マクロパス

 村の入口は予想外に空いていた。


 蠢く白骨の群れは遠方にしか見当たらず、この場では短剣の世話になるような出来事が発生しそうにない。入口の周辺は甚だしく閑散としている。


 地面に散乱した無数の白骨はどれも剣で断たれた形跡が見られ、多くは道しるべのように北西方面に転がっている。考えるまでもなくノアの功績だと分かったが、空から見た感じでは残骸の5倍以上の数が入口付近にいたはずだ。他の骨はどこに行ったのだろうか。


 疑問はすぐに解決した。やはり何事も外見で判定するのはよくないようである。


 ――ぬぼぉおぉ。


 この世のものとは思えないような、やたらと間延びした咆吼が聞こえる。


 音の発生源は両目を閉ざした少女が跨っている青白い球体だ。先程と違って前面に大きな切れ込みがある。酸欠の魚のようにパクパクと開閉する様子から口だと分かった。


 ただし感じる危険性は魚の比ではない。球電の精は口を開くたびに青い火の玉を3つ4つ吐き出し、それらは不規則な動きで付近の不死者に突進していく。放たれた鬼火の破壊力は寒気を覚えるほど凄まじく、消滅するまでに骸骨を最低でも3体は焼却していた。


 恐らくジェノが言っていた愚かな火というやつだ。口の開閉を2秒に1回くらい行っているせいか、白骨の姿がみるみる減っていく。ジェノが頼るのもよく分かった。入口にいた骨を屠ったのもアリスに違いない。


「やっぱ欲しいわ、あのシャボン玉。意味もなく解放リリースしてくんないかなぁ」


 メルが羨望の眼差しを向けている。あれほどの魂を易々と手放すはずもないが、リンも召喚が使えれば喉から手を出していたかもしれない。


「……む? そういえば無色の御霊を解放してもメルの呪いは解けないの?」


「それが解けないんよ。捕獲時にあたし本人も呪われたみたいでさ。アリスも例の雪女を既に解放してるけど今の状態だし。あたしも一度は解放したけど無意味だったから再びゲットしたわけ」


 さておき、とメルは杖を前方に向けた。


「急いだ方がいいかもよん。あの調子だと一時間もしない内に雑魚が全滅しかねないっすわ」


「……分かってはいるけれど。本当に私が勝てるのかしら」


「随分と弱気なんね。他の連中が凄い魂ばっか持ってっから自信喪失中?」


「元から自信はないわよ。やっぱ保有すべき魂は量より質だって改めて思い知らされたのは事実だけれど」


 リンの魂の保有限界は4つ。単独の世界一だ。ノアとジェノが2。メルとアリスは3らしいが、連中と比較すると手持ちの魂がどれも小粒に見えてしまう。


「メルは他にどんな魂を保有してるの?」


 基本的に呪術師は新しい魂を得るためのスペースを1つは用意している。どの魂も解放に数十秒は必要で、せっかく希有な魂を見つけても空きを作っている間に逃げられてしまっては笑い話にもならないからだ。


 念のためにリンもそうしている。メルも同じようで、


「……牛が一頭だけ」


「牛? それって強い? 呪われてない牛なら今だけ貸してくれない?」


「それが戦闘用じゃなくてねぇ。アリスがさ。牛の魂を保有してると胸の発育が良くなるとか言ってて」


 論外だった。しかも嘘に決まっている。だが女心とは斯くも複雑なものだ。虚実と承知しながらも簡単に希望は捨てられない。何と言っても情報を発信した本人は大変に立派なのだから。


 近い内に人魚の枠を牛にしようかな。リンが本気でそう思っていると、


「とにかくもう行かないとまずいっしょ。なんでも良いから呪体化しんさい」


 うい、とリンはメルの口癖を真似てみる。具現化するのは保有中で最強の魂だ。


「獅子すら慄く草原の主よ。その豪腕を以て我らの敵を屠れ。その豪脚を以て我らの敵を蹴散らせ。中位呪体化――南原の覇者マクロパスチャンピオン


 一瞬後、リンの膝から下が古代語の大きな足Macropusに違わず焦茶の毛に覆われた大型の足へと変貌し、肘から先も同じように獣じみた前足となる。頭部に生えた一対の獣耳は巧妙な猫と比べてずっと大きく、見当たらない尻尾は意識を強めればスカートの外に具現化可能だ。


「これまた人魚に続いてレアな魂じゃん。カンガルーっしょ? マクロパスって」


 メルが興味深げに耳を突いてくる。くすぐったい。遙か南の国にのみ棲息する動物を珍しがるのは分かるが、場を弁えた行動を取って欲しいところだ。


「でもそんな足で走れるん? てかカンガルーって後退ができない動物だった気がするけど、危なくなった時にちゃんと逃げれるんよね?」


「大丈夫よ。走ると言うよりは跳ねる感じだから。身体も人間と同じように動くし」


「そっかそっか。人の形をしてる上に身体を動かすのも人の脳だもんね」


 メルは浮いた身体を徐々に進めながら呟き、リンはたった一度の跳躍で両者間の距離を埋めてしまう。二人が突き進むのは未だに骨人形が多く見られる中央広場へと続く道だ。


 自信はない。だがリンは懸命に戦おうと思う。お人好しの命を救うためにも。

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