗い雰囲気はリディア譲りの美貌に似合わねえぞ?」


 不意に横から生ハムを刺したフォークが近付いてくる。メルだ。


 慰めてくれてるのね、ありがと、と思ったのも束の間、よく見ると6枚はあった生ハムの皿が空になっている。小癪な。


「譲り合いの精神を披露し合ってる最中に悪いけどさ」


 メルはリンの注文したチーズの盛り合わせにまでフォークを近付け、


「あたしも持ってるわよん。黒竜の瞳」


 まじかよ、とライルが目を見開く。まじっすよ、とメルは返し、


「ガントの黒竜は超が付くほど大きくってさ。瞳が二つも採れたんよ。1つはノアを経由してリンの手元にあるけど、もう1つはあたしの棺桶袋に入ってるわけ」


「……だが俺は交換に値するような秘薬や秘宝を持ってねえぞ」


「今の台詞はリンもノアとの交渉中に言ってたような? 巷で流行ってんの?」


 クケケケと小悪魔は意地悪く笑いながらリンのチーズを次々と口に放り込み、


「悪いけど秘薬や秘宝に関心はないんよ」


「率直に言ってくれ。何が望みだ?」


 メルはフォークの先端を空の皿に向けた。これ見よがしに舌なめずりをして、


「生ハムとチーズの盛り合わせ。今なら一皿ずつで手を打ってあげる」


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