談合
「参ったなこりゃ。お気に入りのシャツがボロボロじゃねーか」
ライルは治癒の魔法を受けずとも自分勝手に目を覚ました。未だに気絶させた場所から動いてはいないが、不死者掃討の関係者達は彼の周囲に勢揃いしている。
逃げ遅れの家族にメッセンジャー役を頼んだので、今のイグノにいるのはここに集まった6名の呪術師のみだ。
「お望みでしたらあなたの身体もボロボロにして差し上げますよ?」
アリスがいつもの冗談を飛ばした。ノア、ジェノ、メルは苦笑もしない。リンもいい加減に慣れたので無反応だ。ただ一人。新参者のライルだけがニヤリと笑い、
「まじか。嬢ちゃんみたいな可愛らしい娘なら大歓迎だぜ」
大した強者だ。真顔で淡々と告げられたのにちっとも動じていない。
「アリスが可愛らしい? いやはや起き抜けに今世紀最大のジョークをかますだなんて脱帽っすわ。もしくはリンリンしっぽアタックの衝撃が強すぎたのかしらん? 魂魄暴走も霞むくらい脳の方が暴走しちゃってると見て間違いないかもかも?」
メルはメルで毒舌が過ぎる。アリスの柳眉がぴくっと跳ねたものの、さすがに人前では喧嘩を買おうとしない。そんな某少女の忍耐を察知したかのようにライルは苦笑いを浮かべて、
「尻尾か。ありゃまじで死ぬかと思ったな。だが脳は暴走してねえぞ。これは素だ」
全員の視線がライルに集まった。代表でジェノが問い掛ける。
「魂魄暴走中の記憶は残っているのか?」
「断片的にな。お陰で罪深き鷹の凄さがよく分かったぞ。斧槍の扱い方を教わりたいぜ」
「要するにそこにいる黒衣の少女も見えるのか?」
ジェノはメルを指差し、対するライルは眉を顰めた。
「質問の意味がよく分からん。魔術師の嬢ちゃんのことを言ってんだよな?」
「魔術師ではないがな。しかしなるほど。魂魄暴走を起こせば認識が可能となる話は知っていたが、発動中の記憶が呪術師に残るからなのか。これはいい勉強になった」
「感謝いたします。これで堂々とメルヴィナの喧嘩を大人買いできますね」
「言葉に反して甚だしく大人げないがな。悪いことは言わん。お前は黙っておけ」
上司の冷たい態度にアリスが風船のように頬を膨らませるが、ジェノが見ていないと気付くや口内の空気を噴出した。その実、アリスは実に計算高い女性のようだ。
「しっかし有名人が多いな」
ライルは周囲の顔を順々に一瞥していく。
「ハミルトンが二人にラブクラフト。マーシュの背にくっついてるのも相当な使い手みたいだしな。青が4、いや、ひょっとすると5人ともか?」
「正解だ。メルヴィナも青だが、世間話は我々がイグノを去った後にするがいい。私も忙しい身なのでな。早々に貴様と口裏を合わせてアンクトに向かわねばならん」
「口裏? まさか大司教のあんたが魂魄暴走を起こした俺を見逃す気か?」
愚問です、と即座に横槍を入れたのは珍しくも鮮緑の瞳を晒したアリスだ。
「見逃す云々の前に我々は暴走の場面を見ていませんし、わたくしの双眼はあなたを人間と捉えています。よもやこの目が節穴だとは仰いませんよね?」
「私も同じ見解だ。そして語るまでもなく教会は人殺しを許していない。その薬指を見るに貴様も大切な者のために旅しているのだろう。死に急ぐような発言は控えるべきだな」
「……すまん。恩に着る」
構わん、と返すジェノの隣でアリスが開眼したままライルの左手をまじまじと見ている。薬指に填った銀の指輪が気になるようだ。
「ご結婚なさっているのですか?」
「3年前にな。だがあいつの顔はずっと見てない。俺は結婚した日に旅立ったのさ」
胸がチクリとした。リンはライルの顔を直視できない。
似ている。毎朝のように鏡の前で見る、母親を思い浮かべた時の自分の表情と。
「俺は村で唯一の呪術師だった。同時に村で最強の戦士でもあった。その事実に自惚れてたのかもな。村に現れた
状況もリンの過去と似通っている。大きく異なるのはライルに力があったことや、遅延石化の
遅延石化は邪眼蛇や
症状は2段階に分かれ、初期は被った場所のみが石になるのだが、1年ほどが経つと徐々に石化の波が全身を蝕んでいく。
そして脳か心臓が石になれば被害者は命を落とし、また発症から3年半を過ぎると石像となる道から逃れられなくなると言う。
今現在で遅延石化を解く方法は2種類しか判明していない。1つは希有な秘薬を用いた呪術による解呪。もう1つは模造熾天使を用いた魔法的な儀式による浄化。厄介なことに加害者の邪眼蛇や蛇女を倒しても呪いは解けてくれない。
「俺の村では婚姻の儀式の際に夫が妻を命懸けで守るように約束させられる。幸いにもあいつは俺を受け入れてくれてな。俺は最愛の妻を救うために秘薬を収集する旅に出た訳さ」
「そうか。では金輪際高位呪体化に手を出すな。今回のような秘薬と無関係の騒動で絶命してしまっては遺された妻が憤慨するぞ」
正論も正論。だがジェノの論述をライルは受け入れようとしない。
「その妻が旅先で困った人がいれば助けるように言った訳だ。それこそ命懸けでな」
「各地でただ働きしているのは奥様との約束が原因だったのですね。実に羨ましい関係です」
アリスはなぜかジェノを見ながら言った。相手の方は完璧に目を逸らしている。
「結婚指輪ですかー。憧れますねー」
再びアリスがジェノに向かって言った。大司教は馬耳東風の姿勢を貫き通して、
「ライルの余談で時間を食ったな。辻褄の合わせ方はノアに一任してもいいか?」
「構わないよ。イグノの村長にも今回の最大の功績は教会にあると伝えとく。命を張って戦ったライルには悪いと思うけどね」
「問題ねえよ。功績なんぞ要らねえからな。命を救ってくれただけで満足だ」
助かる。ノアの予定に沿った方が仲間にとって好都合なのだ。
事実として不死者の7割以上をアリスが片付け、地下墓地の後始末もジェノが行ったので嘘を吐く訳でもない。
「では行くか。ライルに限らず人の命の価値を平等としない言動は慎むようにな」
大司教として当然のことを言ったジェノに、なぜかリンは若干の違和感を覚えた。無論、リンも人の命に優劣はないと思っているし、間違いないとも思っている。
ただ、ジェノの言い方は自身の発言を否定するようなニュアンスが含まれていた。
どういうことかしら、とリンが小首を傾げた瞬間、
「おやおや? そこにおられるのはジェノ・ハミルトン大司教ですかな?」
白馬はいない。小柄の少女が道に散らばった白骨を蹴飛ばしながらやってくる。
「何か用か? インテグラ・リヴァーモア」
ジェノの素っ気ない態度にもインテグラは笑顔で応じる。とことこと歩いてきたと思ったら地面に座ったライルを見つめて、
「よくぞご無事で。無駄にカロッカまで行った甲斐があったようですな」
「嘘だって気付いてたんだ?」
ノアの問いにインテグラは微笑んでみせる。いや、どこかバカにした感じは嘲笑に近い。
「誰でも気付くと思いますぞ? 露骨なまでに目が泳いでいましたからなぁ」
「……意識して目を合わせてたはずだけど」
「泳いでいたのは聖女様の目ですな。さぞかし根が正直なのでしょうよ」
ノアの視線が痛い。リンは素直に反省する。目を泳がせた自覚はないのだが。
「何の用件かと言った訳だが?」
ジェノが一言で本題に戻した。インテグラはふざけたことに、
「用などございませんぞ?」
「私を捜していたと聞いたが?」
「近くにおいでならご挨拶しようかと思いましてな。ついでにイグノの件も解決していただこうかとも一考していましたが、他に強いて挙げるとしたら……」
インテグラはノアを一瞥して、
「この少年は大司教の義弟でございますかな?」
「だとしたら何だ」
「噂に違わず真っ黒なんですなぁ。そちらの少女が黒曜短剣をお持ちだったので、この少年も組合の関係者だから黒衣を纏っているのだと勘違いしてしまいましたぞ」
ノアが一瞬だけ目を合わせてきた。やはりインテグラはメルを認識できるらしい。
「用がないのなら私とアリスは失礼するぞ。我々はアンクトに向かわねばならん」
「構いませんぞ。あっしはここの後片付けを手伝う予定ですからなぁ」
沈黙。ジェノとインテグラは無言で見つめ合う。
10秒、20秒、30秒と経ったところで、
「さっさと行きますよ! このロリコン野郎!」
アリスがジェノの手を掴み、顔を真っ赤にして歩いていってしまった。その道の奥に大勢の村人の姿が見え、これにて座談会は終了となる。
「これまた失礼な物言いですなぁ。これでもあっしは聖女様と同じ17ですぞ?」
まじかよ、とライルが呟き、まじですぞ? とインテグラが返したが、小娘の年齢の話など後でいい。歓声を上げる村人の群れはすぐそこまで近付いている。
今は故郷を失わずに済んだ人々と喜びを分かち合うことこそが最優先事項だ。
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